第九話「その仲に、水を差してはいけない」
箸休めのような話です。姫眞視点。
豪縋さんの話をちょっとだけしよう。
黒髪赤い目。ちょっと吊り目。割とピアスがばちばちに開いている。前は口ピもしていたけれど、もうしていない。腕には菊の刺青がある。
あとは独占欲がクソ強い。あと絶倫。めっちゃ絶倫。性欲はたぶんほかのひとの倍以上ある。やばい。
最初出会った時の俺は男で、偶然だったのだけれど豪縋さんの経営している会社に就職した。最初はうまく気配を消されていてわからなかった。俺も堕ちたもんだなあって思ったけれど。化かすのは得意なほうだったのに。
そして、入社二日目で手を出された。ネクタイで手首を縛られる貴重な体験をした。
退職届は出すたびに破棄された。社長特権というやつである。職権乱用にもほどがある。
入社から一週間後にはタワマンに監禁された。逃げても逃げても逃げても追ってくるのでとうとう諦めた。諦めたら、姫眞になっていた。愛し愛されることで女に戻る呪いで、女に戻った。だから、俺の気持ちは言わなくたって通じてしまう。
戻った時、豪縋さんはやさしく笑った。笑って、言った。
「もう二度と離さないからな、永遠に俺と共にいるんだ」
ほとんどプロポーズみたいな、そんな言葉を。
恥ずかしげもなく。
――まあ、だから。そういうひと、なんだ。
◇
「う~……うぅ~……」
本日の俺は休日です。体が動きません。
昨日の夜はっちゃけにはっちゃけたせいでぼろぼろだった。関節という関節が痛い。
だってアヤが可愛いから仕方ないじゃん……。そんなアクロバティックな体位なかったはずなのだけれど。
布団のうえで唸っている俺を見た豪縋さんはてきぱきといろいろと用意してくれた。俺の布団の周りにはお茶からお菓子、娯楽のための漫画、ゲーム諸々が置かれている。
豪縋さんはというと、
「大丈夫か、姫眞」
俺につきっきり。
布団のそばのちっちゃい机――文机というやつ――で報告書を書いていた。
「だいじょ……ばない、です」
「そうか。飲み物がなくなっているな」
豪縋さんが目ざとく、空っぽになったグラスを見つける。
コーラを注いでもらっていたグラスだ。炭酸でおなかがちょっと膨れたので、お茶が良いな。
それを話すと「待っていなさい」と言って部屋を出て行く。
ちなみに豪縋さんはジャケットを脱いだベスト・オン・ザ・ワイシャツ状態。あの姿もかっこいいよね、調整する腰のベルトがかっこいい。
しばらくしてから明らかに豪縋さんひとり分ではない足音が聞こえた。誰だろうかと待っていると襖を開けてやってきたのは、
「ナオっち、やっふい」
雪紫樹だった。
虹色髪の美少年顔の男の子。彼は『夢魔』なので、やたらと肌色の見える格好をしている。そしててかてかのエナメル質の衣装である。薄く割れたシックスパック、たまらん。
「うっわ、やっぱさむぅ、ここ」
「少し待て、調整するから」
「エアコンかよ、ついちー」
ついちーとは豪縋さんのあだ名である。
ゆっきーは好きなひとは本名、それ以外の親しい友人には基本あだ名をつけるのだという。
俺と似たような考え方だった。本名を呼ぶのも呼ばれるのも最も大切なひとだけにしろ、というのが俺の生まれた『月光都』の考え方だったから。まあそれって、『お父様』だけ生涯尽くせっていう意味なのだけれど。ぶっちゃけ、もうそんな考え方に縛られる理由はないのだけれど、なんとなく、染み込んだ習慣は抜けないものだ。
