25話 僕ではなかった
ロッドの言葉に茫然としていると、目の前で手がヒラヒラと翳される。
「おい、お前……大丈夫か?」
「っ……ああ、すまない。つい驚いて……」
取り繕うように頭をかくが、ロッドは疑わしいと言わんばかりの視線を向ける。
「もしかして……ショック受けてるとか?」
彼の口から出たその言葉に、心臓を鷲掴みにされたような感覚が襲う。即座に違うと言おうとしたが、喉がギュッと細まり思ったように声が出せない。
そんな僕の様子を見て何かを察したのだろう。ロッドは苛立ったように顔を歪ませ、容赦のない言葉をかけてきた。
「おいおい、図星か? 自分から手放して捨てたくせによ」
「そんなことっ…………」
反論しかけたものの、ロッドの言葉が的を射ていたため思わず押し黙る。すると、呆れを含んだ深いため息が耳に届いた。
「今の女に対する反応を見るに、お前脳筋以外何にも成長して無いじゃん。そのくせ一丁前にショックだけは受けてんじゃねーよ。バーカ」
ロッドの吐く言葉が、どれも僕の胸をグサグサと突き刺す。もうぐうの音も出ない。
「お前もうちょっと危機感持てよ。あと、お前のただの善意が、さっきの女の人生を狂わす可能性もあるってことも自覚しろよ。ま、俺行くから。じゃあな」
ロッドはそう言い残すと、颯爽と駆け去った。そんな彼の後ろ姿を見て、一人取り残されたような気持ちが僕の心を襲った。
◇◇◇
次の日、剣術指南のために中庭に行くとイゴールが近付いてきた。
「ロジェリオ、昨日ロッドにさんざん言われたらしいな?」
イゴールはそう声をかけると苦笑を浮かべる。
「っ……まあ、な」
気まずくて視線を逸らし、濁しながら言葉を返す。そんな僕を見て、イゴールは何かを考えるように視線を彷徨わせた。
「なあ、ロジェリオ」
「どうした?」
「お前って剣以外は俺よりもからっきしなんだな」
イゴールは真面目な顔を一転させ、フンと鼻を鳴らすように笑った。まさか無骨なイゴールにこんなことを言われるとは思ってもみなかった。
だからつい、僕はイゴールに訊ねた。
「イゴールから見ても……僕はおかしいだろうか?」
「おかしいというか……。ああ、何も考えてないのかって感じだな」
何となく、心当たりがある。思わず目を伏せ視線を地面に彷徨わせた。直後、イゴールの更なる言葉が続いた。
「お前はなんて言うか……。良くも悪くも純粋で鈍感なんだよ」
驚き顔を上げると、再び真面目な表情をしたイゴールと目が合った。
「純粋で鈍感? どうしてそう思う?」
何だか自分の知りたい答えをくれそうな気がする。そんな思いでイゴールに問いかけると、彼は何かを考えあぐねるような表情をした。だが、すぐに質問に対する答えを口にした。
「んー、ロジェリオは下手に心が広いって感じなんだよ。他の奴らが自分と同じ度量だと思ってるなら、考えを改めた方がいいぜ」
イゴールは腰に手を当て「例えばだ……」と言葉を続けた。
「そもそも俺はただの平民、ロジェリオは騎士爵を持った準貴族だろ? 他の貴族たちだったら、俺らのこの態度に激高すると思うぜ」
急に激高されても今更困るけどよ、と続ける彼の言葉から、僕は他の人と物の捉え方が違うのかもしれないと思った。
僕はもしかしたら、自分がこう考えているから相手もこう考えているだろうと、錯覚して勝手に決めつけていたのかもしれない。
そう言えば、エイミーのときもそうだった。
僕は彼女を妹のようなただの友人として見ていたが、周囲の見方はそうではなかった。結局エイミー自身も、僕をただの友人として見ていなかったと分かった。
言い訳がましいが、本当に悪気はなかった。だけど、それは自分本位の考え方だったのかもしれない。
そして、昨日ロッドが去り際に言った言葉――
『お前もうちょっと危機感持てよ。あと、お前のただの善意が、さっきの女の人生を狂わす可能性もあるってことも自覚しろよ』
初めて、自身の犯した罪と対峙したような気分になった。
こうしてイゴールと話した日以来、僕は自身のおかしな言動を注意してくれと皆に頼んだ。無自覚で同じ過ちを繰り返したくないと思ったからだ。
その成果は直ぐに表れ、僕は自身が他者からどう見られているのかをある程度自覚することが出来た。一応準貴族の僕を玉の輿で狙っている女性が多いと自覚して、女性に対する態度も改めた。
困ったり助けを求めたりしている女性が居たら、もちろん今まで通り助ける。だけど、そのときは僕一人でなく、周りの人たちに協力を仰ぐ方法をとるなど、僕なりに工夫をした。
リディの恩情に少しでも報いることが出来るよう、態度を改善して反省の意を表明したい。その想い一つで、僕は無防備な己の罪と向き合い続けた。
◇◇◇
そんな日々を過ごすある日の訓練後、僕は近くにいたロッドとイゴールにある質問をしてみた。
「なあ、思ったんだが……二人はどうして騎士になりたいんだ?」
僕はアーネストがロイルに行くときから、騎士になる未来しか考えていなかった。だから騎士を目指すことに疑問を抱いていなかった。だがふと、この二人はなぜ騎士になりたいと思っているのか気になったのだ。
「突然どうしたんだ?」
「それ訊いて何になるんだよ?」
落ち着きのあるイゴールと少し乱暴なロッドの返しに「ただ聞いてみたかったんだ」と苦笑する。すると、胡乱気な視線を向けるロッドの隣にいるイゴールが口を開いた。
