平民と貴族と魔力
洗礼式が終わり神殿から出てくる子どもたちが、中央広場で待っていた家族の元へ駆け寄って行く。
式を終えた子供たちはどこか晴れ晴れとし、儀式を体験したことで少し大人の階段を上ったようだ。
周りの家族と同じようにディアナの迎えに来ていたジークとコーナは、他の子の様子を微笑ましく思いながら、まだ神殿内にいる娘を今か今かと待っていた。
ディアナの可愛い洗礼服姿の感想をエミリたちから散々聞かされたジークは、「何で俺はこんな日に仕事だったんだ。」と頭を抱えて本気で悔しがっていた。
兵士の仕事をしているジークは、休みが交代制のため安息日も仕事をしていることが多い。今日はディアナ見たさにいつもより早めに仕事を切り上げて帰ってきた。
親の贔屓目に見てもディアナは可愛い。顔立ちは親のいい部分だけを受け継ぎ、近所の子と外で遊ぶより部屋で本を読んでいることが好きなせいか、年のわりに落ち着いている。
ディアナのことはエミリが特に可愛がり、自分が作った服を着せ替え人形のように着せ、髪と肌の手入れも念入りにしていた。そのおかげで今では本当に人形のような容姿だ。
「なぁ、コーナ。さすがに遅すぎないか?」
「そうね。近所の子はもう出てきているのに、どうしたのかしら?」
「まだ神殿の中にいるなら大丈夫だろうが、終わるまでは大人は中に入れないのがもどかしい。」
周りを見渡すとほとんどの家族が帰路についている。
「はぐれたんじゃないのか?」っと、ジークは規則を破ってでも神殿に入っていきそうな勢いだ。さすがにそのまま神殿に突撃し処罰対象になっても困るので、コーナはどうしたものかと考え込む。
そわそわしながら外で待っていると、神殿の中から出てきた神官がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。神官にディアナのこと聞いてみようかと一瞬、躊躇ったが、平民が貴族である神官に話しかけられるわけがない。
「あなた方が、ディアナの両親ですか?」
まさか声をかけられると思っていなかった二人は、突然その神官に声をかけられ、驚愕した表情でその場に固まった。貴族である神官に対する挨拶や礼の取り方など知らない。
「似ている気がしたのですが、違いましたか?」
「あ、いえ、ディアナは私達の娘です。」
ジークが何とか絞り出した声は、状況が読めず、困惑の色が濃い。しかし相手は貴族だ。吹けば飛ぶような身分でしかない平民は、不敬だと言われないよう必死に顔の表情を抑えておくのが賢明だろう。
「すぐに見つかってよかった。神殿長がご両親をお呼びです。一緒に来てください。」
「え?し、神殿長?娘が何か非礼を?」
「あー、いえいえ。詳しいことは神殿長からお話がありますので、そちらでお聞きください。」
ジークとコーナは顔を見合わせて小さく頷き、神官のあとについて神殿の中に入る。子どもたちがいなくなった神殿の中は、いつもの静寂が戻っていた。
普段は祭壇のある大広間までしか入ることがないので、応接室までの道のりがやけに長く感じる。
足音だけが響く廊下。案内役である神官の後ろを二人は無言でついて行く。
先ほどの神官の言い方からディアナが何かしでかしたわけではなさそうだが、神殿長に呼び出される理由に検討がつかない。
ジークとコーナはたまに視線を合わせ目配せするが、神殿内の雰囲気に飲まれ、声を出すことを臆してしまう。
無言で歩く三人の足音だけが静かな廊下に響く。
コンコン
「神殿長、お連れしました。」
金の取っ手が付いた重厚な扉が開き、まず部屋の中の高級そうな家具が目に入る。そしてそれに座るディアナとディアナの正面に座る初老の男性。この人が神殿長だろう。
「「ディアナ!!」」
「お父さん、お母さん。迎えにきてくれたの?」
両親の心配をよそに呑気に出されたお菓子を食べているディアナ。酷い扱いを受けていないことに二人は安堵し、肩の力が抜けていく。
「あなた方がディアナのご両親だね。突然のことに驚かせて申し訳ない。お二人に話があってこちらへ来てもらった。どうぞ、座ってくれ。」
この状況が理解できず戸惑っている二人を、ウィルビウスは優しそうな笑みを向け椅子へ座るように促す。二人はさっさとディアナを連れて部屋を出たかったが、貴族の言うことに逆らうと碌なことにならない。恐る恐るディアナを挟むように座り、コーナはディアナの手を握る。
「最初にはっきりさせておくが、私たちはディアナにも其方等にも害を加えるつもりはない。ただ、ディアナの事で確認したいことがある。」
「は、はい。」
ジークとコーナは顔を見合わせ、小さく頷くとディアナの方に視線を向ける。あいかわらず呑気な娘はこの状況でお菓子を食べている。
「ではまず其方等のことで確認しておきたいんだが、二人は魔力を使えるのか?」
「は?魔力ですか?俺たちは見ての通りの平民です。魔力は使えません。」
一応、直接確認はしてみたが、魔力がない事は最初の段階で分かっていた。二人からは全く魔力の気配を感じない。まず、言ってることに嘘はないだろう。
「では、単刀直入に聞かせてもらうが、ディアナは其方等の子で間違いはないか?」
「なっ!?ディアナは私たちの子です!!間違いなく私が産んだ子です!!」
「妻の言う通り間違いなく俺たちの子です。」
顔を険しくし声を荒げる二人は、侮辱されたのだと思いウィルビウスに掴みかからん勢いだ。その様子に護衛も兼ねた側近が動いたが、ウィルビウスは片手を上げ護衛を制し、神妙な顔で二人を見た。
「其方等の子というのは理解した。では、其方等の祖父母かそれより祖先に貴族だった者はいるのか?」
「はぁ?いませんよ。俺たちにお貴族様の血は入っていません。一体これは何の質問ですか?」
二人の様子から見ても元貴族ではなさそうだ。しかしそうなると、平民からこれほどの魔力持ちが産まれるものなのだろうか?
