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第八話「その海に、夜に四人で行ってはいけない」

 ねえ、お姉ちゃんがいけないんだよ?

 僕の理想のお姉ちゃんになってくれないから。

 だからね、作ろうと思うんだ。

 僕だけの、たったひとつのきれいでかわいいお姉ちゃんを。

 心配しないで、図工得意なんだ。

 知ってるでしょ? おねえちゃん。


 ◇


 俺は仕事で浮かれることはない。

 しかし、姫眞(ひめなお)の方は完全に浮足立っていた。


「アヤと一緒なん、うれしいな」


 アヤ――姫綺(ひめあや)は姫眞の妹だ。異母姉妹というやつだが、細かいことはどうでもいい。妹なのだからそれだけで十分だろう。

 大変仲の良い姉妹だが、各々忙しいので会うことがなかなか難しかった。だから今回の『怪異』の話をした途端に、姫眞の目が輝いた。可愛かったのでもう一戦した。

 姫眞はいつもの格好ではなく完全にオフの格好だった。金髪を団子状にまとめているのはかんざしではなく、濡れてもいいように、ヘアクリップだった。オフショルダーの上着にホットパンツを合わせている。肌色が多いぞと指摘したら、今日くらいは見逃してとウインクされたので、帰ったらもう一戦だと胸中呟いて了承した。可愛いに勝るものはない。


「旦那こそ、海行くんにそのスーツはおかしない?」


 姫眞がいつもと変わらない俺の格好を見てそう言った。

 上下黒スーツ、その上にロングコート。両手に黒の革手袋。海に行くには似つかわしくない自覚はあるが、仕事なので仕事着を纏うのは当然のことだ。


「海に入る気はないからな」


 俺の断言に姫眞が目をぱっと見開いた。翠石(エメラルド)紫水晶(アメジスト)の瞳は今日も今日とて美しい。


「えぇ~!? なんでえ!?」

「なんでって……。俺が入ったら海が凍るぞ」

「あ。……そっかあ」


 姫眞は残念そうに足元を見遣った。

 せっかくだし、といっておろしたサンダルだ。ヒールのあるタイプで、彼女の脚が一層美しく見える。


「何をそう、残念に思うことがある?」

「だってえ、お仕事とはいえ四人そろうん久しぶりやし! だったらさーちょっとは楽しみたいって思うじゃん?」


 口を尖らせて拗ねる様のなんと可愛いことか。抱擁したい気持ちをぐっとこらえて「……そうか」と返事をした。すると姫眞はなぜか半眼になって俺を見た。


「……なんだ」

「旦那ってさあ、すーぐえっちなことばっかり考えるよねえ……」

「それは……仕方ないだろう」


 お前が可愛すぎるのがいけないのと、俺のブレーキが年々壊れているからだ。

 直す気はない。必要性をあまり感じていない。

 姫眞は少し考えてから、


「……ま、いいや。旦那のそうゆうとこ、俺嫌いじゃないしね」


 と、ウインクしてからやわらかく微笑んだ。

 ああ、今日も俺の妻は可愛い。


「――あら、仲睦まじいところ失礼いたしますね」


 姫眞に見惚れているとその背後から声が割って入った。

 振り返ったところにいたのは、銀髪の少女である。麦わら帽子に白いシフォンワンピース、足元はワンピースと同じ色のサンダルだ。こちらはヒールがない。その手には古びたトランクが提げられていて、風の噂で彼女がそれを自分の仕事に使っていることだけは知っている。


「姫綺、紅壽(こうじゅ)


