変わらない日常と変化
カーテンの隙間から漏れる朝焼けの陽ざしに、閉じていた瞼がうっすらと開く。ゆっくりと背伸びをしながらベッドから起き上がり、厚手のカーテンを開けると、白を基調とした豪奢な部屋に暖かな朝日が射し込む。
客室とは思えないほど広く日当たりの良いこの部屋は、わたしに与えられたリゲルの屋敷の一室だ。
先ほどまでぐっすりと寝ていた薄いレースで囲われた天蓋付きベッドは、二人で寝るにも十分なくらい広く、ベッド近くの窓側に置いてある猫足の可愛らしいイスとテーブルは特注品らしい。
部屋の中央に置かれた座り心地の良いソファとガラステーブルは、勉強終わりのうたた寝スペースと化している。
最近は朝日が昇る前に起床することが多かったので、こんな遅い時刻まで寝ていると物凄く寝坊した気がする。とはいえ、侍女がまだ起こしに来ない以上、貴族の決まり事として自分で着替えもできず勝手に部屋からも出れない。
二度寝するには微妙過ぎる時刻なので、寝る前に読んでいた聖典を本棚から取り出し、寝間着のままソファに座って続きを開いた。
「おはようございます、ディアナ様。あら?またご自分でカーテンを開けられたのですね。私が来るまでベッドから出ないようにお伝えしましたでしょう。」
ワゴンを押して部屋に入って来たヴァルナは、カーテンを開けソファで読書をしていたわたしに気づくと、呆れたように小さく息を吐く。貴族のご令嬢は侍女が起こしにくるまで、ベッドから出てこない。そしてカーテンを開けるのは侍女の仕事なので、それを開ける行為は以ての外だ。
「おはよう、ヴァルナ。だって奉納式の時は一の刻には起きるのが当たり前だったし・・・」
完全に太陽が昇っているのを見ると、既に二の刻は過ぎているだろう。逆にこの時刻まで寝ていたことに驚きだ。これ以上の怠惰な生活は、神殿に戻った時が辛くなりそうで怖い。
呆れ顔のヴァルナは読みかけの本を本棚へ戻すと、ワゴンで運んできた水桶をテーブルに置いた。水桶に張られた温めの水で顔を洗うと、侯爵家が使う最高級のふかふかのタオルで顔を拭き、すぐに朝のお手入れが始まる。
蒸しタオルを顔に当て、顔周りと頭皮のマッサージ。その後は乾燥を防ぐために全身にクリームを塗る。
マッサージは体が成長して以降に始まった新しいお手入れだ。中身は九歳でも見た目が成長しているので、それに合わせたお手入れが必要らしい。
お手入れの最中に侍女が持ってきた数枚のドレスを見て、「今日はそれで」っと指をさすと、そのドレスに合わせた装飾品選びが始まった。基本的にドレス以外は侍女に選んでもらっているが、こだわりのある令嬢は、装飾品から化粧にやり方まで全て口を出すらしい。
「ねぇ、ヴァルナ。リゲル様は昨夜も帰って来られなかったの?」
「はい。お忙しいようですね。」
「そっか・・・リゲル様に会いに神殿に行っちゃダメ?」
背中にあるコルセットの紐を縛るヴァルナと鏡越しに目が合い、ジッとその表情を伺っていると、困った表情で首を横に振った。頷いてくれるとは思わなかったけれど、リゲルには会えないし外出はできないし暇で暇で仕方ない。
あの日、ラングンの小神殿を出発後、途中の街で休憩を挟んで一泊し、次の日には王都へ戻ることができた。
神殿には事前に連絡がいっていたらしく、到着後すぐに家族と面会できるよう、温室はわたしたち家族以外の立ち入りが禁止されていた。
家族には成長したことが伝わっていたようで、わたしの姿を見て驚いてはいたものの、無事に帰ってきたことを喜んでくれた。お土産を渡したり、奉納式で行った街の話しをしたり久しぶりに家族だけの時間を過ごすことができた。
その後、ウィルビウスと両親の話し合いの場が設けられ、その日のうちにわたしはリゲルの屋敷へ送られた。
神殿長室でどんな話し合いが行われたかは分からないが、困惑顔の姉たちと違い、笑顔で「また会いに来るから」と言って送り出してくれた両親。そんな家族の姿に、離れたくないと泣くタイミングを完全に逃してしまった。
リゲルの屋敷に到着してからは、わたしの今後のことが決まるまで、敷地内から出ることを禁止された。屋敷内に入って来る人たちも制限しているらしく、警備がやけに厳重。屋敷の中に配置された護衛だけではなく、屋敷周辺にも護衛がいる。
それ以外にも屋敷を囲うように魔力で障壁が張ってあった。王宮の周囲に張ってある守りの壁の縮小版だ。以前はこんなものなかったはずなので、これを施したのは最近だろう。
