始まりと春の奉納式
神殿の朝は基本的に早い。朝日が昇るのに合わせ起床し、朝食前に身支度を済ませ各自で祈りを捧げたり仕事をしたりする。
式典がある日はさらに早く、朝日が昇る前に起床し水浴びをして身を清める。
奉納式当日の朝、この日は朝日が昇るのを合図に、第一陣の馬車が最初の目的地であるリンクの街の小神殿へ向けて出発した。小神殿へは馬車で半日ほどの道のりだが、王都から一番近い都市ということもあって街道も綺麗に整備され、馬車移動も意外と楽らしい。
第一陣の馬車には、着替えや食料などの日用品と共に下働きの人間が同行し、先に荷下ろしなどを進める手筈となっている。完全に日が昇った三の刻頃になると、ヴァルナたち侍従が乗り込んだ第二陣の馬車が出発する。
ヴァルナはわたしの身支度を整えると、自身の身支度を整える為に慌ただしく自室へ戻った。先に出発するヴァルナの方が時間に余裕はないのだけれど、神殿との契約上、ディアナの部屋に入れる侍女が他にいないので仕方ないのだ。
朝食を取った後リゲルと出発前の最後の打ち合わせを済ませ、部屋に戻って手持ちの荷物の中身を最終確認した。魔獣に乗るので腰に付けるポーチに入る物しか入れられないので、回復薬と携帯食を入れてある。
出発時間が近づき部屋を出ると、温室の入り口で待っていたらしいリゲルの侍従が「お待ちしておりました」という表情で恭しく頭を下げた。主は無表情だが、侍従たち至って普通に笑顔で挨拶を交わす。
わたしの部屋に入れないのだから仕方ないけれど、いつから待っていたのか、当たり前のようにお付きの人がいて、外で待たせるこの状況には慣れそうもない。こんな平民の小娘相手に申し訳ない。早めに部屋を出てよかった。
騎士団の待つ貴族門への長い廊下を、息を切らせない程度の早足で向かう。いつもはしっかり閉まっている扉は、今日は関係者の出入りが多いからか開け放たれていた。
白い石畳が広がる広場には、以前リゲルとアーレウスが着用していた白銀の鎧に身を固めた、体格の良い十数名の男たちが綺麗に整列して待機している。彼らが騎士団のようだ。
既にこの場にいたリゲルは鎧ではなく騎乗服姿で、赤みを帯びた茶色の短髪の騎士と親し気に話していた。兜をしっかり被っている他の騎士とは違い、兜を小脇に抱え、整列している隊列から抜けている姿を見るとあの人はこの隊の偉い人なのだろう。
父と同じくらいの年齢のその騎士は、見るからに筋肉質でがっしりした雄々しい男性だが、目鼻立ちのはっきりした精悍な顔立ちで、貴族らしく動きは洗練されている。街の兵士はどうしても粗野な感じがするが、さすが騎士団は貴族の集まりだ。
話している二人に挨拶するタイミングを伺っていると、リゲルはわたしの方にチラリと視線を向け、前に出るようにそっと背中を押した。挨拶をさっさと済ませろと言うことらしい。
「神官のディアナです。よろしくお願いします。」
わたしが両手を胸の前で交差させ腰を折って挨拶すると、こちらを検分するように彼のグレイの瞳が細められた。一応これは、ドレスを着ている晩餐以外での目上の貴族に向かってやる挨拶なので、間違ってはいないはずだ。
「この隊を率いている隊長のミュランドだ。こちらこそよろしく。」
緊張の顔合わせが終わると、隊列の右端並んだ騎士が一歩前に出で兜を外し小脇に抱えた。レグルハウトだ。
あいかわらず洗練された動作の一つ一つが美しいが、今日は鎧を着ているので武人という雰囲気。初めて見る騎士の鎧姿に、本当に騎士団に所属してたんだなと実感する。
レグルハウトにも両手を胸の前で交差させ挨拶する。最初の頃こそ会うたびにこの挨拶をしていたが、神殿で冬籠もりを共に過ごすことになって以来、公式な場で会う以外は正式な挨拶は必要ないと一蹴された。なのでこの挨拶をレグルハウト相手にするのは久しぶりだったりする。
「レグルハウト様。奉納式の間の護衛、よろしくお願いいたします。」
「あぁ。よろしく。」
金色の瞳と目が合い、僅かに口角が上がり目が細められた。太陽の光を浴び輝く白銀の鎧に、艶のある美しい黒髪が際立つ。理由は何であれ、訓練を見に行く貴族令嬢たちの気持ちが少し分かった。
眼福、眼福。
「では、出立しよう。」
