夢の世界と神々と聖女
ゴロッ、ゴロゴロゴロ
聞こえてきた雷の音でゆっくり目を開けるが、その眩しさに目を細める。光で溢れた真っ白な空間に、寝ぼけているのか夢なのか一瞬、志向が停止した。
雪のようにキラキラと輝きながら舞う光が、何もない真っ白なこの空間を明るく照らし、その光景が美しく神秘的で無意識に溜め息が漏れる。
・・・またこの夢。
綺麗さっぱり忘れていた夢の記憶が鮮明に蘇ってくる。どんなに衝撃的な夢でも、起きたら忘れてしまうのが夢だ。しかし、一度、夢の内容を思い出してしまえば、わたしがここでやることは一つしかない。
何もない空間へ足を一歩踏み出すと、突如として現れた光の道は、真っ白な世界を縦断するように真っ直ぐ伸びる。だが、あいかわらずこの道の終着地点は見えない。
非現実的な場所。永遠とも思える距離。普通なら怯みそうな状況だが、夢の内容を思い出した今は前へ前へと足が進む。何も考えずひたすらに歩き続ける。
夢の世界は時間の感覚もなく、どれだけ歩いても全く疲れを感じない。それでもこれは夢なのだから、ご都合主義でもう少し歩く距離が短縮できないものなのかと純粋に思う。
そのわたしの願いが届いたのか、この道の終わりだったのか、わたしが瞬きをした瞬間に合わせ、世界が切り替わった。
足元には石畳が広がり、神の石像が並んでいる。二十体ほど鎮座した石像は、磨かれたように真っ白に輝いているものがほとんどだが、割れて崩れかけているものもある。
割れている石像の中には、前回見た時の記憶より風化が進んだものもあって、元が何の石像だったか面影がない。
― 刻印を持つ聖女よ 汝の到着を歓迎しよう ―
誰もいないこの場所に、どこからともなく聞こえてきた声。あいかわらずその声色には全く人の温かみが感じられず、抑揚がなく現実味がない。
― かの地は守られた 汝の働きに感謝する ―
この声に不思議と恐怖はないが、やはりこの状況の意味は分からない。わたしは一体全体、何に感謝されているのだろうか。
― 今回の働きへの褒美だ 汝に新たな刻印を授けよう 受け取るがよい ―
また褒美は刻印らしい。しかしその刻印とやらが何か分からない。今回も喉まで出かかった言葉は声にならないので、いらないという拒否権はわたし側にはないらしい。
体内の魔力が動く感覚と、体が軋むような違和感。ジワリと体が熱くなる。前回この夢を見た後、魔力の許容量が増えていたので、もしかしたらこのご褒美とやらが何か関係あるのかもしれない。
だが残念なことに、いまその事実に気づいても、多分、起きたら夢のことは忘れているのだろう。それに覚えていたところで、この不思議な体験を周りに話して信じてもらえるかは謎だ。
― 刻印を持つ聖女の魂に祝福を ―
舞っていた祝福に似た光りが激しく瞬き始め、その眩しさに目を瞑る。これでこの不思議な夢から解放される。はず、だった。
― 聖女よ 次は我が地へ ―
― 否 次は我が地であろう ―
― 其方の地は既に手遅れだ ―
変わらず聞こえてくる声に恐る恐る目を開けると、目の前には石像が変わらず鎮座している。ここはまだ夢の中のようだ。
おかしい。なんで、目が覚めないの?
― 次は我が聖地 ―
― 否 ―
頭の中に響く、同じ声色の不穏なやり取り。同じ声が淡々と言い争うような会話は、思った以上に気持ち悪い。言い争いをするなら、とりあえずわたしを現実に戻してからにしてほしい。
頬をつねったり軽く叩いてみたけれど、自力では目覚めることができない。
「もう!喧嘩するならわたしを先に帰して!あっ、え?声が出る!」
思いがけず声が出たことで大声になっていたらしく、声がこの空間にこだまする。先ほどまで感じていた、喉に何か詰まった違和感はいつの間にかなくなっていた。
「言い争いはわたしを戻してから勝手にやってください。用は済んだんですよね?」
喋れることをいいことに声を上げると、わたしの声がその場に響くだけで、完全に静寂に包まれた。
ずっと喋れなかったことを考えると、予想通りというか、やはりと言うべきか、この声と会話はできないようだ。
この声がわたしと会話をする気がないだけかもしれないが、言い争う声が聞こえてこなくなったので、一応、わたしの言葉は通じているのかもしれない。なので、今まで聞けなかった疑問を一気にまくし立てるように質問する。
しかし、わたしの声以外は何も聞こえない。ここまで何も聞こえないと、逆に清々しい。
「はぁ。やっぱりダメか。そんな気はしました。でも、起きたらどうせ忘れるのだから、少しくらい何か教えてくれてもいいと思うんですよね。」
声はかわらず何も聞こえてこないが、雪のように舞っていた光が、吹雪でも起こったように舞い上がる。風は吹いていない。
「あなた方は一体、何者ですか?これは本当にただの夢?」
これが何を意味しているかは分からないが、光の乱舞が激しく、眩しくて目を開けることができない。
― 汝は運命 また是も宿命 ―
