26話 万華鏡の中の世界〈エイミー父視点〉
『どうして、お父様は実の娘の味方をせずに、他所の家の娘の味方をするのですか?』
「違うっ……」
『今まで私をそんな風に怒ったことなんて、一度も無かったではないですか……!』
「そう言うわけではっ……!」
『王都に行っても素直な心で過ごすようにと見送ってくれたから、その通りにしただけなのに……』
「そんなつもりじゃっ……。違う!」
ハッと目が覚めると、喉はガラガラに乾き、全身汗まみれになっていた。
あの王宮に呼び出されて日以来、毎夜エイミーが夢に出てきて、ロクに眠れた日などなかった。
「あなた、大丈夫?」
私が突然飛び起きたせいか、妻を起こしてしまった。妻もまた王宮でのことが原因で、体調を崩し、また眠りが浅くなっていたのだ。
「すまない。またエイミーが夢に出て……」
「……ねえ、あなた」
「……」
「私たち、どこから間違えていたのかしら……」
妻の声が、静寂な部屋に小さく響いた。
どこから間違っていたのか。私も何度も考えた。
だが、一向にその答えが見つかることは無かった。
「あなた、王宮でエイミーが言っていた言葉を覚えている? あの子、えらく貴族と平民の違いに拘っていたと思わない?」
「ああ、確かにそうだった。あんなに領地民とかかわりがあったのに、どうしてあそこまで……」
分からなかった。自分の実の子であるはずなのに、あの子の心がまるで見えなかった。
何を考えているのかも、ちっとも見当がつかないのだ。
娘だからと言って、甘い言葉ばかりをかけて育ててきたつもりはなかった。
しかし、昔からよく褒められる子だったから、怒ってばかりということも無かった。
ただ、一つ心に引っかかることがあった。
いつもエイミーの問題となることは、私たち、親の目の届かないところで発生していた。
サンディのことだってそうだった。あのとき侍女が居なければ、私たちがエイミーの言動を知る由も無かっただろう。
ずっと気付けないまま、どんどん大きくなる。成長するにつれ、ずる賢さも身に付けたら……。
嫌な予感が脳裏を過ぎった。
「なあ、私たちの目のないところで、エイミーは領地民にどんな態度だったんだろうか?」
「一応、領地民の方々がかけてくださる言葉は、賛美やお褒めの言葉が多かったですが……」
「そんな都合の良いことが本当にあるだろうか?」
「っ……! やはり、私たちはあの子ときちんと向き合えていなかったのね」
妻の言葉は、まさに真を突いた言葉だった。
私たちは領民たちに差し出された、美しい万華鏡の中の世界しか見ていなかったのかもしれない。
いや、万華鏡を覗かせることが、領地民の活路となる環境を整えてしまっていたのかもしれない。
その環境下において、万華鏡の外の世界を知っている者がうんざりし、さらに外の世界を求めて出て行っていたのだとしたら?
『領地民の見本になるべき立場の人間が道義的義務を果たしておらず、また、領地民が安心して暮らすことのできる経済環境を設けることができていない』
陛下に突き付けられた、コールデン子爵家の現状を告げる言葉を同時に思い出し、すべてが今ようやく繋がったような気がした。
今さら分かったところで、手遅れでしかないのだが。
私たちは今、妻の実家の領地に移り住んでいる。
人前に出ないよう、ひっそりと家内の仕事を手伝っている、何とも情けない状況だった。
ちゃんと子どもを教育したつもりでいたが、娘が罪人になるなんて思っても見なかった。
私たちにこんな未来が訪れるなんて、想定すらしたことがなかった。
デビュタントの年齢を越えたら、もうそれは親の責任ではなく子ども本人の責任という人もいる。
でも、それは合っているようで、半分は違うと確信を得ていた。
私たちが、エイミーをあのような性格にする環境を、きっと見事に整えすぎてしまっていたのだ。
少なくともこの期に及んで、加担していないとはとても言えなかった。
『……一度でも良いから、私も誰かに見てもらいたいのです。私はここにいるんだと』
最後に会ったとき、サンディが私に告げた言葉が、ふと心に過ぎった。
こんな言葉、エイミーが言うことなんてあるだろうか?
コールデン領地では、叶えられそうもないとサンディは言っていたはず。
だが、エイミーならこのサンディの言葉に、きっと否と答えるだろう。
つまりは、そういうことだった。
私たちが見たいものだけ、望む世界だけを見てきた結果の末、このような事態にまでなってしまったのだ。
もちろん、生まれ持ったあの子の気性の問題もあっただろう。それならばそれで、出稼ぎに行かせないように止めなければならなかった。
それ以前に、出稼ぎに行かせるような領地経営をしないようにしなければならなかった。
火の車状態になってしまった理由は、先々代の領主の領地経営のつけが回ってきただけだった。
だから、出稼ぎに行かせるのはどうしても致し方なかった。そう言い訳ができた。
しかし、それも遠い昔の話。
それは、ただ単に自分たちが自分に甘すぎただけだったのだと、私たちは今まさに思い知らされていた。
新しく決まった領主、彼が瞬く間に領地に目覚ましい息吹を吹かせたのだ。
ポール・フォレスター、彼こそがその人物だった。
彼は王太子のアーネスト様とともに隣国に行った報奨の一部として、コールデン領の領主に任命された。
王太子の秘書は、通常王太子の業務を補佐する仕事のため、領主に任命されるのは、非常に稀なことだった。
だが彼は着任するなり、火の車だった領地経営の問題を、あっという間に解決させたというのだ。
しかも、王太子の秘書という仕事と並行しながら。
もう領地にかかわりがないから、どのような手法を取ったのかは皆目見当もつかない。
しかし、噂によればアーネスト王太子とリディア妃、そしてサイラス卿の助言があったという。
恨むべき人間に関わりのある領地にも関わらず、これほどまでに手を尽くしてくれるとは、リディア妃はいかに成熟した思考をお持ちなのかと、恥じ入るほかなかった。
そう思ったとき、妻がポツリと呟いた。
「おこがましく図々しい言葉なのは十分承知よ。ただね、私はエイミーにリディア妃のような人に育って欲しかったわ」
涙を流し始めた妻の言葉に同意するように、私は妻を抱き締めた。
「我が子を打つなんてしたくなかった。ただ、すべてに秀でた人でなくていいから、人に愛され愛することができる子になって欲しかったのよっ……」
妻のその言葉に、思わず私の目からも涙が零れた。
今から約20年後、エイミーは出所するはずだ。
だが、そのころ私たちは生きていないかもしれない。
どうか、どうか、これ以上人を傷付けるようなことだけはやめてほしい。
その願いが届くかの確信が得られず不安に苛まれながら、私たちは今日もただただ娘の更生を祈るしかできない。
明日も、明後日も、きっとこの先もこの想いを抱き続けることが、私たちの罰なのだろう。
今まさにその罰を痛感しながら、私は泣き崩れる妻を胸に、堅く目を閉ざすのだった。