ミュランドの言葉で騎士たちが動き出し、鎧の胸元に埋め込まれた石に触れた。すると、その石は光って魔獣へと姿を変える。全く動かないが、広場を埋め尽くすこの数の魔獣は圧巻。
やはり騎士たちの間では機動力のある四本足の魔獣が人気で、特にリゲルと同じ馬に似た魔獣が一番多い。
「ディアナ、君はこっちだ。」
リゲルはポカンと広場の魔獣を眺めていたわたしの脇に手をかけると、自分の魔獣の背に抱え上げた。高さのあるリゲルの魔獣に一瞬怯みそうになるが、まだ魔力を送っていない魔獣はただの石像と同じなので微動だにしない。
「あの、リゲル様・・・自分の魔獣で行くために今まで訓練してたはずでは?」
魔獣に跨り怪訝な表情でリゲルを見下ろすように見つめると、変わることのないその表情と視線が絡む。魔力調整の訓練も兼ねて前から騎乗訓練はやっていたが、この奉納式に合わせ、騎乗訓練を重点的にしていたのではなかっただろうか。
「護衛を伴った隊列で飛ぶのはコツがいる。一人で適当に飛ぶのとはわけが違う。まずは私の飛び方を見ていなさい。」
これ以上の反論を聞く気もないらしいリゲルは、納得のいかない顔をするわたしを無視し、後ろに飛び乗って手綱を握る。
「口を閉じていなさい。舌を噛むぞ。」
魔獣が軽やかに動きだした。目の前に揺れる手綱を握ろうと手を伸ばし身体を倒すと、その必要はないと言わんばかりに片手がお腹に回され、グッと体を後ろに引き寄せられる。安定感があって楽ではあるが、この体勢なかなか恥ずかしい。
数歩軽く駆けた魔獣がバサリと力強く羽を動かすと、一気に上空へと駆けていく。そのまま空を駆けて、見慣れた下町の街並みを飛び越え、あっという間に王都の正門が見えた。神殿から正門までかなり距離があるが、魔獣だととても早い。
正門の人の出入りの管轄しているのは騎士団だが、周囲の警備は街の兵士も派遣されている。父がいないか探してみたが、上空からは人相まで認できない。残念。
特に手続きもなしに上空から門を越えると、周囲を騎士が囲むような隊列に変わった。あっという間に変わっていく景色を眺めていると、隊列が変わったタイミングでグンっと一瞬の後ろに引っ張られる感覚でさらに魔獣が加速した。
隊列の先頭集団にいる赤獅子は、隊長であるミュランドの魔獣だ。レグルハウトの黒獅子とは違う王族の証である獅子。王族としてはかなり末席らしいが、ミュランドも王族らしい。
「リゲル様、あれがリンクの街ですか?」
門を越えた先はリンクの街へと繋がる街道が続き、その先にうっすらと街が見えている。多分、あそこが最初の目的地であるリンクの街だ。
「そうだ。」
リンクの街は王都のある中央領と隣のヌアザ領とを繋ぐ街道沿いにある主要の街で、人と物の往来が多い。王都に行く商人たちが立ち寄る街として発展し、ここ最近は街の近くにある遺跡が注目を集めているそうだ。
王都から気軽に行ける観光地として観光客が増え、若者向けのカフェやお土産屋がたくさんあるらしい。数日はリンクを拠点にする予定なので楽しみだ。
「儀式が終わればあとは自由時間ですよね?」
「儀式後の君の体調次第だ。」
お腹に回された腕に少し力が入ったので、チラリとリゲルの顔を見上げると、物凄く呆れた顔をしている。せっかく知らない土地を回るのだから、少しくらい美味しい物を食べて観光をしても罰は当たらないだろう。
街道の先にうっすらと見えていたリンクの街も、いつもの間にか街の輪郭がはっきり見える距離になっており、馬車で半日ほどかかる道のりも、魔獣で移動するとすぐだと言っていた意味が分かる。
「儀式をする町はどの辺りですか?」
「森の奥に見える集落が最初の町だ。」
街から僅かに右辺りをリゲルが指差した。よくよく目を凝らしてみると、街から伸びる街道の周囲にポツポツと家が建ち、小さな森のさらにその先に集落が見える。遠目に見ても分かるが、集落の周りには農地と緑豊かな森が広がっていた。王都の食糧庫と呼ばれる場所だけあって、土地は広大だ。
さらに魔獣は加速し、一気に上空を駆け抜け森を越える。集落の有力者と思われる大きい家の前に、千人近い人が集まっているのが上空からでも分かる。
魔獣に乗った騎士団を見つけた人々が空を見上げて、指差しながら声を上げている。ミュランドは一度ぐるりと辺りを見回すと、降下の合図を出しスピードを落としながら魔獣の高度を下げ始めた。