部屋は豪縋さんの冷気で一年中極寒なので、豪縋さんがどうにかして極寒をひんやり涼しいくらいに調節する。俺は豪縋さんの心臓を持っているから寒くもなんともないのだけれど、放っておくとゆっきーが凍ってしまう。
ちょうどよい温度になったところで、ゆっきーが近づいてくる。
「あえぇ? ゆっきー、どしたん」
「近く寄ったからー」
ゆっきーはそう言ってどっかりと俺の布団の前に座った。お客様だし、と俺が体を起こそうとすると「いーよー。寝てなサイ」と逆に寝かされた。
お、ネイル可愛い。
「ゆっきー、ろっさんとこおらんくてええの? さびしがらへん?」
ろっさんは彼の恋人。元画家で三度の飯より絵を描くのが大好き。
六本手のある鬼で、常に指先は絵具で汚れている。描いている時、寝食忘れちゃうから大変だってゆっきーがこの前言っていた。
「んー今緋色はね、極集中モードなのデス。話しかけても誘ってもぜーんぜんきかないから、出てきた。大作仕上げるときは大体そーなるのよネ」
しかたなしー、とゆっきーはからっと笑った。笑顔が晴れた空みたいに爽やかである。眩しい。
「そいでどこ行こうカナ、って思ってたトコロで。ナオっち最近顔見てないなーと思いまして。そしたらチョーシわるいって。気になったけど、やりすぎってカンジだねー?」
あぐらをかいて左右に体を振りながらゆっきーが言う。豪縋さんは緑茶の入ったグラスを枕元に置いて自分の仕事に戻っている。
「まあ、旦那ほら……絶倫やし」
「ついちーもそうなんだ。ていうか、ミンナそうじゃない?」
「鬼は皆、本能に素直だぞ」
カキモノしながら豪縋さんが言った。
本能に素直すぎるんだよなあ。
「でも言われてみれば緋色もそうカモ。前よりすっごいはげしくなった」
「ろっさん、あんま性欲なさそやもんね」
「ほぼなかったよー俺が誘ってやっと? みたいな。だから最初会ったトキはさあ、マジこいつありえん俺みたいなかわいー子まえにたたねえのかよって思った」
「そうなんや。俺男やったら確実にいってるな」
「お、マジで? うれしー」
あの頃の俺はひねくれていたから、正直誘われて一口ぱっくりとはいかないだろうけれど。
でもゆっきーはかなり可愛いお顔しているから、一度は考えているかもしれない。
「今はどうなん?」
「大作描き終えるとはげしーってなる。そりゃあもう俺歓喜ってカンジでぜんぜん問題ナシなんだけどー。でも緋色が気にするんだよね。〝ごめん、雪紫樹、僕がこんな目に……!!〟 ってすごい深刻なカオしてくるの」
想像ができる。
ろっさんは基本的にたぶんいいひと。かなり。
アヤシイ壺とか売りつけられそうなタイプだなっていうのが初見の印象だった。
「ろっさん、真面目やねえ。旦那なんか謝らへんもんゼッタイ」
「ついちーは謝らないでしょ。プライド高そうだし」
「……ッ!!」
豪縋さんがものすごい勢いで振り返り、俺はものすごい勢いで噴きそうになった。
ゆっきー、割と容赦ない一言を投げる。
豪縋さんと目があったゆっきーはきょとんとしていた。
「え? プライド高いのわるいことじゃなくない? プライドはあってなんぼでしょー」
「……そうか、俺は本人目の前に堂々と悪口を言われたのかと」
「は? わるぐち? あー……マジで、ごめん。俺的にプライド高いのって割とホメ言葉」
「……そうか」
「でも謝らなくちゃってトキは謝るんだよついちー」
「それについては心配ご無用だ」
「そう?」
「うっそ、俺に嚙みついたとき謝らへんかったやん」
「あれはwin-winだったろ」
「どこが」
普通に痛かったんですケド?
