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Act.7:ソンブラを待ちながら




◆メイザース東区画・ギャングストリート◆




 荒れた道。墓標が一つ。朧月夜。


 小脇に抱えた荷物を愛でるようにさすりながら、マッケイはただ立ちすくんでいた。夜陰を照らす街灯と、遠く歓楽街のどこかで弾ける銃声だけが、この静止したような景色に確かな時間の流れを告げている。


 約束の時間はとうに過ぎ、この後どうするかの案もない。というよりも、そもそもここで待つ以外の作法を彼は持たなかった。


 シンジケートの興行施設、クレイマンズハウスの裏口にて、どこぞの傭兵と思しき屈強な男に、半ば押し付けられる形で待たされた小包。これを持ってギャングストリートの一本墓標の前にて待機というのが、うだつの上がらない運び屋家業のマッケイに課された「任務」であった。


 とはいえ、流石に合流が遅すぎる。ここまでくると何かがあったのではと考えるのはなんら不思議ではないが、困ったことにマッケイが唯一コンタクトを取れるのは、クレイマンズハウスにて彼に荷物を預けた張本人、ソンブラ・マルコシアスただ一人。


 事前に待たされていた端末も、一度きりの使用が前提の使い捨ての安物。掛け直すことはおろか、向こうの番号すらわからない。こちらから合流しようと思うなら、どうあっても足を使って直接ソンブラを探しに行かなければならないが、もし入れ違いにでもなれば面倒だし、最悪余計な疑いをかけられかねない。


 いかに二流の貧乏運び屋のマッケイとはいえ、さすがにその程度の危機管理を怠るほどの間抜けではなかったが、おかげでこうして延々と待ちぼうけを食う羽目になっているというわけだ。


 当然、そのマルコシアスが不幸な事故に遭い、無理やりバニー衣装を着せられてシンジケートのむくつけき兵隊たちに連行されているなど予想できるはずもない。


「腹減ったなあ……」


 口寂しさを訴える腹をさすりながら、ポツリとマッケイは呟く。もう少し街の方に近ければ、適当な誰かにお使いを頼むこともできたのだろうが──いや、この街にそんなお人好しはいない。迂闊に財布を出してお使いなど頼もうものなら、駄賃はおろか尻の毛までむしり取られてジ・エンドだ。

 こんなに待たされることになるなら、軽食の一つでも持ってくればよかったと、そんな呑気なことをマッケイは考えていた。


「おい、そこのお前」


 呆と突っ立っているマッケイの背に向け、不意に声をかける者が現れた。突然のことでぴくりと体をすくみあげて振り向くと、闇の向こうから紫紺に輝く一対の眼光がこちらを見据えて近づいて来ていた。


「お……俺?」

「そう、さっきからずっとそこに立っているお前だ。こんなところで何をしている?」


 凛とした様子で語りかけてくるその声の主に、マッケイは覚えがあった。夜陰を押し除けるように現れた赤髪に黒スーツ姿の麗人。それはこのメイザースにおいて知らぬ者はいないと言われるほどの実力者。一介の悪党ならばその名を聞くだけで震え上がる、事件屋ことリルフィンゲルであった。


「じ……事件屋!? なんであんたがここに?」

「私の散歩スケジュールを、いちいち誰かに告げなければならない理由でも?」


 至極もっともなことも、この女が口にするだけで審判の詩の如き重みを帯びる。実際はただ生真面目な性分というだけなのだが、もとより軍人気質なリルフィンゲルの険ある物言いに、マッケイは二の句を継げずに後ずさった。


「お前、運び屋か?」

「あ、ああ。今も仕事中だ」

「そうか。見たところ武装の類はないようだが、そんなことでは野盗の的になるぞ?」

「あいにく、そういう連中も寄ってこないほど旨味のない身分なもんで。ピザの配達員とそう変わらない……っす」

「ふむ……」


 束の間リルフィンゲルが黙考する。たったそれだけのなんでもない行為でさえ、彼女がそうしているというだけで空気が痺れるように張り詰めていく。並の人間であればとっくに卒倒してもおかしくないのだが、マッケイが今もこうして意識を保っていられるのは、リルフィンゲルが意識的に覇気を抑えているからに他ならなかった。