目を閉じると一瞬の浮遊感に襲われ、頭の中がぐるりと回る。その後は、水の中に落ちた時のような体が沈んでいく感覚。
あぁやっと帰れる。
水の中に沈んでいく感覚から、一気に地上へ引っ張り上げられる。重い瞼をゆっくり上げると、見慣れない薄黄色の天上が見えた。寝起きで記憶が混濁し、頭がすっきりしない。
視線を部屋に向けると、家具の少ないこの部屋に神殿から持ってきたわたしの荷物が置いてある。
そっか、ラングンの小神殿だ。
徐々にはっきりしてきた記憶。奉納舞が終わり無理やり回復薬を飲まされ、多分、今に至る。
ベッド横のテーブルには、水差しと人を呼ぶためのベルが置いてあるが、気怠い体は、指一本動かすことが難しい。張り付くように渇いた喉からは、掠れた声が出るだけだ。
窓の外では夜の帳が完全に降りているが、ここが小神殿なら、誰かが近くの部屋で控えているだろうから、夜中でも定期的に様子を見に来るはず。
天上を見ながら小さく息を吐く。少しずつ指は動くようになってきたけれど、あいかわらず気怠さの残る体は自由に動かない。
コンコン
「ディアナ、入るよ。」
目が覚めて少し経った頃、侍女が見回りにやってきたのだと安心していると、聞こえてきたのはレグルハウトの声だった。声が出ないので返事ができないでいると、白シャツに黒いスラックスを履いたレグルハウトが部屋に入って来た。
視線が絡み、一瞬、とても驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑むと、艶めいた黒髪がサラリと動き何てない動き一つ色っぽい。
「目が覚めたようだな。明日まで目覚めないと思っていたがよかった。」
優しく金色の瞳を細めながら、ゆっくりベッドに腰掛け、いつもリゲルがしているようにわたしの首に手を当てると、魔力の流れを確認をする。
「今回も魔力が増えているな。体は動くか?」
動かない頭をゆっくり横に振ると、「やはり動かないか」と背中に手を回し、優しく抱き起こしてくれる。まだ自力で座れそうにないので、背中を腕で支えてもらいレグルハウトの胸元に寄りかかる体勢になった。
「体調はどうだ?」
顔を覗き込まれ、返事をしようと口を開くが、渇いた喉からは声が出ない。それに気づき、ベッドの脇に用意してあった水差しを当ててくれる。
「あり・・・がとう、ございます。」
少し潤ったが、まだ掠れている声でお礼を言うと、ジッとこちらを見るレグルハウト。何か問題があったのかその視線に若干の不安を覚え、首を傾げながら困惑の表情を浮かべていると、わたしの動揺が伝わったらしく、落ち着かせるように頭を撫でてくれる。
「不躾に見てすまない。まだ体が動かないのは回復薬の影響だ。すぐに動けるようになる。」
問題ないと伝えるように、ニコリと僅かに口角を上げ、そのまま胸元に寄りかかっていると、もう一度水差しを口に当ててくれる。
講義で回復薬の飲み過ぎに気をつけるよう散々言われてきたが、まさかこんな副作用があるとは予想外だ。
「わたし、どのくらい眠っていたのですか?」
「四刻半眠っていた。このくらいで目が覚めたということは、回復薬がよく効いたということだろう。よかったな。」
一方的に回復薬を飲ませておいて、よかったなと他人事のような言い方にちょっとムッとし、力なくレグルハウトに寄りかかったままじとりと睨むが、わたしのそんな態度にもさして気にした様子はない。
「無理やり飲ませたこと、怒ってますから。」
睨んでもあまり効果がなかったので、されたことに対しての不満をはっきり口にし、もう一度、睨む。レグルハウトたちも仕事だったのだから、何か考えがあってのことだとは分かっているが、簡単に納得はできない。
レグルハウトも怒ったわたしをさすがに無視できないと思ったのか、眉間に皺を寄せて、弱りきった表情だ。
「すまない。強制的に眠らせて魔力の漏れを止めなければ、其方の魔力に充てられて倒れた者が出ただろう。説明しなかったのは、動揺して魔力が暴走する危険性があったからだ。」
「え?魔力が暴走?」
「魔力が漏れていることに気づいていなかったのだろう?舞が終わったあとも其方の体からは魔力が放出している状態だった。魔力漏れが無意識なら、枯渇するまで放出する可能性があった。」
あの時のレグルハウトは、いつまでもわたしを抱き上げたままだった。降ろしてほしいと言っても聞いてもらえなかったのには、理由があったらしい。
申し訳なさそうに眉尻を下げるレグルハウトの顔を見て、助けてもらったのにいつまでも怒っているのも悪い気がして、何とも言えない気持ちになる。
「そうだったんですね。助けてくれてありがとうございます。」
頬を胸元に寄せ、頬ずりするように体を預けると、険しかったレグルハウトの表情が嬉しそうに綻び、わたしの肩を優しく抱き寄せる。
「そう言えば、奉納式はどうなりましたか?」