どのあたりがwin-winか教えてほしい。
豪縋さんがちらっとゆっきーを見た。ゆっきーは視線で何を言いたいのか察したらしく、「俺耳塞いでるー?」と言って、塞いでくれた。
「……お前、締まったぞ」
「殺すぞてめえ」
思わずドスの利いた声が出てしまった。
殺気に気づいたゆっきーが、
「ついちー。いまたぶん、謝るタイミングだよ」
と促す。
豪縋さんは数分の沈黙の後、「……すまなかった。言葉選びが不適切だった」と不祥事発覚時の政治家みたいな謝罪をした。
俺はゆっきーにジェスチャーしてもう耳から手を外してよいと伝える。ゆっきーは報告書に向かう豪縋さん一瞥してから「ちゃんと謝ってもらえた?」と訊いてきた。
「ええ感じに謝ってもらいました」
「そっか、よかったね。ていうかさー」
「うん」
「ナオっちってどっちが素なの?」
「へ?」
「口調だよ、たまに訛るじゃん」
ゆっきーに指摘されて俺は考えた。でもそう長い時間じゃない。
「どっちも、だね。混ざってんだよ、里の言葉とさ」
「そーなんだ。のじゃさんも独特な口調してるよねー」
「母さんのも里の訛りだ。母さんは特に強いほうらしいが」
「ふうん、そうなんだ」
自分というものを模索していた時、口調がぐちゃぐちゃになった。
だから標準語になるときもあれば、訛るときもある。考えごとは大抵標準語なのに、いざ話すと訛ってしまう。自分でも解明できていない現象のひとつである。
「……というか、よく〝のじゃさん〟が榧さんだってわかったね旦那……」
今一瞬誰のこと言われたのかわからなかった。
すると豪縋さんは手元を動かしながら、
「母さんが珍しいあだ名をつけてもらった、と喜んで皆に触れ回っていたからな」
「ほへえ、うれしいんや」
「母さんと父さんは関わりづらいだろ」
「息子のあなたがそれを言うのですか……」
「息子の俺だからこそわかるんだ」
ふたりのアツアツっぷりは取扱注意って感じありますけれど。
電話かけるのにも配慮が必要なくらい、繊細な夫婦である。
「でもたしかにのじゃさんたちって近寄りがたいオーラあるよね。緋色とかいっちーもちょっとこわいって言ってた。ナオっちは平気だったの? ほら、親に紹介するとかあるじゃん」
「ん~……こっちの習慣やと親に紹介よりも先に『世話役』に紹介ってのがあるんよ。いろいろ面倒な制約ってのがあってね……それよか全然ええひとやってん、めっちゃ安心した」
「ほへえ」
『世話役』にはかなり厳しい目で見られた。当時、今までの習慣が全部変わってすぐだったから狐ってだけで嫌な顔はされた。ものすごいプレッシャーのかけ方されたけど、一緒にいたいから我慢した。
「結構イロイロ大変なんだ」
「そう大変なんよ……」
「でもよかったね、一緒にい続けられてて」
ゆっきーにそう言われて自然に笑っていた。
うん、その通り。ハッピーです。
「んで、ゆっきー。そろそろ戻らんでええのん? ろっさんさびしなって発狂しとらへん?」
だいぶ長い時間――まあここに時間の概念あってなきがごとしだけれど――おしゃべりをしていた気がする。
ゆっきーが、「あ」という顔をして「やっべ」と言ってきょろきょろし始めた。
「……時計ないの、この部屋」
「旦那が時間気にせずやるまくるためにありませーん」
「ガチじゃん!」
そう、ガチなのですよそこの野郎は。
ゆっきーは「じゃお大事にね~」と言ってそそくさと部屋を去っていった。
部屋の気温がとっとと戻った。豪縋さんの机の上はきれいになっていた。どうやら報告書は終わったらしい。
「にぎやかだなあいつは」
「ゆっきー楽しくってすき」
恋バナ好きだし、結構価値観もあう。
ふたりで原宿とか渋谷とかにお洋服見に行ったときは楽しかったなあ。
――というのが、心の中で言ったはずなのにこぼれていた。
