嘆きの聖女と不穏の種
「まだ混乱されておりますが、少し落ち着かれました。」
部屋の外で待機していたレグルハウトは、部屋から出てきたヴァルナに促され、部屋に入った。新しい部屋着に着替え直したディアナが、困惑した表情で長椅子に腰掛けている。
「ディアナ。」
名前を呼ぶと躊躇いがちに顔を上げ、潤んだ赤い瞳をますます潤ませた。今にも溢れそうな涙を必死に堪えている姿に胸が痛む。
この娘は普段、年齢よりかなり落ち着いているので、まだ月詠みの儀も迎えていない少女であることをつい忘れてしまうが、この時ばかりは年相応の九歳の娘なのだと実感した。
「レグルハウト様。」
隣に座り頭を撫でると、気が緩んだのか、大きな瞳から涙が溢れ出した。我慢していたせいか、一度それが決壊すると簡単には止まらないらしい。耐えるように声を殺し、粛々と涙を流す姿に、胸が痛くなった。
そのまま頭を胸元に抱き寄せると、縋るように顔を埋め、ついには嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
体が成長している。
目覚めたディアナの変化に気づいたときは、思わず息を吞み言葉を失った。寝起きの憂いを帯びた表情がやけに艶っぽく、見慣れていた子どもらしい丸みを帯びた幼い顔立ちが、尖った顎のほっそりとした輪郭に変わり、大きかった瞳からは無邪気さが消え、目を伏せる度に色気さえも感じる。
元よりはっきりしていた目鼻立ちで、整った美しい顔立ちの子どもだったが、成長してこれほど美しくなるとは想像以上だ。
少女の愛らしかった幼さは消えたが、成長途中の女性だけが持つ儚い美しさがあり、そのひどく困惑した表情が庇護欲をそそり、自然と抱き寄せていた。
背中に手を回し抱き寄せるたと、ベッドに寝ているときは分かりづらかった、子どもの柔らかいだけの体から、少し骨ばった女性らしい柔らかさを帯びた体付きへ変化していた。
顔立ちだけでなく、体も大人の女性へと成長したようだ。
ディアナ本人は、目覚めてすぐは体が動かないこともあり、自身の体の成長に気づいていなかった。
本人がこのことに気づいていないのなら、どうやって伝えるべきか悩んでいるうちに、体が動くようになり、自分の体に違和感を持ち始めた。
会話の途中でたまに不思議そうな顔をするが、その違和感を払拭するほどの確信もないようで、その一方で私も言い出すタイミングを逃していた。
しかし、一度、違和感を持ってしまうと、小さな疑問があっという間に確証に変わる。ディアナは、顔にかかる長く伸びた金糸の髪と、ほっそりと長く伸びた足を見て、すぐに侍女を呼んだ。
直後、部屋に入って来た侍女は、ディアナの姿を見てすぐに状況を把握し、その優秀な侍女の判断で、あっさりと部屋を追い出された。
「リゲルには伝令を飛ばしてある。すぐにこちらへ来るだろう。」
「わたし・・・少し寝てただけですよね?・・・何で?ねぇレグルハウト様、何でわたしの髪はこんなに伸びてるんですか?」
「ディアナ、大丈夫。大丈夫だ。」
この状況に混乱し、力なく胸元で泣いている姿は儚げで、今にも消えてしまいそうだった。無意識に伸びた手は、その伸びた髪を丁寧に梳くように頭を撫でる。
隅々まで手入れの行き届いた艶のある金色の髪からは、ディアナが好んで付けている香油の匂いが香っていた。
「怖いです。レグルハウト様、怖い。」
成長したのは見た目だけではなく、恐怖で擦れたその声も、聞き覚えのある子ども特有の耳に響く高音の声から、成人女性の少し低い柔らかいものになっている。
「成長が魔力に引っ張られることは珍しいことではない。以前も眠っている間に成長したことがあったであろう?その時と状態は同じだ。」
「こんなに成長するなんて聞いてない。変ですよ。おかしいです。」
背中をさすりながら、震える体を強く抱き締めると。強張った体から少し力が抜ける。こんな状況だが、不覚にもこんなに信頼されていることに、喜びを感じていた。
「魔力の多い者は誰にでもありえることだ。其方の場合は短時間で一気に成長したが、成長すること自体は異常ではない。」
「分かってます。でもこんなの変です。無理。」
成人前の子どもの見た目と年齢が合っていないことは、魔力量の多い子どもではよくあることだ。元々、魔力量が多く同年代に比べると成長が早かったディアナは、本来の年齢より三、四歳は上に見えていたが、今回は一気に成長が進み、成人の儀を迎える年頃の娘に見える。
魔力量の多い王族でもこれほど急激な成長は珍しく、私も侍女も突然のことでさすがに驚いたが、ディアナの魔力量を考えると、成長そのものはありえることだと納得している。