「俺は騎士になって、今まで国から守ってもらった分守る側になりたいんだよ。あと、俺みたいなやつが騎士になれたら、ここにいる奴らに夢を見させられるだろう?」
精悍な面立ちに凛々しい笑みを浮かべる彼は、まるで一人の立派な騎士のように見えた。そんなイゴールに触発されたのだろう。ロッドも彼の言葉を追うように、こちらに顔を向けた。
「仕方ねえから俺も教えてやるよ。俺はこの施設があったからこそ、ここまで人生を立て直せた。だから俺は稼いだ金をここの施設に還元したい。その金を稼ぐ手段として、恩人のリディア様の騎士になりてーんだよ」
そう言うと、ロッドは少し気恥ずかし気にふんと顔を逸らした。
「そうか。それで二人とも騎士を目指しているのか……」
噛み締めるように独り言ちると、二人とも「まあな」と頷く。そんな二人の様子を見て、僕は鼓舞されるような気持ちになり、二人に言葉をかけた。
「君たち二人は剣の才能がある。もう少し鍛錬をしたら、近い将来、絶対に騎士爵をもらえるだろう。だから、一緒に頑張ろうな」
そう声をかけると、イゴールは微かに口角を上げ、ロッドは腕を組み耳を赤くしてそっぽを向いた。
「ま、まあな。てか、今日のお前なんか変だぞ? 俺、もう行くからな!」
ロッドは空気に耐えかねたようにそう告げると、その場を後にした。それに続き、ロッドの態度に困ったような笑みを浮かべたイゴールも去って行った。
――僕も戻るか。
備品の整備を……。
そんなことを考えながら、踵を返す。そのときふと、見知った人物の人影がチラリと映った。
――えっ……なぜここにっ……。
慌てて人影が見えた柱に視線を向ける。すると、そこには涙を流しながら僕を見つめる母上の姿があった。
母上は僕が露骨な視線を向けたことで、自分の存在が気付かれたと察したのだろう。驚いた顔をして、その場からあっという間に走り去っていった。
僕はそんな母上の背を咄嗟に追おうとした。だが、自身の立場を思い出しその足を止めた。
――そうだ。
僕はもう廃嫡されたんだ……。
追いかけたら、母上を困らせてしまう。
そうは思うものの、久しぶりの母上の姿をみたせいか、自ずと視線は母上が居た場所に固定されてしまう。
母上はどうしてここに居たんだろうか。僕を見ていたということは、心配してくれていたんだろうか。
どうしてこんなに優しい母上を困らせるようなことをしてしまったんだろうか。なぜ、涙を流させてしまうような人間になってしまったんだろうか。
思わず、視界がジワリと滲んだ。だが、僕が涙を流していいはずがない。
そして僕は何事も無かったように涙を振り払い、荒れ狂う心の波に呑まれながら備品倉庫へと歩みを進めた。
◇◇◇
それから季節が一つ二つと過ぎ去った。そんな今日は、施設中、いや、国中がかつてないほどに賑わいを見せていた。
「絶対にリディア様の姿を見るぞ!」
「おおー!」
「みんな準備は良いか!?」
「おおー!」
そう言っている彼らの楽しそうに沸き立った様子に、僕の口角は仄かに緩む。だが、彼らは僕の姿を見ると顔を硬直させた。
「ロ、ロジェリオ様っ……。これは、その……」
「良いよ。僕は気にしないでくれ」
「あ、あんたは……」
「みんなで行っておいで」
僕がいては皆が気まずいだろう。そう思い声をかけると、皆気まずそうな雰囲気を纏わせながらも、施設を後にした。その直後、外から楽しそうな声が再び聞こえてきた。
――今日はリディとアーネストの結婚式か。
何か、変な気分だな……。
心に渦巻く何とも言えぬ自身の感情に、正直戸惑っている。そんな僕は皆と一緒に行動しない方が良いだろう。そう思った僕は、パレード後に二人の姿を見られるであろう王城に一人こっそりと赴いた。
王城に着くと、ちょうどバルコニーから二人が姿を現した。とても、非現実的な光景だった。
「アーネスト殿下~!」
「リディア様~!」
結婚を祝福するように、民衆たちから二人の名前が飛び交う。そうしていると、二人はバルコニーで誓いのキスを交わした。
その光景を見た瞬間、僕の脳内に雷が落ちたような衝撃が走った。それと同時に、ああ、これが正解だったのかと腑に落ちた。
なぜだろうか。
僕じゃなかった。そのことを痛感したのだ。
そのことに気付いたとき、僕の頬には自然と涙が伝っていた。
今まで見た何よりも美しいリディの姿を見たからだろうか?
二人の幸せな姿を見て出た涙だろうか?
それとも、リディにあんな思いをさせたことに対する罪悪感だろうか?
どういう気持ちなのか分からない。だけど僕は今になって、初めて理解した。
――僕はリディを好きだったんだな……。
人として好きなのか恋愛感情として好きだったのか、正直きちんと分かっていなかった。しかし今、リディとアーネストの姿を見て、初めてそのことをありありと実感した。
だけど、これで良かったんだと強く思う。
自然とそう思えるくらいに、二人が共にいる姿は僕の心の穴を埋めるかのごとくしっくりきた。
リディには僕ではなく、アーネストという代えがたい運命の人がいた。
それを自覚した僕に出来ることは、二人の恒久の幸せを願うこと。
そう心に誓いを立て、僕は憑き物が落ちたような気分でその場から立ち去った。