 彼女の後ろには上下黒でそろえ、白衣を羽織った背の高い男がいた。彼女の夫だ。

 紅蓮の双子の弟。口数は少なく、そして少しだけ俺と思想が似ている。


「ごきげんよう。この度はお誘いいただきありがとうございます」


 恭しく礼をとるものだから、なんだか申し訳なくなった。


「いや……。こちらこそ協力感謝する」

「いいえ。久しぶりにおふたりにお会いできて、うれしゅうございます」

「俺としてはやりやすい相手を選んだだけだ、姫眞も喜ぶしな」


 俺の言葉の通り、姫眞は突進する勢いで姫綺に抱き着いていた。紅壽は興味なさそうに眼鏡の位置を直していた。


「わあい、アヤ~!! ひっさしぶりやんなぁ! うわ、そのワンピかわいー!」


 などなど絶賛していた。

 紅壽の方を見ると、相変わらず表情のない顔で立っていた。往来で白衣姿、おまけにとびぬけた長身なので人目を引いていた。


「とりあえず行くか」


 俺の号令に姫眞は満面の笑みで答えた。


 ◇


「狭くないか、紅壽」

「……別に平気だ」


 運転は俺、助手席に紅壽、後部座席には姉妹。

『怪異』の出る海へは車へ向かう。例のごとく、車は母さんからの借り物だ。

 そう大きくはない車なので、紅壽の背丈だと頭が天井ぎりぎりだった。


「お前のその『(からだ)』は俺と同じものか?」

「……ああ、おそらく。……だが、試作段階であると紗々羅(ささら)さんが言っていた」

「試作段階、か」

「……鬼の力を殺さず、かつひととして支障の出ない『器』の生成は難しいらしい。……特に、俺は毒だからな」


 紅壽は毒の鬼である。あらゆるものを溶かす強酸性のため、彼はふだん地下室のような場所にこもっている。まあ、もともと引きこもりの体質だからさほど苦労もないようだが。


「……気が昂るとあふれる可能性があるから。……寝床は離しておいたほうがいいだろうな」

「なるほど。まあ、()()()()()()問題ないだろう」

「……そうだな」


 そんな話をしているうち、姫眞が歓声を上げた。海が見えてきたのである。

 ちらと視線を横にそらし、一瞬目に入った海は穏やかで澄み渡っていた。


「およご、アヤ!」

「まあ姉さん待ってくださいまし」


 姫綺の手を引いて姫眞が海へ向かっていく。俺たちはその背中を駐車場から見送っていた。

 どちらも水とは相性が悪い。仕事なので、水着も持ってきていない。だから留守番だ。

 浜辺の見える位置を陣取って、俺は缶コーヒーを、紅壽は炭酸飲料をあおっていた。


「ああ、男どもの視線を抹殺したい……」

「……」


 どこをどうとっても美しい姉妹である。邪な視線が集まっているのが駐車場からでも見えた。水着を着ない、つまるところ浜辺には似つかわしくない俺たちは中へ入れないからここから視線を呪殺するくらいしかできなかった。


「……豪縋(ごうつい)は」

「ん?」

「……ぶれないな」

「は?」


 突然何を言い出すのか。


「……俺はもう二度と、しないと思っていたから」

「ああ……」


 仕事がしやすい、姫眞が喜ぶ――この夫婦を選んだ理由は主にこのふたつだ。しかし、それ以外にひとつ、大きな理由がある。それは理解されることの方が稀有であろう、俗に性癖と呼ばれるものだった。