もちろん私自身も成長は早かった。そして現在の王位継承者の王子たちも成長は早く、高位貴族のリゲルも成長が早かったと聞く。
貴族にとって魔力の影響を受けて成長することはそれだけ当たり前で、幼い頃より魔力を身近に感じながら育つため、羨望の眼差しで見る者はいても薄気味悪いと思う者はいないだろう。
だが、ディアナは平民だ。その当たり前を見て育っていない者が、突然、成長した自身の姿を受け入れることは簡単ではないだろう。
「自分が自分じゃないみたいで怖い。」
背中にかかる髪を撫でながら、泣き止む気配のないその震えた体を、もう一度、強く抱き締める。今のディアナには、どんな気休めの言葉を掛けても慰めにはならない。
ただ、だからこそ酷ではあるが、事実は正確に伝えておかなければならないと強く思う。
「今は辛いかもしれないが、其方の成長はまもなく止まるだろう。今後はその見た目に年齢が追い付く。だが、それは幸運と捉えるか、不幸と捉えるかは其方の考え方次第だ。」
「それはどういう意味ですか?」
「成長が止まるということは、若い体でいられる期間が人より長くなる。貴族が平民より寿命が長いことは知っているな?医療が発達しているということもあるが、一番は魔力の影響だ。」
魔力量の多い者は幼い頃の成長は早いが、成長期が過ぎ青年期に入ると、魔力を維持する為に、体が出来上がった一番良い状態の年齢で老化が止まる。魔力量か個体差か、人それぞれ止まるタイミングは違うものの、概ね二十歳前後だ。
その後は魔力量に合わせて緩やかに老化が進むが、そもそも魔力量の多い者はその老化がなかなか来ない。若さを求める者は単純に喜んでいるが、役職などで上に立つ者は見た目の若さ故、貫禄が出ず下の者に示しがつかないという理由で、あえて魔法を使い壮年の顔立ちにしている者もいる。現王や神殿長であるウィルビウスもその一人だ。
「貴族ではないわたしにもあてはまるということですか?」
「あぁ。これは貴族だからというわけではなく、魔力量の多い者は若く、長命だ。」
貴族の中でも飛び抜けて魔力量が多い王族の若さと長命は、この大陸では誰もが知っている有名な話だ。魔力量の多い一部の上位貴族にも長命な者はいるが、やはりその割合は王族が多く、一般的な貴族の倍の寿命だと言われている。そしてディアナも、王族と変わらない歳の取り方だと思われる。
「何ですかそれ。成長しないって・・・貴族は当たり前のことでも、下町では奇異の目で見られます。」
「貴族の容姿など下町の者は気にしないだろう。元より養女になってしまえば、気軽に下町へは行けなくなる。」
「それはリゲル様からもお話があったので分かってます。だから養女になるまでは、家に帰って家族と過ごすつもりでした。それなのに、こんな姿じゃ帰れないですよ・・・」
いつの間にかディアナの涙は止まったらしく、今の状況を理解しようと考えているようだが、すんなり受け入れることができないのか声色に力がない。
抱き締めたまま背中を撫でていると、グリグリと頭を押し付けるように胸元に顔を埋め、力なく抱き付いてくる。
全身をこちらへ預け、無防備に甘える姿は、もう以前の幼い少女のものではなく、その姿は立派な成人女性だ。改めてディアナの姿を凝視し、今さらだが頭を抱えたくなった。
成長してもあいかわらず華奢ではあるものの、肉付きは悪くない。その柔らかい体付きに、ふんわりと香るディアナの香油に眩暈を覚える。
さすがプロと言うべきか、壁側に控えている侍女は気配を消したまま、この状況を止めるつもりも咎める気もないらしいが、これはディアナの淑女教育を急いだ方がいいのかもしれない。
縋りついてくるディアナに「これはダメだろう。」と小さく溜め息を吐きながら天を仰ぎ、つい漏れ出てしまった私の心の声は、この優秀な侍女のみが静かに聞いていた。
「わたしの姿を見て、気持ち悪いって思われたら嫌だな・・・」
「其方の家族なら成長した姿も問題なく受け入れるだろう。」
「でもきっと、近所の人は簡単に受け入れてはくれないですよ。今でも変な目で見られているのに、ますます家族が晒しものです。」
「忘れているようだが、貴族の移動は馬車が基本だ。其方が下町へ帰ろうと、あの狭い道を馬車で移動になる。どちらにせよ注目は浴びる。」
「あっ、そうでした。」
今後は貴族としての意識付けの為、常に側に護衛を付け、馬車移動が鉄則だと冬籠もりの間、散々リゲルに言われていたはずだが、この反応、完全に失念していたようだ。しかし、状況が変わった今、ディアナに甘いとはいえ、このまま易々と下町に帰らせるとは思えない。
