いじめと鬼女
いじめと鬼女
この題名をみて、なんのこっちゃと思った人は多いと思う。いじめはともかく鬼女が分からないと思うのだ。
では、まず鬼女から説明しようと思う。これはインターネット上のいわゆる巨大掲示板にある、ある集まりで既婚女性板のことなのだ。既婚女性を略して既女、そして彼女らの恐ろしい性格と行動から鬼女と言い換えられているのだ。
では、どう恐ろしいというのか。彼女らは,その名のとおり既婚女性であり、また母親でもあることが多い。そのためか、いじめや、婦女暴行などの事件に対しては、異常なほどの執着をしめすのだ。
その上,彼女らは、専業主婦である事が多いため時間があり、また能力がある人が多く集まっている。その上女性特有の団結力、行動力があり、それらが相まって高い情報収集力を持つ事になる。
そして、いじめや婦女暴行を行なった犯人が未成年だったり、いろんな事情で名前があけされなかったとすると、異常な正義感と情報収集能力により、その名前をあぶり出してしまうのだ。
どうするかというと、特にツイッターが危なく、位置情報をオフにしないで写真を撮れば、その画像に位置情報がどこまでもついてくる、自宅でとった写真があれば、それだけで自宅が特定されてしまう。
またツイッター他のSNSとフェイスブックを両方使っている人が多いのを利用し、フェイスブックにおいて、他のSNSのアカウントと似ているアカウントを人海戦術で探しだすのだ。
これでフェイスブックのアカウントが特定されてしまえば、フェイスブックは匿名じゃないので、ここで名前が特定されてしまう。
一例をあげれば、京都教育大学集団婦女暴行事件という事件がある。この事件は示談が成立したため、軽い処罰ですみ、加害者は現在小学校の先生になっている。
しかし鬼女はこれを許さなかった。
その加害者が卒業し小学校に赴任したとのテレビ報道がなされた。その時、小学校の写真がたった一枚写しだされただけだったが、その写真の校庭と木の写真から、人海戦術で、同じ木を持つ小学校を数時間で特定してしまった。
もちろん,その小学校は電話での抗議があいつぎ、その先生は,現在も担任にはなれないでいる。
さらに、彼女らが一番執着するのが、いじめ問題である。
いじめによって自殺者がでた事件は、加害者は、ほぼ全て特定されてしまっている。
大津中自殺事件、矢巾北中学自殺事件、館中学自殺事件は、現在全て加害者が特定されている。ネットでちょっと検索するだけで名前はでてくる。
特に大津事件では、首謀者4人は、名前、顔写真、住所、電話番号まで特定され、そのうち2人は名字を母方にかえ、引っ越しているが、全て執拗に追跡されている。
また館中学事件は、加害者の親に学校関係者が多いため、特定が遅れたと噂されたが、これは真実かもしれない。なぜなら、11人の加害者の親の中に、学校の先生3人、さらに仙台市PTA協議会副会長がいるためだ。もちろんその努力も無駄だったが。
現在では一度の過ちで,人生全てが失われないように、忘れられる権利があるとされる。実際グーグルを訴えて、自分の名前がヒットしないようにする権利を勝ち取った人もいる。また、アメリカでは,若い時に一度自分のヌードをネットにアップしたために、何度削除要請してもその画像が出てくるために、しかたなく自分の名前を変えてしまった人もいる。
しかし鬼女にはこれも無駄であろう、改名しようが,引っ越そうが、いちいち調べ、執拗に追跡し、永遠にネットにアップ続けるのである。
これは悪い事なのだろうか?確かにいいことではないと思う。しかし、少年法があり、いじめの加害者が、過剰に守られている現状がある限り、これらの行為を非難しきれないと思うひとたちがいるのも確かなのである。
これらのことから何が言えるかというと、実は、いじめの加害者は、守られているようで、全く守られてなどいないのだということだ。
本当は加害者も,実名を出し、一定の処罰が与えられたなら、鬼女もこれほどの事はしないのではないかと思う。しかし加害者側の情報は隠され、一般にはでてこない。
だが現実には、いじめ加害者の詳細な情報が、いつまでもいつまでもネット上に残り、消しても消しても、どこからかまた出て来てしまっている。改名しようが,引っ越そうが無駄で、逃げ道など、実はどこにも無いのだ。
もしこの加害者が、就職活動をしたり、婚約したりしたらどうだろう。その時、会社の担当者が、また相手の親族の誰かが、ネットでちょっと検索したら、いじめで自殺に追い込んだという過去が簡単に出て来てしまうのだ。
それがわかれば、本当の理由は明かされずに、別のもったいぶった理由が付けられ,その就職や婚約は無かった事にされるであろう。
これは一種の地獄では無いだろうか。それもどこまでも終わりがない真っ暗な底なし沼のような。
この事実は,子ども達に知らせた方が良いのではないだろうか。
君達はこのことを知って、それでも、いじめをするかね、と。