「最高の趣味だろう」


 俺が笑うと、紅壽が「……そうだな」と微かに口の端を上げた。

 姉妹は仲が良い。()()()()()()()()()()()()()()()()、仲が良いのである。

 一度は姫眞から「やめたい」と申し出があったので中断していたが、結局その環境が回ってくると彼女は「……前言を撤回します」と素直に言った。

 ――前言ってお前、だいぶ前のことなのだが。人生二巡目の話だぞ。


「姫綺はどうなんだ」

「……あの様子を見て、嫌がっているように見えるか?」

「いや」

「……なら。……そういうことだ」


 あのふたりは本当に仲が良いな。

 微かな狂気を孕んだその物言いに、俺は笑うしかなかった。

 仕事の終わりに楽しみがあるのは、労働環境としては最高だった。


 海を存分に堪能したふたりが、潮の香りを纏って戻ってきた。

 何人かにナンパされたと報告してきたときは危うく車の一部を破壊しかけた。


「そういえば今回の『怪異』についてお教えていただいておりませんでした。『怪異』の概要についてはざっと狂輔(きょうすけ)さんからお伺いしましたけれど」


 姫綺が髪の毛を拭きながら訊ねてくるので、俺は印刷してきた資料を渡した。荷物になるから写真で済ませているのだが、協力者に手間を惜しむのはよくない。

 資料を受け取った姫綺と紅壽は顔を突き合わせてそれを読んだ。


「『夜の海に四人で行ってはいけない』……?」

「この海では夜間浜辺に近づくことが禁止されている。近づくともれなく全員水死体で打ちあがる。バラバラにされて無茶苦茶に継ぎ合わされてな」

「まあ」


 物騒でございますねえ、と姫綺はしみじみと言った。怖がっている様子はなかった。


「うげえ、こわあ」

「私たちも近づいたらバラバラにされて繋ぎ合わされてしまうのでしょうか?」

「え! あぁ……うぅん……まあ、……アヤやったら、べつに……」

「あら、姉さんったら。ご一緒に()()のはいいですけれど、()()のはご遠慮願いたいところですよ」

「たしかにー!」


 なにやら姉妹は盛り上がっていた。

 紅壽が楽しそうな姫綺から視線を外し、俺を見る。


「……海は夜間封鎖されているのでは」


 当然夜間は入れないよう金網で立ち入りを制限されている。が、


「関係ない、これは仕事だ」

「……」


 紅壽は黙り、しばらくして「……あんたも変わらないな」と続けた。

 含みを感じたが特に言及しなかった。


 ◇


 夜の海は恐ろしいほど静かだ。

 黒い水面がうねり、波の音が大きく聞こえた。

 禁止の看板と一緒に設置されている金網をよじ登り、浜辺に立ち入る。立ち入ったその瞬間脳味噌がぐわん、と揺れた。『異界』に入ったことを示す合図だ。

『異界』と化した海は昼間の賑わいはどこへやら、何の視線も感じない。その様子は確かに死を感じさせるものだった。


「……『異界』と言っても何かがすぐさま変質するわけでもないのか」


 紅壽が周囲を見渡しながら言った。頬にうっすらと黒い筋が浮かんでいる。紅壽の触手の一部分だ。敵の領域だから臨戦態勢に入っているのだろう、敏い男だ。


「準備はしておいて損はないぞ」


 俺の言葉に姫綺が刀を構え、姫眞が棺を取り出した。俺は俺で拳銃を構える。

 海に行くな、ということだからおよそ海から何かがやってくるはずだ。南の方では『ニライカナイ』と言って海の向こうに黄泉があるというが。

 しばらく、体感にして数十分は何もなかった。痺れを切らしたか、または何らかの作戦行為か紅壽が波打ち際に近づいて跪き、波に触れた。その時だった。


 ――おいで


 か細い声だったが、しっかりと耳に届いた。

 声がした直後、海面が大きく膨らみ、巨大な波のベールが現れた。いざとなったら鬼の力で氷漬けにしてやろうと意識を集中させている俺たちに向かって、波が一枚の布のように頭上を覆った。

 海水が強く砂を叩き、引いていく。


「あ」


 姫綺が小さく声を上げたのでそちらを見る。先ほどの巨大な波がさらったところに何かがあった。


「ひぃ!?」


 今度は姫眞の悲鳴。

 姉妹の視線が注がれているのは目玉だった。それも大量に。

 右目か左目かわからないが、何個もの目玉がビー玉のように砂に埋もれて転がっていた。


「……これは」


 再び波が立つ。そして同じように砂をさらっていく。

 すると今度は腕が埋もれていた。まるで漂着した流木のようにいくつもいくつも折り重なっていた。


「……体の一部分が流れ着いているのか」


 紅壽の呟きに俺も同意見だった。

 三度波が生まれて、砂をさらって、隠されたものを露わにした。

 今度は足だった。

 波打ち際にあっという間に人体の部品でいっぱいになった。


「組み立てれば人間が出来上がる、とかか」

「そんなプラモデルみたいなこと言わんでよ旦那……」


『怪異』は見当たらないし、俺たちの四肢が引き裂けるような感覚もない。

 ともすればこのバラバラになっている人体を組み立てれば『怪異』になるのでは――と考察したのである。

 俺は試しに目玉をふたつ取り上げて、打ちあがっている顔面の皮と思われるそれに押し付けた。すると、目玉は肌色の海に浸かるように沈んでいき、最終的にかち、と音を立ててはまった。