「そもそも、これまでも馬車で送迎されていたではないか。変な目で見られるのは今さらだと思うがな。」
「まぁそれはそうですが。でも今までと注目の意味が変わってきます。」
あいかわず力なくこちらに体を預けているが、少しずつ小言が増えてきたので、気持ちが落ち着いたのだろう。撫でていた背中を軽く叩き意識をこちらへ向けさせると、ゆっくりと顔を上げ不思議そうに首を傾げた。
「それならば、神殿の部屋に家族を招いて過ごせばいいだけの話ではないか。其方は家族と過ごしたいだけなのだろう?其方の部屋がある温室は平民の出入りも自由な区域だ。入室許可の届を出せば、室内に招くことも可能なはずだ。」
「あっ確かに!そっか。そうですよね。家に帰れなくても神殿で会えますよね。」
先ほどまで悲しみの色に染まっていた瞳は、今後のことが良い方向で考えられるようになり、一瞬で力を取り戻していた。悪かった顔色もほんのりと上気し、頬を赤く染めてふわりと笑う。
「改めて今後のことは話し合う必要があるだろうが、今はその成長した体に慣れることが先だ。」
「はい。動揺して忘れてましたが、体が成長して視線が変わったので何か変な感じです。」
話が一段落ついたタイミングで侍女がお茶を運び、部屋の中に良い香りが充満する。その香りで侍女の存在も思い出したのか、恥ずかしそうに慌てて体を離し、きちんと座り直したディアナ。
抱き締められている姿を、人に見られて恥ずかしいという気持ちはあったらしい。私も一応、家族や同性ではない、異性としての枠に入っているようだ。
「よかった。味覚は変わってない。」
淹れてもらったお茶を飲み、ディアナは嬉しそうに顔を綻ばせた。大人になると味覚が変わると言う話しを、どこからか聞いていたらしい。
分かりやすく落ち着いたディアナにホッとしていると、侍女と入れ違いに入って来た侍従の報告に苦笑いが漏れる。
リゲルからすぐに折り返しの伝令が来たらしく、既にこちらへ向かっているそうだ。早急にこちらに来ることは想定していたが、まさか夜間に飛行してくると想像していなかった。
「リゲルがこちらに向かっているようだ。夜のうちこちらに着くだろう。」
「え!?夜間飛行は熟練した騎士の方でも危険だと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
「問題ない。危険がないわけではないが、ここまでの道中は比較的安全だ。」
そう答えながら、レグルハウトは苦笑交じりに目の前のお茶に口を付けた。ディアナには比較的安全だとは言ったが、夜間飛行が通常よりもかなり危険なことに変わりない。それも護衛がその飛行の速さについて行けず、護衛を振り切って来ていると言うから質が悪い。
リゲル本人に自覚はないようだが、リゲルはディアナに甘い。激甘だ。
ディアナの存在を始めて聞いた時は、平民の世話を伯父上に押し付けられたのだと思っていたが、貴族社会に放り込まれ、右も左も分からない娘の世話を甲斐甲斐しく焼く姿は、そこに渋々といった義務感は感じられなかった。
今回の養女の件に関しても、さっさと養女にしてしまえばいいものを、家族と過ごす時間を少しでも長く確保する為に、月詠みの儀前までと条件を付けて時期を伸ばした。
その後は言わずもがな、神官として籍を置くことで神殿に自室を持たせ、養女となった後も平民の家族と会える場を残した。平民のディアナを神官にするのは簡単ではなかったはずだが、リゲルはその手続きすら短期間で行ってみせた。
「其方が心配なのだろう。私も今回のことはさすがに手に余る。」
「多分、リゲル様も同じ反応だと思いますよ。」
お茶を飲み落ち着いたのか、いつも通りの様子に戻ったディアナは、会話の途中で指を折り曲げたり、伸びた髪を触りながら自身の変化を確認している。
ただ、表情や仕草の一つ一つがまだ幼いだけに、見た目との違和感が相まって、たまに見せる困惑した表情が甘い色気を醸し出している。
これは本当に目の毒だ。本人がまったく無意識なだけに、なお悪い。今後、起きるであろうディアナを取り巻く環境の変化に、頭を抱えたくなった。本人はあまり自分の顔を気にしていないようだが、どう見ても儚げな深窓の令嬢だ。
ぬるくなったお茶を飲み干し、寄り添うように隣に座るディアナを見る。寄って来る虫共はリゲル手を打つだろうが、こちらもディアナを手に入れる為に本気で動いた方がいいのかもしれない。
金色の瞳が獲物を捕らえた猛禽類のように強く光ったことに気づいたヴァルナだったが、レグルハウトから発せられる威圧に負け静かに目を伏せた。
こちらもディアナを取り巻く環境の変化を危惧し、気づかれないよう扉の前で小さく息を吐いたのであった。