「……姫眞? お前、雪紫樹とふたりきりで出かけたのか?」
「……あ」
「三人だって言ったよな?」
「あー……あの、あのですネ。アヤはその、突然用事ができたっていうてー」
「……」
「ちょ、ちょっと待って! 今俺こんなんだよ!? さすがにこの状態はナシじゃない!?」
豪縋さんが近づいてくる。
その赤い目の奥にぎらぎら燃える嫉妬が見える。
「……お仕事に支障出ちゃうよ」
「……」
「……うぅ」
「……謝るタイミングじゃないのか、姫眞?」
「……ごめんなさい」
「……よろしい」
豪縋さんがすっと身を引いた。
許されたみたいだった。
「……俺も、そろそろ卒業すべきだと思っている」
「へ?」
卒業って……
「な、なにから?」
「俺の悪癖から、だ」
「あくへき?」
「俺はお前を閉じ込めてしまいたいと思っている」
豪縋さんは振り返らないまま言った。
少しだけ聞いたことがある。
鬼にはどうしようもない『悪癖』があって、各々違うんだって。
豪縋さんの『悪癖』聞いたことなかったなあ。
「タワマンに俺を監禁したみたいに、ってこと?」
「そうだ。あらゆることを俺の管理下に置いて支配したいと思っている」
あのときはきつかった。
食べるのもそうだし、出すのも全部管理されていた。
「それを卒業、するん?」
「……できれば、な」
なんで?
どうして卒業する必要があるんだろう。
それであってこその、豪縋さんじゃないの?
「……だめ」
「え?」
「だめだよ、豪縋さん。それはずるい。だって俺だけぶっ壊されてあんたは元に戻ろうとしてんの?」
腹が立った。
てめえだけマトモになろうとなんか、してんじゃねえ。
「許されないよ、豪縋さん」
「……姫眞」
腹立つし、さびしいし、かなしいし、それじゃあもう満たされない。
そういう風にされたんだから、責任は持ってほしい。
「……っく」
「む?」
「……ふ、ふふふ……」
「な、ちょ、俺は真剣で!」
「……いや、すまない……ふふふっ、……冗談だ」
「……は?」
「冗談、だ。卒業する気などさらさらない」
「な、な~~~ッ!!」
くっそ、はかられた!
俺、狐なのに騙された!!
「もうっサイアク!! サイアクだよ豪縋さん!! 俺超真剣だったのに~!! って、いってえ、今更腰がクソ痛え!!」
「すまなかった、悪かったと言っているだろう姫眞。こらこら暴れるのはよしなさい、体に障るぞ」
「むぅ~!」
恥ずかしい。ネタにマジレスかっこわるい、じゃん。
豪縋さんはうれしそうにしているから、余計に恥ずかしい。
ひとしきり暴れ終えたあと、俺は豪縋さんの袖を引いた。
「……うん?」
「悪かったと思うなら豪縋さん特製のおっきいパンケーキつくって! アイスのっててはちみつたらすやつ!」
「……今からか?」
「いま! 謝るタイミング!!」
「……はいはい」
俺は記者会見みたいな謝罪では許さない。
ちゃんと誠意をもって謝ってもらわないと。
豪縋さんは笑いながら部屋を出て行った。次に帰ってくるときは大きな皿にふかふかのパンケーキを持ってくるのだろう。バニラアイスとはちみつがのっているやつ。お店で出せるくらいに美味しいやつ。
「……あれ、そいやメゾロンテ」
布団の中に一緒にいたはずのメゾロンテがいなくて、周囲を見渡した。
もぞもぞ足元のほうでなにかが動く。メゾロンテだ。つぎはぎのネコで目は包帯で覆われていて、首にレースのリボンしている俺のキュートな相棒である。
「メゾロンテ~なあんでそないなところおるん? どした、さむかった?」
メゾロンテは「はわ」と持ち前の可愛い声でひと鳴きしてから、
「……馬に蹴られてはなるまいと思ったのです……」
と言った。
あ、それは本当にごめん。
パンケーキはいっしょに食べよな。
第休話〝おいしいごはんはいっしょに〟了