「仕方ない。その待ち人が来るまでの間、私がお前の護衛をしてやろう」

「へ?」

「ん? てっきりお前は、ここで誰かが来るのを待っていたと思うのだが、違うのか?」


 あっけらかんとした様子でリルフィンゲルが問うも、マッケイとしてはそもそもそれ以前の話であったかのように首を横に振る。


「いや、違くないっすけど……そんなことしてあんたにどんな得があんのかなって」

「ああ、別に気にするな。私の趣味のようなものだ」

「趣味って……あんたまさか本当にこんな街で人助けを?」

「こんな街だからこそ、だよ。なんだ? 迷惑か?」

「いや、正直待ち人がいつ来るかも分からないから心強いんだけど……」


 思わず本音を漏らしてしまうマッケイ。実際、彼女の申し出があってからこっち、屋根も壁もないこの開けた路地が、リルフィンゲルというただ一人の最強が立っているというだけで要塞のごとき頼もしさがあった。


「ならば問題あるまい。その荷物の中身についても問わん」

「ああ、助かるよ」


 とはいえだ。この一騎当千の女傑を興じさせるような器量など、このマッケイにはない。リルフィンゲルはその射るような眼差しで、遠い街の喧騒を静かに見つめるばかり。これといって雑談を交わすほどの友誼もない彼らの間に横たわる沈黙は、マッケイにとってはいささか以上に重たいものがあった。

 何か、何かないか。諸々考えあぐね、結局何も思い浮かばないので、仕方なく天気の挨拶とさほど変わらない言葉をマッケイは搾り出す。


「今夜はいつになく街が荒れて……ますね」

「敬語はいらん。どうやら女帝の縄張りでガス漏れ騒ぎがあったらしい」

「そう……すか。じゃあ──あんたはそっちに行かなくていいのか?」

「今はまだ、その必要はないと判断した。私のような人間が土足でシンジケートの縄張りに踏み入れば、余計な混乱を招きかねない」

「あんた……噂で聞いた分だと話の通じない災害か何かかと思ってたよ」

「こう見えても私はおしゃべりだぞ。もっとも、話しかけてもみんな怖がってすぐに逃げてしまうがな」


 そりゃあそうだろう。

 などと正面切って言えるほどマッケイの肝は太くはないので、代わりにこう言った。


「あんたはこの街では有名すぎるんだよ。特に後ろ暗い事情を抱えた人間にとっては、事件屋リルフィンゲルと死神は同義語だ」


 実際彼にしてみても、ここで待つという仕事がなければ一目散にその場を離れてしまいたい。彼女のそばにいる限り、鉄の嵐も無傷でやり過ごせること請け合いであろうが、そもそも嵐に降られる事自体、貧弱なマッケイにとっては死活問題だ。それを思えば、まずは雷雲の下から離れようとするのは生き物として当然の行動ですらある。


「恐れられたものだな。私も街で自分の噂を聞くことはあるが、特段誇張されたり尾ひれがついたりはしていないんだがな」

「…………」


 だからだと思う──。


 マッケイは喉を鳴らした。

 普通、噂話というのは人を伝うごとに歪んだり大きくなったりするものだが、ことリルフィンゲルに関しては、初めから誇張の余地なくぶっ飛んでいるので、余計な脚色の入る余地がないのだ。

 というより、マッケイですらある程度色がついた噂だと思っていたが、たった今本人の口から噂の正確性が担保されてしまったことで、心胆寒からしめる気分に陥っているところだ。


「その点、お前は逃げずに私の話に付き合ってくれるのだな。弱そうな形だが、意外と度胸があるのか?」

「いや……それは……」


 仕事だから離れられないだけなのだが、とは言いたくない。見た感じ、リルフィンゲルは久しぶりに話し相手と巡り会えて気分が良さそうなのだ。もっとも、そこに可愛げのようなものはなく、どちらかというと好物を前にした虎の如き風情。そんな彼女に対し、今更皿を引っ込めるような真似をして不興を買いたくはなかった。


「そう怯えるな。どれ、ひとつお前の身の上話でも聞かせてくれ。別に嘘でも構わん。お前がどうしてこんな街で運び屋なぞやっているのか、話せる範囲で話してみるがいい」

「話してみろって言っても、別に大した動機も目的もないよ」

「それで構わん」

「と言ってもなあ……言ってみれば、親への反発ってことになるんだが。俺の親──というか父親は錬金術師で、ずっと工房に篭りきりの姿に嫌気がさして飛び出した。本当にそれだけなんだ」

「ほう、ならその父についてから聞かせてもらおうじゃないか。自分の原点を振り返るのは、お前にとっても良い機会になり得よう。どうせ暇なのだろう?」

「うん、じゃあ──まあ」


 ソンブラを待ちながら、マッケイはぽつりぽつりと語り始める。

 万病を癒す万能薬を目指した錬金術師の父の話を。

 

 その錬金術師の生んだ悲劇に、今まさに巻き込まれているという事に、終ぞ気がつくこともないままに。

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