5.蒸気災害と、あの子のこと
「……んー? イース、起きてたのか」
「あー……まあな」
イースも本当はキャット同じように寝ようとしていた。
しかし、疲労感はたまっていたのに、久々にふかふかな寝床で横になってもうまく寝つけられなかった。
そこでイースは弟の寝顔を見送りつつ、暗い廊下を通って図書館の一階ロビーへ降りて向かった。
そこではまだ一か所だけ電灯が点いており、その下でメルッタがいつものように本を読んでいた。
「邪魔だったか?」
「いや、別に構わないよ。むしろ話し相手になってくれるなら嬉しいくらい。そこに椅子があるから座って」
「……」
イースはメルッタのすぐ横にあった椅子に座った。
結局寝つけられないのは毎度のことで、ここに来るたびに、夜はこうしてメルッタと過ごしていることも多かった。
「そういえば、以前あの……湖の都に行ったんだっけか?」
「そうだな」
「どうだった?」
「どうって……まあ、いろいろとあったよ。学会発表で使ったら怒られそうなね」
「……大丈夫だったの?」
「正直、運よく助かったって思った。故郷から脱する時を思い出したような状況だった」
「……詳しく聞かせてくれ」
イースはそれから……双子の天使像のこと、そして陥没していたのが浮かび上がったことなど、あの都であったことを言った。
やはりメルッタはかなり心配そうな顔をこっちに見せてきた。
「なあイース……キャット、ほっぺたに絆創膏が貼ってあったが大丈夫だったのか?」
「大丈夫……というより、あの絆創膏はこの町で負った傷だからな。よくあることだ。追い剥ぎに襲われてな」
「……本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけないだろ。今日まで生きてしまったがな。こんなんじゃ、キャットがいつまで生きてられるか心配になる」
メルッタは決していい顔はしなかった。
そりゃ、心配になるだろう、とイースは思う。
「はぁ……キャットは無茶することが多いな」
「ああ、本当に昔から変わらないようだね。考えてみたら……ポロもそれくらい無茶苦茶だったと思うけど、今ならキャットには負けるかな、君の話を聞いてるとね」
「ポロ……ポロねえ……」
ポロことポロットは、イースたちより二つ下のメルッタの実弟だ。
彼も彼でとてもやんちゃな子供で、故郷ではキャットと一緒にいたずらをよくしていたものだった。
しかし彼の名前を聞くと、イースはどこか難儀な表情を表に出した。
彼の思い出は、楽しいことも多かったのに、心がずしりと重くなっていくような気がした。
変な客員の立場だった学会からの追放の時の絶望感なんて、まるで目じゃないかもしれない。
「ああ、すまんね。やっぱり彼のことは今でも重荷かい?」
しかしイースは首を振って、とんでもないことだと言う。
「いや、いいんだ。お前の弟の話だろ。そんなわけない」
「大丈夫か? 本当に?」
「昔に比べたら落ち着いて思い出話もできると思うよ」
イースはそう言い切ろうとした。
ポロットは故郷から去る際に命を落とした。
突然地下から湧きだした蒸気で故郷から逃げるしかなかったあの日、ポロットは足を怪我していたため、誰かの支えにならざるを得なかった。
そして、ちょうど居合わせていたイースがその役目を負ったのだったが、彼は何が混じってるかよくわからない蒸気を吸いすぎてしまい、逃げているうちに呼吸ができなくなってしまった。
「蒸気災害」。
この世のあらゆる機械が、宇宙からの電磁波で破壊されていったが、まるでこの星がその刺激を拒絶するようにそれは各地で起こった。
まるで火山地帯で起こるような「水蒸気爆発」が、浅い地表の地学的な特徴にあまり拘らず起こるようになった。
詳しい原因は専門家もこれといった結論は出ていないようだが、これもまた、文明が滅びかけている要因の一つであるのは確かであり、、イースたちが故郷から離れざるを得なかった要因だ。
もしかしたら、この地上で起こり始めた「奇跡」の一つとも言えるのかもしれない。
だがほんの多少の新しい温泉が湧いたこと以外良くない影響ばかりを、人類の文明が受けることとなった。
ただ機械に頼りきれなくなる不便より、直接人を死なせたり、住めない土地を増やしたり、こっちのほうが文明の破壊をもたらしたとも言える。
あれから、イースはポロットのことを忘れた日はない。
最後に覚えていた彼の顔が、キャットに負けないくらいの無邪気な笑顔がまぶしい子が、苦しそうなまま封印されたような顔だったことがとても心苦しかった。
「……まったく、嫌なことがあったものだ。この世界が嫌いになってくる」
イースは、メルッタが呼んでいる本の表紙……「運河の工学」と書かれているのを見ながら独り言をつぶやく。
「おや? どうした?」
「なんでもない、独り言だ」
イースは言った。
メルッタは、視線に本を挟んでイースに言った。
「まあ……弟のことは気にしないでくれ……イース。彼の死は僕も辛いものだ。だがお前が全て気負うことはしてほしくない」
「そういうわけにはいかない。あいつは僕のせいで」
「頼む……お前は全く悪くないんだよ……」
メルッタの表情はうまく見えなかったが、どこか悲痛を覗かせるような声色だった。
彼はたびたびこう言うが、イースは思う。
どうして彼はそう思えるのだろう。
自分だって、もしキャットを失ってしまったら……と思うとつらいのに。
彼だって決して、ポロットのことで、どこか心にひっかかっているものがあるだろう。
とはいえ、そこに触れるようなことはできないし、真意を聞くことはできないだろう。
「……もう、キャットさえいれば僕なんか……」
「……」
メルッタは、イースがそう呟いたのをじっと見つめる。
「なんだ……?」
「なあ……正直なこと言ってもいいか?」
しかしそう言いながらも、どこか歯切れ悪そうに口を止める。
「どうしたんだ?」
「ああ……いや、なんだ」
イースも少し遠慮がちに反応すると、少し態度を改めてメルッタは言った。
「キャット……お前の弟を見ると、どこかポロのことを思い出してしまうんだ」
「似た者同士と言われてたからな」
「いや……確かにそうだったけど、最近はますます……ね」
「……」
メルッタは何かを言いたそうにしていたが、どこか迷っているようだった。
確かにキャットは、故郷を出てから、だんだん子供っぽい、というよりやんちゃになっていってる気もする。
そのことを言いたいのだろうか?
ふと、イースは思った。
キャットは彼なりに、いたずら仲間だったポロットのことを背負ってああなっているのか?
しかし、それでは話は完結できない、ともイースは思う。
廃墟を見て幻想を見ようとする、今のキャットはポロットにはないものだ。
「ちゃんと帰ってきてくれるか?」
考え事をしていたイースにそう言ったメルッタは、まるで願うかのようだった。
「……ああ、なんとかそうしたいさ」
「わがまま言うようで申し訳ないが、お前もポロットのことも忘れないでくれたらいいんだ……」
「……?」
イースはどこか、メルッタの言っていることがいまいち分からなかった。
「いや、変なこと言ってごめん。君が一番わかってるはずだよね……」
「気にしないでくれ」
イースは言った。
「まあ、お前にもちゃんと、キャットも僕も会っていたいしな」
そうイースは言うと、不安な表情は残しつつもメルッタは少し安堵した表情を見せた。