10.循環バス
無人となった村が点在していたとある地域。
訪れたイースとキャットはここで唯一路線が残っていたバスに乗ったが、運転手はまるで死んでいるようだった。
※1話完結の短編です。
一体このバスはどこに行くのだろう。
乗ったはいいものの、イースもキャットも、心配になって確信できなくなっていた。
確かに予定通りに乗ったバスだった。
この一帯は栄えていた時にはいくつものバス路線があったようだが、今ではこのバスが走っている路線しか残っていないようだ。
後払いの形式のようで、車両の後ろの方にあるドアから乗ると整理券はちゃんと機械で発行された。
すっかり人が住まなくなったこの地域一帯で、他に誰一人客が乗っていないのはもう当たり前の光景だが、乗ってから不思議な異変に気が付いたのが、運転手のほうだった。
バスは確かにある町のターミナルを出発し、道路上を安全に走っている。
別にこのバスは自動運転などしているわけでもない。
運転席に人は乗っているが、そこに座っている男性は突っ伏して死んでいるのだ。
イースもいくら死体だらけの場所を歩いたことあるからといって、乗ってから少し死臭の気配がして異変に気が付いたがこれは予想外のことだった。
「ねえ、イース。ハンドルに向かって完全に突っ伏してるのに、どうやってカーブを曲がってるんだろう?」
「こっちが聞きたいよ。この辺り、バス交通がさかんで有名なところだと聞いたけど、まさかこんな幽霊バス……ゾンビバス? が運行しているとは聞いてないよ」
すっかり死体をじっくり見ている弟からの問いに、イースは死体を注意深く眺めながら言った。
死体といっても、死後何年どころか何日も経っているわけでもない。
この一帯は二十年ほど前に、生活が物流的に立ち行かなくなって住民たちが一斉に移住したと聞く。
本当にこのまま十キロほどの場所にある村まで行くことになるのだろうか。
どこか土手の方にひっくりかえって……なんて次元の心配をしているところでもない。
そういえばこのバスに乗ったときも、周りに会ったバスは廃車同然のものが多かった。
今乗っているバスは、乗ってきたバス停に一日四度来る程度の循環運転しているようだが、これ以外に運行している車両はないと聞いていた。
もしかしたら、こんな「ゾンビバス」みたいなものが動いているのかもしれない……とイースはそんな考えが頭によぎった。
しかしこのバスが動いているのは確かだ。
ハンドルも動いている様子はなく、一体どういう原理なのかはまったく不明だ。
「……すまん、キャット。まさか運転手が死んでるなんて思わなかった」
「どうしてあやまるの? だって死体が運転しているバスなんて見たことないでしょ?」
キャットがどこか興味津々な表情で言うと、イースは少し引け目に返した。
「まあ……気にしないでいてくれるならいいが、ポジティブになれるものかね……」
キャットの場合こういうのにはむしろ興味を惹かれるものなのかもしれない。
ただ、このバスが目的地まで無事に辿り着けるかは分からない。
一息付けるかと思えばこうだ。
このバス路線について、ここからちょっと離れた町で「もう動いているか分からない」なんて話を聞きながらイースは教えてもらったのだが、まさかこんなことになろうとは。
やがてバスはゆっくりと町を抜けて、右も左も建物の無い場所が広がる。
あたりは畑や牧草地だったのだろう、今はすっかり草が生えまくっている様子だ。
ところどころに骨となった針金だけが放置された、ビニールハウスだったらしきものも見かける。
人が住んでいる気配はほとんどない。
それから道路の舗装状態はやはりかなり悪い。
もうこういった体験はここが初めてなんてことはないが、かなり揺れる。
道路の様子を見れば、波のようになってしまっている場所も見受けられる。
下手すれば横転でもするのではないか……と思ったが、このバスはちょくちょく危険そうな場所を器用に避けているのを、しばらく乗っているうちにイースは気が付いた。
そして目の前で思わぬことがあった。
何か大きな死体が路上にあったのだ。
おそらくあれは肉牛だろう。
「おいおい、あれは大丈夫か?」
それを見てイースは呟いた。
窓側に座っていたキャットも、既に割れていた窓の枠に触れて、いつでも逃げられるように準備をしていたが、同時にどこか期待をしているような表情だった。
しばらく二人はじっと、バスの動向を見守っていた。
すると、バスは徐行して、肉牛の死骸をうまく避けながら荒れた道を曲がって言った。
「……このバス、実は高度なセンサーでもついてる完全自動とかじゃないよな?」
「それにしちゃ古いでしょ」
「だよな……そんな改造している雰囲気もないし」
おそらくこのバスは二十年もの間管理されてない。運転手が健在でもこうして動いているのがかなりの「奇跡」と言えるくらいだ。
もっと狭い道路だったらどうなってたんだ……なんて考えも浮かぶが、いずれにせよ、本当に、あの死体は何かあるんじゃないかとイースは疑念を持ちながら運転席の方に、揺れている中向かう。
死体の様子を見ていると、やっぱりまだ日が経ってないような状態のようにしか見えない。
別に薬品の臭いもしないが、高度な防腐処置を施されたミイラのようとも言える。
ただごとではないと思う。
†
「よし、着いたな……」
「無事に着いちゃったね」
それから二十分経たないくらいのうちに広場のような場所にバスは辿り着いた。
そこはおそらく元々は大きめのロータリーがあり、それを囲うように別の村の跡地があった。
二人が行こうとしていた目的地はそこだ。
イースは緊張気味に立ち上がって、バスの前の方へ行き、キャットもそれに続く。