家の前の広場に集まっていた人たちは、そこに魔獣が降りてくるのが分かったらしく、波が引くようにわたしたちが降り立つための場所を開けてくれた。そこにミュランドとレグルハウトたち数人の騎士が降り立ち、周囲の安全を確認し魔獣を消した。それに続いてリゲルの魔獣もふわりと降り立った。
先に降りたレグルハウトがわたしを魔獣から降ろし、後ろのリゲルが滑るように飛び降りると魔獣を消した。降りてくる他の騎士に場所を開けるため、レグルハウトはわたしを抱えたまま数歩下がると、その場所に後方にいた騎士が降りてくる。
魔獣に乗った騎士たちの登場に、見世物を見ているような興奮が広場に広がり、ざわめく人々の喝采が湧きおこる。
春の式典は祭ではなく神殿の神事として厳かに行われると聞いていたので、もっと粛々と式典をするものだど思っていたが、広場には活気があり熱気と喧騒に包まれている。この雰囲気は予想外だ。
「奉納式ってこんなに盛り上がるものなのですか?」
片腕でわたしを抱えたままのレグルハウトの顔を見ると、「いいや」と僅かに顔を横に振り、いまだに嬉々とした歓声を上げている集まった人々に視線を向けた。
「王都の人間以外は騎士を見る機会がないので我々が物珍しいのだろう。」
「ですよね。でも毎回こんな中で奉納式をするのは少し気が重いです。この雰囲気にちょっと緊張してきました。」
わたしが緊張を誤魔化すように小さく息を吐くと、レグルハウトは一瞬、心底不思議そうな表情をしたけれど、すぐにニヤリと口角を上げて笑う。
「其方が弱気なのは珍しいな。成人の儀では嬉々として舞台に上がっていたではないか。」
「あの時は他の神官もいましたし、姉の花紡ぎを見たくて緊張感なんてなかったです。」
その言葉を聞いたレグルハウトは、あいかわらず口角を上げたままで、面白そうに笑っていた。
「心配しなくとも其方の剣舞は完璧だ。いつも通りやれば問題ない。其方の剣舞を見ていた私が言うのだから信用しろ。」
抱き上げたままの手に力が入り、正面から抱擁されるような体勢になる。突然のことに何事かと慌てて身じろぎすると、もう一方の空いた手が頭に伸び、髪をクシャクシャと撫でられた。
「レグルハウト様、髪が乱れます。」
若干の恥ずかしさを隠すように、口を尖らせ、拗ねたように顔を背けてみせるが、金色の瞳は優しく細められている。壊れ物を扱うような優しい手つきで少し乱れた髪を一房握り、その髪に流れるように唇を落とす。
その瞳が醸し出す甘い色香は眩暈がしそうなほど妖艶で、どこか中毒性がある。それは決してこんな子どもに向けるような視線ではない。
「これ以上の戯れはリゲルが怒りそうだな。」
一気に顔に熱が集まり、文句を言おうと口を開くが、口をパクパクさせるだけで恥ずかしさで動揺したわたしの言葉は声にならない。
そんなわたしとは対照的に、なぜか上機嫌になったレグルハウトは、何事もなかったかのように用意された天幕まで大股で歩き始める。興味津々でやり取りを見ていた周りの視線が痛い。
天幕の入り口で待っていた側使えにわたしを引き渡すと、レグルハウトは眩しそうなものを見るように目を細め、口元を緩ませると口角を上げた。
「其方の舞う姿は美しい。何も考えず舞えばよい。」
もう一度、頭を撫でると、また髪を一房握る。さすがにもう口付けは落とされなかったが、レグルハウトの強い視線を感じいたたまれない。
何とも言えない雰囲気に、わたしを任された側使えもどうしたものかと困り顔だ。
そんな中、この空気を壊すような大きな溜め息が聞こえる。そんなことができるのは、この中に一人しかいない。
「殿下、これ以上は。ディアナの魔力が乱れます。」
呆れ顔のリゲルに天幕に押し込まれると、気が抜けたのか足に力が入らず膝から崩れ落ちた。隣にいた側使えが気づいて手を差し出していなければ、そのまま前に顔から倒れていただろう。
あれは無理だ。妖艶な笑みを浮かべたレグルハウトは、顔の破壊力が凄すぎて心臓に悪い。先ほどのやり取りを思い出すだけで、わたしの心臓の鼓動は早くなりこれ以上は平穏を保てそうにない。
突然、あんな甘い態度をとったレグルハウトのことを考えると、この心臓が今後も無事に持つのか本気で心配だ。




