東宝SF映画「世界大戦争」
この映画は一言でいうと、核戦争で世界が破滅するという映画だ。
話はプレスセンターの運転手が主人公となり、その日常が語られることになる。
私は、この映画の描きたいこと、言いたいことは分かるつもりだ。普通の一般の名もなき市民が理不尽にも戦争で、そのささやかな幸せを失われる。その無常を描きたいんだろうなというのは、痛いほどわかる。
だが、それが成功してるとは言い難いのである。というか大失敗していると思う。
私はSF映画を見にきているのに、どうして良く分からない家庭ドラマを見せられているんだろうと思う。これは絶対にそう思う。
延々とこの家庭ドラマが続くのだ。通常この手の映画の場合、政府内での深刻な会議の描写とか、対立する国同士の非難の応酬とかの描写が有ったりするものだが、この映画では一切ないのだ。
地域的な戦闘の描写はあるが、それが世界情勢にどう関わっているのかの描写も一切ない。新聞やニュースで世界情勢の悪化を伝えたりする描写も一切ない。とにかく淡々と市井の一市民の描写がえんえんと続くのだ。
そしてついに核ミサイルが東京に飛来する。防衛軍はなすすべもなく、それを観察するのみだった。そしてミサイルが爆発する。
この映画は、最後の5分間の特撮を見る映画だと私は思う。その東京壊滅の特撮は圧倒的に素晴らしいのだ。これを超える都市破壊の特撮は、未だないと私は断言する。それほどすさまじいのだ。
核ミサイルが爆発すると、火球が形成され、爆風で船も、飛行機も、列車も倒壊する。
その火球の中で、東京が燃え上がるのだ。スクリーン全てを火炎が覆い、一瞬衰えると、骨格のみとなった何かの格納庫が見える、また火炎が覆いつくすと、次には無残にも崩れ落ちた東京タワーが見える。
この後高熱で溶かされた溶岩が流れだし、もはや上方の部分だけとなった国会議事堂に流れ込んでいく。この特撮は製鉄所から溶けた鉄を運んできて流すという、よく死人けが人が出なかったという凄まじい特撮なのだ。1000度を超える溶鉄の熱さは尋常じゃなく、周囲をすべて燃え上がらせながら流れていく。その溶鉄のうえをスラグが漂い、炭団で作ったと言われるビルが、燃え上がり溶け崩れていく。その情景は凄惨で凄まじく、筆舌に尽くしがたいほどである。そして最後は黒い雨がふり、そに凄惨な情景を隠してくれる。
その後の、ニューヨーク、パリ、ロンドン、モスクワの破壊の描写は全て一瞬で済んでしまうので、あまり迫力はない。
東京破壊の描写がこの映画の肝であろう。