液晶画面が壊れて料金が分からないものだから、イースは先に整理券を精算箱へ投入したがなにも反応しない。
「……そうなるよな」
「降りていいのかな?」
「……すまん」
そのまま二人が降りると、バスは静かにロータリーから出発し、来た道を戻って行った。
「……お金、払わなかったけどいいのかな?」
「わからん。そもそも何だったんだあのバス」
イースは混乱していた。
見聞の通り、村の方は人の気配がまったくなかった。
これは聞いた通りの話だ。
もう住めなくなったという時点で放棄されたようで、人間の死体が転がってるなどの様子もない。
しかしそこで見られるのはこれまた壮観な光景だった。
大きくない村なのだが、地図上で見ればちょうどいい場所にあったためか、路線バスの要所となっていたようだ。
近くにあった、ボロボロの路線図を見れば、ここがこの一帯を運行していたバス路線網の要所とも言える。
「へえ……昔はすごく賑やかだったんだろうねえ」
路線図を見てキャットが言うと、イースも頷く。
車庫らしき場所に行くと、さっき乗ったのと同じような紋章が掲げられていたバスが多く並んでいた。
この地域を象徴しているものであるようだ。
そもそもこの場所は、生活ができなくなったまま放棄されたに等しい町だ。
住民たちが一斉に退避したことは大きな出来事だったらしいが、ここにあった多くのバス車両でたくさんの住民たちを各地へ輸送したらしい。
「でも、あのバスの運転手さんはなんで死んだまま運転してたんだろう?」
「運転してたというか……なんだったんだろうな、あれ」
あのバスはハンドルも動かず、手足も動かず、ただ突っ伏してる形で死体が居座っていたようなものだ。
動かせるはずもない。
一体なんだったのだろうか。
「あれもよく分からん『奇跡』って呼ばれてる事象なのだろうか」
「でもちょっとかわいそうだよね。あのままずっとグルグル回ってるってことでしょ」
「……」
「でもそれが生きがいなのかもしれないね。バスの運転がとっても、とっても大好きって」
生きがい。
それだけ、あのバス、ないしこの土地を愛していたのかもしれない。
あの運転手の者の事情など分かりやしないから推測しかできない。
あの場所で飢えでもして死んでしまったのは不運なことなのかも、確実なことは言えっこない。
完全に推測でしかないが、あそこで死んでいるの彼の選択である可能性もある。
「……」
イースはバス会社の看板がすっかり錆びて傾いているのを見る。
あの運転手や、バスの車体に貼ってあったものと同じものだ。
その看板がかかっていた営業所らしき建物は、本来閉ざされながらも、何かの力によってガラスが割られ中が見えていた。
そこには路線図や、このロータリーを発着する時刻業が貼られている。
もはや剥れているところもあるが、それなりに視力のあるイースが目を凝らしてみると、あの循環バスは一日に四度ほどこの町に来るようだ。これは、最初にあのバスに乗った場所でも確認したことであった。
「だれもいないね」
「……動いているバスもない」
キャットが廃車が積み重なっている様子を見ているところでイースは言った。
聞いてる通り、この町に来るのは一本のバスだけだと聞いていた。
しかし、あのバスだけが動いているのだろうか。
†
二人はしばらくこの廃墟を歩き回った。
そういえば自家用車が見当たらない。
バスだけでほとんど生活で来たのだろうか。
決して人口の多い村でもなさそうなのに、大小のバス車両があちらこちらで見かけた。
一台も視界に入らなかったことが、ここに滞在してどのくらいあったか、疑問に思うくらいだ。
それから時間になって二人は再びバスロータリーまで戻ってきた。
「バスくるかなー」
「……こないとちょっと困るがな」
しかしイースの頭の中で、そしておそらく弟も、また来るのか、という懸念が湧く。
あれくらいの距離なら歩いたことも何度かあるが、できれば休みたいところだ。
しかしその心配はおそらく杞憂で、そのバスはやってきた。
「あ! バスが来た!」
「あれは……」
「行きのと一緒だよ!」
なんだか、キャットはとても嬉しそうにしていた。
まるで待ち望んでいた再会を喜んでいるかのように。
近づいてみると、運転席の方に人影が見えてきた。
明らかに顔は下がっている状態なのだが、それでもバスはぐるっと回ってくる。
錆だらけのバスはゆっくりと二人の前に来て、中頃の乗車口の扉を開けた。
「やっぱりあの人が運転してるんだよ!」
「……そうとしか考えられないな」
もういいや、と言いたげにイースはなぜか嬉しそうなキャットに対して言った。
運転席には、行きに二人を案内したあの運転手がいた。
そしてバスはそのまま出発した。
キャットが興味深そうに運転席の方や、窓辺の景色を見ている中、イースは思った。
一体彼はいつまでこのバスを動くのだろうと。
見たところ彼はまだ若く見える。
それほど、バスを運転したかったのだろうか。
この一帯をそれほど愛し、この町でバスを運ぶのが好きだったのだろうか。
二人を乗せたバスは、三つほどの更に小さな廃村を通過してから、最初にこのバスに乗ったターミナルの方へ向かった。
行きと同じで他の車両とすれ違うことはなかった。
「行きも帰りもありがとうね、運転手さん」
キャットはそっと、小銭を入れず機械の上に置いた。
そんなところに置いて、振動で落ちたりしないかと思ったが、すでに後ろの方で数個ほど小銭が落ちていたので、自分たちのような旅人なのかは分からないが、キャットと同じ気持ちの者がいたのだろう。
二人が降りると、そのままバスは扉を閉めて、ボロボロの時刻表に貼ってあった時刻通りに去っていった。