「儀式自体は既に終わっていたので、特に混乱はなかった。あれは儀式の演出だと思っていたようだ。今回は其方が取り仕切っていたこともあって、儀式が派手になったと喜んでいた。」
いつもと違う儀式の雰囲気と、広場にいた人たちに対しての騎士団の素早い対応に、儀式の一環だと受け取られたようだ。それに儀式も最後までやり切っていたので、農民たちは嬉々とした様子で聖杯を抱え、早々に解散したらしい。
「魔法陣はリンクの街で起こったこととの関連性を考え、このまま同じ調査団が行うことになった。今回の魔法陣と合わせて、何か新しいことが分かるかもしれないと調査団は考えているようだが、あまり期待はできないな。」
「そうなのですか?」
「あぁ。あの魔法陣は今の魔法陣とは根本的に構築方法が違うらしい。それもあって、どこから手を付けるべきか目途すら経っていないようだ。」
魔法陣に使われている文字も古代文字を使っていた為、古い文献を引っ張り出して、文字を解読しながら調査をしているらしいが、解読に難航しているそうだ。今後は、高学院で魔法陣を研究している講師が招集される予定らしいので、調査が進むことを期待したい。
「何か分かればいいけど・・・」
胸元に寄りかかったまま小さく呟くと、レグルハウトは髪を梳くように丁寧に撫で始めた。
「今回も発動したのは其方の魔力の影響だろう。何かあの魔法陣のことで気づいたことはないか?」
「んー・・・特には。ただ、あの魔法陣、最初のものと構築はほとんど同じに見えましたが、古代文字の一部が違ってました。多分、違った文字は神様の名前だと思います。」
撫でていた手を止め、驚いたように目をパチクリさせる。そんな反応が返ってくるとは思わず、こちらもきょとんとする。
「其方、古代文字が分かるのか?」
「い、いいえ。分かるのは神様の名前だけです。神様の名前は、聖書に載っているのを見たことがあるので分かりましたけど、他の古代文字は読めません。」
「そうか。このことはこちらで処理する。其方が気づいたことは、まだ他に漏らさない方がいいだろうな。其方が古代文字を読めたとなれば、神殿の関与も疑われる可能性がある。」
聖書に載っている文字なのに、古代文字を読めるということは良くも悪くも希少な存在らしい。あの魔法陣のことが何も分かっていない状況なので、言葉一つでも気を付けていた方がいいということらしい。
「体はどうだ?もう動くようになってきたのではないか?」
「あっ、そうですね。でも体の節々が痛いです。これも副作用ですか?」
支えてもらいながらゆっくり体を起こすと、お腹に力が入り、自分で体を支えることができる状態まで戻っていた。
身体を動かす様子をしばらくみていたレグルハウトは、完全に動けることが分かり、ホッとしたような安堵の表情を浮かべる。そのまま自然な仕草で握られた手は大きく、まるで壊れ物を扱うように優しく包んでくれる。
「体の節々が痛い原因は別だろう。体に違和感はないのか?」
「違和感ですか?」
言われたことの意味が分からず、不思議に思いながら何気なくレグルハウトに視線を向けると、横になっていた時には感じなかった何とも言えない違和感を感じた。
あれ?何だろう。何か・・・
感じた違和感の正体が分からないまま、寝台に腰掛けているレグルハウトの隣に座り直そうと、シーツを捲って足を出す。
自分の足を見て、さらに感じる居心地の悪さ。何がどうと言われたら分からないけど、今までと違う違和感に何とも言えない気持ち悪さを感じた。
「ディアナ?」
名前を呼ばれて思わず視線を上げれば、心配そうにこちらを見つめる金色の瞳と視線が合う。大丈夫ですと伝える為に無理やり口角を上げ、声を出そうとするが声が出ない。
しっかり絡んだ視線に、感じていた違和感の正体がはっきり分かった。
「ディアナ?」
「ヴァルナを・・・ヴァルナを呼んでください!」
動揺して震える声。身体も震え出し、自分の身体を両腕で抱きしめる。もう一度、名前を呼ばれたような気がしたが、顔を上げることができない。
レグルハウトはベッド横に置いてあったベルを鳴らすと、ディアナの肩に手を伸ばし自分の傍に引き寄せた。腕の中に囲われ、暖かなその温もりに包まれても、震えが止まらない。
見知らぬ部屋にいるせいで、色々と変化に気づくのが遅れたが、一度、気づいてしまうとあらゆることが変わっていることが分かる。
最近は自分で髪を手入れする必要もなく、儀式の為に結い上げていることが多かったので、すぐに気づけなかったけど、顔にかかる髪はこんなに長かっただろうか。
この部屋着も洗濯に失敗した時のように縮んでいるが、確か昨日まで着ていた服だ。そもそも母ならともかく、体に合わない服を侍女たちが着せるだろうか。
安心させるように抱き締めてくれている腕も、今朝、一緒に魔獣に乗った時はもっと大きく、全身が包み込まれるような感じだった。
目覚めてから感じていた違和感の正体。この服も、腕も、髪の長さも違う。
否、違っているのは服やこの腕ではない。わたしだ。