「あぁ、すまないね。では、本題に入らせてもらおう。其方等の娘は魔力持ちだ。洗礼式で行う識別登録の際に魔力があることが分かった。其方等は娘が魔力持ちだと知っていたのか?」
「えっ?魔力?」
「登録のやり方は知っているだろう?本人の血を魔紙に付けることで住民登録ができる。その登録を行った時、魔紙がその血に含まれる魔力に反応した。」
ジークとコーナは驚愕した表情でお互いの顔を見合わせ、おとなしく隣に座るディアナに視線を向けると、ディアナは既にこの話しを聞いていたらしく平然と座っている。
「俺たちは平民です。間違いなくディアナは俺たちの娘だ。俺たちに魔力がないのにディアナに魔力?どう考えてもありえない。魔力持ちなわけがない。」
声が大きくなったジークを不安そうな表情で見ているディアナ。コーナは安心させるためにディアナをそっと抱きしめる。
「先ほど直接確認したので魔力があるのは間違いない。日常生活で何かしら魔力の影響が出ていたはずだ。一番分かりやすいのは、傷の治りが早いっということだろうか。」
意味が分からないと言わんばかりに呆然とした表情のジークとは対照的に、コーナは何か思い当たることがあるのか、口元に手をあてて何か考え込んでいる。
「あの…だったら成長が早いのも魔力の影響と関係ありますか?立つのも喋り始めるのも同年代の子に比べるととても早かったです。親の贔屓目もあってその時は深く考えていませんでしたが、成長が他の子より倍以上は早い気がします。」
「成長が早いのは魔力保有者特有の症状だ。魔力量の多い者は、魔力の成長に合わせ体の成長が引っ張られる。」
ずっと何とも言えない違和感を感じていたコーナは、小さな胸のつかえが取れ、先ほどまで強張っていた顔が噓のようにホッとした顔で表情が緩んでいる。ジークに関しては、あいかわらず顔を顰め、納得いっていない表情だ。
二人の表情を見たウィルビウスは、これ以上の質問は無意味だとは思った。二人は間違いなく平民で、今日まで娘の魔力の事を知らなったのだから、この件に関して有益な情報は出てこないだろう。
「それでだ、其方等に提案がある。ディアナを神殿に預けるつもりはないか?」
「「は!?」」
ウィルビウスの突然の申し出に、貴族にディアナを取り上げられるのではと一瞬で顔色が変わる。基本的に神殿で働く者は貴族しかおらず、神殿へ預けるということは貴族へ預けるということだ。
見目美しい平民の娘を愛妾に望む貴族もいると聞く。この二人もその可能性を心配しているのかもしれない。
「魔力を持つ者がその使い方を知らないのは危険だ。感情一つで魔力が暴走することもある。制御できない魔力の暴走は、望まないまま周りを傷つけ、最後は自身も魔力に飲まれ死ぬ。」
二人はディアナを背に庇うように座り、かなり警戒している表情だ。できれば穏便に進めたかったウィルビウスは「提案」っという言葉を使ったが、このまま拒否されれば貴族の命令という形で取り上げるしかない。
「娘を貴族に、あなたに差し出せということですか?」
「いや、私ではなくこの神殿で預かりたい。神官が魔力の扱い方を教え、商人の子たちと共に神殿学校で教養を教えよう。」
「娘に教養?平民の娘に何の意味がある。」
「魔力を持っている以上、将来、魔力を使う職に就く事もできる。平民の仕事の何倍も稼ぐことができるだろう。だが、魔力を使う仕事は貴族相手の場合が多い。その為には貴族相手に通用する教養は必要だ。」
どうしてこうなった?おめでたい娘の洗礼式が、気づいたら貴族へ取り上げられる話しになっている。こちらに選択権は残してくれているが、この申し出を断ることはどう考えても不可能だ。
神殿学校は平民の中でも裕福な商人の子たちが通っているらしい。同じ平民同士でも差はあるが、その中で学べるのなら問題ないのかもしれない。
「ディアナ。ディアナは魔力があると聞いてどう思った?勉強したいか?」
ディアナに魔力があると言われてもいまだに理解できないが、もし本当に魔力があった場合、困るのはディアナだ。どうするべきが考えても正解だと思える納得のいく答えに辿り着きそうにない。だったらディアナの望むことを全力で手助けすることが親として正解だろう。
「え?いいの?わたし魔力の事を知りたい。勉強したい。お父さん、いい?」
あぁ。うちの娘可愛い!可愛い娘にお願いされて断れる父親が世の中にいるのか!?
いや、いない。俺には無理だ!!
「ディアナをよろしくお願いします。」
ウィルビウスに頭を下げるジークの拳は、膝の上できつく結ばれていた。コーナはそれに気づくと、そっと手を伸ばし自分の手をジークの手に重ねた。