そしてその日から怒涛の様に毎日が過ぎ・・・とはならず、主不在の屋敷の中で至れり尽くせりのお姫様扱いを受けることとなった。
あれだけ毎日やっていた淑女教育も、ほぼ習得しているという理由で不要となり、神殿学校へ行けない間の授業の資料もリゲルが大量に用意してくれていた。この分だと暇を持て余す暇がない。
今こそ有り余る時間と魔力で香油作りをしたいところだが、まだ魔力を使うことを禁止されているので、残念ながら香油を作ることができない。
身体が成長したことで魔力の巡りが良くなり、魔力を消費させる必要はなくなったが、できればこの間に注文を受けている分の香油作りをしておきたい。大量の授業の資料で、暇を持て余す暇がないと言っている場合ではない。
ここへ来て変わったことと言えば、王都に帰ってきて以来、護衛がアーレウスからリゲルの護衛をしていた騎士に変わった。多分、今回の件で騎士団の派遣も増え忙しいのだろう。暇を見つけては遊びに来ていたレグルハウトにすら会えていない。
「うっ」
コルセットの最後の紐をギュっと締め上げられ、気の抜けた呻き声が漏れる。成長期の間は骨格を歪める可能性があるのでコルセットは締め上げないが、わたしの場合は既に骨格の形成がほとんど出来上がっているので、七割方の力で締めて問題ないそうだ。これでまだ七割とか貴族怖い・・・
「ディアナ様の場合、細すぎるのであまり締めすぎても女性らしさが削がれるのですが、これも淑女教育の一環と思って我慢して下さいね。」
「分かってます。ドレス姿を美しく見せる為には必要なのよね。」
大きく「はい」と頷いた侍女たちは、次に先ほど選んだドレスを手際よく着せると、髪型をセットし髪飾りを付ける。予定もないのに毎日こんなに着飾る必要があるのか不思議だが、これが貴族令嬢の普通だと言われれば従うしかない。
「本日も朝食は温室で召し上がりますか?」
「うん、お願い。あっ、それからドゥーベの準備もお願いしていい?食後にそのまま温室で練習するわ。」
「かしこまりました。」
侍女たちは恭しく一礼し、部屋から出て行く。部屋に残ったヴァルナが、温かいお茶を淹れてくれた。爽やかな香りが部屋に充満し、鼻孔をくすぐる。
「そういえば、先生の件はどうなってるの?神殿学校へ行けないなら、せめて先生は呼んで欲しい。教材は用意してもらえても、一人じゃダメなところが分からないよ。」
小さく息を吐くと、ヴァルナも少し困ったように眉を下げ「そうですよね。」っと微笑んだ。この件は何度もリゲルへお願いしているが、講師が派遣される様子はない。それどころか、ここ数日はリゲルに会えていない。
温室へ行くために部屋から出ると、歩き出すわたしの前と後ろを囲う位置に護衛が付く。屋敷内ならどこでも自由に行き来できるとはいえ、一歩でも自分の部屋から出ると常にこの位置に護衛が付くのだから、貴族令嬢は大変だ。
アーレウスたちの付かず離れずの緩い護衛とは違い、今回の護衛は一定の距離にピタリといるので気が抜けない。
温室へ入ってからは、外へ続く各扉前に護衛が立ち、蟻一匹通さない鉄壁の布陣が完成した。ヴァルナもこの時刻は別の仕事をしているので、ここでは侍女と給仕以外の出入りはない。食事が終わればその給仕もいなくなるので、侍女が待機するだけだ。
目の前に用意された朝食は、身体が成長したことで食べる量が増えたわたしに配慮した品数で、ふんわりパンと温かいスープ、卵料理と燻製肉が並び、サラダに果物とデザートまであってかなり豪華。
最初はこの品数と量に驚いたが、わたしの体格にしてはこれでも少ない方らしいので、意外と貴族は大食いなのかもしれない。確かにリゲルは細身なのによく食べる。
食事が済むと、ここでドゥーベの練習を始める。侍女からドゥーベを受け取り、用意された椅子に座って曲を奏で始めた。
成長したことで手足が伸び、指の位置に慣れるまで少し戸惑ったが、逆に慣れてしまえば弦が扱いやすくなった。今まで指が届かない届きにくいっという理由で弾けなかった曲も、難なく演奏できる。
新しい曲の楽譜を見ながら、指の位置を確認する。今は講師の先生がいないので、ヴァルナや侍女たちが講師の変わりを務めてくれている。高位貴族の屋敷に勤めている使用人のほとんどが、実家の爵位が高い貴族が多く、侍女たちは生粋の貴族令嬢なので楽器などの教養がある。