 いや、おい、本当にプラモデルかよ。

 目玉がはまると同時に、睫毛が生えて瞼が生まれた。


「え、まじで? まじで組み立てんのこれ?」

「クソ面倒だな……」

「まあ」

「……」


『怪異』に出会うためにわざわざ……。

 腹が立ったがそうであるならば仕方あるまい。幸い人数はいる。

 俺たちは部品を集めて人間を創ることにした。


 ◇


 広い波打ち際に漂着した部品を集め、組み立てる。その作業を四人で粛々と行う。


「ねえアヤ、こっちのがええかな?」

「どうでしょう、同じくらいのほうがバランスがよいのでは?」

「そしたら……あ、こっちのほうが」


 などと姉妹で言いながら部品を集めて持ってくる様は、さながら珍しい貝集めに勤しんでいるようで可愛かった。が、持ってくるのが人間の部品なので心境は複雑だった。

 部品同士に接着剤は不要で、勝手にひっついてくれるので楽だった。

 段々と出来上がったその『組み立て人間』は服を着ておらず、だがしかし性別の象徴的なものはなにもなかった。人体模型の内臓が見えていないバージョン、といったところか。


「……できたな」

「おおう、人間だあ」

「本当に出来上がりましたね」

「……」


 浜辺に出来上がったニンゲンは動かない。

 何かがまた足りないのかと思い、探すため立ち上がった時だった。

ニンゲンが跳ね起きた。


「わ!?」


 姫眞がよろけて尻もちをつく。するとニンゲンはじろりと無遠慮に姫眞を見た。

 それから、


 ――おねえちゃん

「へ?」


 姉、という単語に姫眞が反応をする。

 消え入りそうな音量とは裏腹に、ニンゲンは口をがばりと開いた。口の中には歯が前後二列に並んでいて人間のそれとは大きく異なっていた。食らおうとしていることがわかった瞬間、俺は既に動いていた。

 口の中に向けて発砲する。頭が破裂して飛び散り、砂浜にニンゲンが倒れた。


「え? なに? あっけなぁ……」

「あら?」


 姉妹が言う通り、拍子抜けだった。拳銃を構えたまま仰向けに倒れたニンゲンに近づく。


 ――おねえちゃん


 声、そして跳ね起きるニンゲン。撃鉄を起こして引き金を引くまで一秒かからなかった、かもしれない。

 俺が発砲するより先に紅壽が動いていた。

 紅壽は触手に変えた左腕でニンゲンを薙いだ。横に吹っ飛ぶ。飛沫が上がり、ニンゲンが黒い海の中に消えた。


「紅壽」

「……あれが『怪異』か」


 紅壽の左腕は触手に侵食されていた。黒い根が白衣の上を覆い、顔面の左半分にも黒い筋が幾重にも浮かび上がっている。白目も黒く染まっていた。


「終わった……?」


 姫眞が姫綺に抱き起されながらぼやいたが、残念ながらまだだ。

『異界』から脱した気配はしていない。


 ――おねえちゃん


 声、そして、


「――来るぞッ!」


 紅壽が叫んだのと同時に、海の中から頭部の造形が壊れたニンゲンがいるかのように飛び上がった。

 ぐちゃぐちゃになった頭部から、イソギンチャクのような触手がうねっていた。砂浜に着地すると目がないせいか、おぼつかない足取りで俺たちの方へと近づく。朱色の触手が伸びた。触手は明確に姫眞を狙っていた。姫綺が姫眞を庇うように前に出ているのを視認し、連続して発砲する。ぶちゅぶちゅと嫌な音を立てて触手が弾けるのが見えた。気持ち悪かった。