わたしに付いている若い侍女も、結婚前の行儀見習いで来ている貴族令嬢なので、楽器や刺繡などの教養は既に叩き込まれている。
ポロン、ポローン
『我、今、喜び胸に、』
今はもう楽器を弾いても、無意識に感情が昂らなければ魔力は流れない。それでも気持ちを乗せて声を出すと、わたしの魔力で空気が震えているのが分かる。
魔力の多い人間は声そのものに魔力が宿っているらしく、まさにわたしの声がそうらしい。と言っても本当に微量らしいので、周囲への影響はないそうだ。
今日は黙々と曲を奏でたいという気分に任せて、式典用の曲を延々と弾く。本当は駄目なことだけど、侍女以外が聞いていないのをいいことに、最後の余韻を残すことなく次々に曲を奏でた。少しアレンジも加えながら言葉を紡ぎ、弦を弾く。
ポローン
「・・・君は私の目がないとそんなに不真面目だったのか?」
満足して演奏を終えたタイミングで聞こえてきたその聞き慣れた声に、驚きと歓喜で慌てて顔を上げると、温室の壁に寄り掛かるように呆れ顔のリゲルが腕を組み立っていた。
「リゲル様!おかえりなさい。・・・あの、どこから聞いてました?」
「式典での曲を弾き始めた時だな。」
「それってほとんど最初からじゃないですか!だったらもっと早く声を掛けてくれてもいいのに。」
小さく息を吐くと、薄っすら微笑んだリゲルは休憩用に設置されているソファに腰かけ、侍女が淹れたお茶を飲む。いつ見てもその仕草一つ一つが洗練されている。
「一人で練習して変な癖が付く前に講師は用意するつもりだ。もうしばらく待ってほしい。」
「分かりました。ありがとうございます。」
忙しくてこっちまで手が回っていないのだろうと諦めていたが、ちゃんと探してくれていたようだ。リゲルの方を向いて頭を下げてお礼を言うと、何とも言えない微妙な顔をされた。
「君がお礼を言うことは何もない。こちらの都合でここへ閉じ込めるような形になっているのだから、できる限り不便のないように手配はするつもりだ。」
チラリと先ほどまで侍女が立っていた場所を見ると、いつの間にか侍女は下がっており、護衛も扉の側にいるもののわたしたちの声が聞こない位置にいる。多分、リゲルの指示だろう。
「今後のことを少し話しておきたい。君の養女の件だが、対外的に発表するのは月詠みの儀のタイミングということは変わらないが、書類上の手続きは許可が下りたので既に始めている。不備がなければ十日ほどで受理されるだろう。」
「・・・貴族になっても家族に会えますよね?会っていいって言ってましたよね?」
薄々は気づいていたけれど、養女になる予定は大幅に早まっていた。家族も養女になることは了承しているし、今後も神殿でわたしたちは会うことは可能だ。ただ、本当に貴族と平民という壁はないのだろうか。
「以前も説明したが神殿の中であれば会うのは問題ない。それから私の両親が、養女になる君といまだに顔合わせができていないことが不満らしい。次の安息日に顔合わせの晩餐を開くと母が張り切っているので、そのつもりでいてくれ。」
「え?」
晩餐?何それ聞いてない。いや、今聞いたけども。
「顔合わせが済み次第、君の居住は本邸の方に移ることになっている。令嬢としての教育はここでもできるが、実践的なことは侯爵夫人である母に任せようと思う。生活拠点は私のように神殿になるだろうが、今後は本邸が君の家だ。」
「え?」
リゲルの両親の住む侯爵家に住む?大貴族の屋敷に?いや、今もリゲルの屋敷に住んではいるけども。
「顔合わせの場で改めて今後の話しはするつもりだが、いま君が聞いておきたいことはあるか?」
聞いておきたいこと・・・家族以外のことで聞いておきたいことがすぐに思いつかず、考えるように首を傾げていると、リゲルから鼻で笑ったような呆れた声が聞こえる。
「君が家族のことしか考えていないのは分かっていたが、まさかここまでとはな。まぁいい。私はまた数日、屋敷を開けることになるので、何かあればヴァルナを通して伝令を飛ばしてくれ。」
「あっ・・・はい。分かりました。」
連絡はしていいと暗に言い残すと、リゲルはサッとソファを立ち上がり颯爽と温室を出て行った。すぐに屋敷から馬車の出て行く音が聞こえたので、忙しい合間に帰ってきてくれたのだろう。
温室に残ったわたしは、侍女が淹れ直してくれた温かいお茶を飲みながら、リゲルに言われたことを一人で考えることしかできなかった。