 しかしニンゲンは止まらなかった。


 ――おねえちゃん

 ――おねえちゃん

 ――おねえちゃん


 何度も何度も、姉を求めて歩いてくる。声が二重三重にぶれるので聞きづらく気持ち悪かった。

 姫眞もそうだったのだろう――加えて、彼女は姉という立場でもあるから――耐えかねて、


「俺はあんたの姉やないっつーの!!」


 と文句を言った。

 姫眞の声が響くと、


 ――え


ニンゲンの足が止まった。


 ――なんで

 ――なんで

 ――なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで


 うるせえ、なにがだ。

ニンゲンはぶるぶると全身を震わせた。表面にひび割れが走り、ぼろぼろと崩れ始める。中から現れたものに思わず顔を顰めた。


「……なんだこれは」


ニンゲンの中身は、フジツボだらけの人骨だった。

 黒ずんだ骨のあちこちに穴の集合体がへばりついている様は鳥肌ものだった。


「なにが、どうなって? え?」

「なぜ突然人骨が……」


 姉妹が困惑する傍らで俺は拳銃を構え直した。

 これが『怪異』だと、直感した。


「……外面をいくら繕っても無駄ということか」


 紅壽が何かを悟ったように言ったが、俺には関係ない。

 引き金を引いて、すべてを終わりにした。


 ◇


 膝の上で姫眞が眠っている。横顔にかかった髪の毛を払うと、姫眞が少しだけ反応した。

 存分に愛し合ったのち、ふたりとも疲れて眠ってしまった。姫綺も紅壽の腕の中で、彼の白衣をかぶってすやすやと心地よさそうだった。

 姉妹にはお互いに共通している性癖がある。曰く、()()()()()()()()()()()()()。俺や紅壽というよりもお互いに、というのがポイントだ。姉妹は揃って快楽を享受することで、幸福度が増すという。無論相手を交代するだとかそういうプレイではない。そんなこと、絶対に許可しない。

 姫綺の頭を撫でていた紅壽が不意に俺を見て訊ねた。


「……嘘をついただろう、豪縋」

「嘘?」

「……四人で、というのは君の偽装だ」

「……」

「……事前資料には『海に夜に近づいてはならない』しか書かれていなかった。……なぜ、わざわざ嘘を?」

「……」


 もう一度眠る姫眞の横顔を見遣った。

 狐は他人のみならず、自分のことすら騙す。

 たとえ求めているモノがあっても、巧妙に心の奥底に隠してしまうのだ。

 だから、()()()()()()()


()()()()()()()()()()()()()()()()、姫眞の心持ちが軽くなるだろうと思ってな」

「……それはやさしさではないな」

「どちらでも構わんさ」


 姫眞が満足して、俺も満足するのであれば。


「……あれは理想の姉を作ろうとして失敗した弟の『怪異』だと書かれていた」


 紅壽が資料の文面をなぞるように言った。


「ああ、そうだ。姉は弟を蔑ろにしていて、弟はその扱いに不満を抱いていた。とうとう我慢ができなくなって姉を殺し、しかし姉は欲しいから作ろうとした」


 姉はまるで弟を奴隷のようにこき使っていたらしい。堪忍袋の緒が切れた弟は姉をバラバラに切断し、その部品を海で洗った。そして、部品を再利用して、理想の姉を作り直そうとした。当然うまくいかず、弟もまたのちに死んでしまうのだが、妄執だけが海に居ついたことであの一帯を『異界』にしてしまった。

 きょうだいとはそういうものなのか、と双子の兄がいる紅壽に聞くと、彼はひとつゆっくりと瞬きしてから、


「……必ずしもそうではない」


 と答えた。


「お前たちも普通とは言い違いがな」

「……知っている」


 今する話ではないか。

 壁にもたれる。少しだけ開けた窓から冷たい夜風が入ってきた。

 熱を持て余す体にはちょうど良い。


「すべてを脱ぐことはできんのか」


 何気なしに聞くと、紅壽が襟元をめくった。シャツは皮膚にへばりつき黒い糸を引いていた。


「溶けているのか?」

「……服と皮膚が癒着しているんだ」

「なるほど……。だが毒があふれなくて安心したよ。布団だったからな、やむを得ず近づいてしまう」

「……紗々羅さんに報告しておかないとな」


 姫眞を抱き起して足を組み替えると、そのタイミングで姫眞が目を覚ました。

 蕩けた視線が俺の顔を認識して、「……ごぅついさん……?」と舌足らずに俺を呼んだ。

 可愛い。


「すまない、起こしたな」

「……んん」


 ぐずるように頭を振り、彼女は己の下腹部に手を当てた。

 どこか痛いのだろうか。


「……あつい」


 ぞわ。

 背中に電気が駆け上る。上ったそれは脳天を貫き、理性を焼き始めた。

 衝動のまま唇や瞼に口づけを落とす。姫眞がびく、と体を震わせた。


「……ごぅついさん?」

「お前は本当に可愛いな……」

「……かわいい……?」

「ああ、そうだ。お前は可愛い」


 頬を撫でる。姫眞は笑った。そして、


「………へへ、うれしい」


 と言った。言ったと思う。

 正直、記憶が曖昧だった。


 第八話〝理想のおねえちゃん〟了

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