下町の洗礼式(前)
遠い遠い名前も無い荒れ果てた最果ての地。
人々から忘れ去られた土地と忘れられた神が、この地から静かに消滅する。
見送る者は誰もおらず、その消滅を嘆く者もいない。
神の消えたその地は、全てが無に還り雑草すらも残らない。
「ディアナ、早く着替えなさい!エミリ、ディアナの髪を結ってあげて!自分でさせたら洗礼式に遅れるわ。」
朝食の片づけをする母の声が子ども部屋まで聞こえてくる。
洗礼式の朝はとにかく忙しい。起きてすぐに井戸の水を汲み、沸かす時間もないので冷たい水のまま身を清めるための水浴びをしてから、詰め込むように慌ただしく朝食を食べる。
「エミリお姉ちゃん、青いリボンを使いたいの!衣装に合うかな?」
「大丈夫。私が可愛くしてあげるわ。コサージュも使うね。」
洗礼式用の真っ白な服に着替え、鏡の前の椅子におとなしく座る妹のディアナ。どんな髪型に結ってもらえるのか、太陽のような大きい赤い瞳を期待で輝かせていた。
六歳になり洗礼式と呼ばれる儀式を受ける年齢になったディアナ。
ディアナは産まれてくるまで双子かもしれないと危惧され、未熟児の可能性があるので洗礼式まで生きられないだろうっと医者に言われていた。
出産当時はいま思い出してもとても衝撃的で、難産で未熟児だろうっと散々言われていたのにあっさり標準より大きい子が産まれ、洗礼式を受けれるようになったこの歳まで特に大きな病気をすることもなく元気だ。
それどころか同性代の子たちに比べ成長が早く利発で頭も良い。
あれだけ家族で気を揉んでいたのが嘘のように平穏な日が続き、今ではあの日々のことは笑い話となっている。あの日から数年後にはさらに弟も増えた。
私が結っていく姿を鏡越しに見上げているディアナの髪は、家の中に射し込む朝日に照らされて金色に輝き、色白の肌と相まってさながら天使のようだった。
父親と母親のいいとこだけを取り入れたディアナの容姿は、六歳にして美少女と呼ばれる部類の人間だ。
背が高い父に似たスラリの伸びた手足と、母に似たスッと通った鼻筋とぷっくりとした口唇。赤い大きな瞳は髪の色と同じ金色の睫毛で縁取られ、肌も下町の子どもとは思えないほど色白で小綺麗にしている。
あぁ私の妹、マジ天使。
「洗礼式って神殿でお話を聞くんだよね?いつものお祈りと違うの?」
「そうよ。洗礼式はいつもいる神官の人たちよりもっと偉い人が儀式をしてくれるの。それに神殿の中も飾り付けされてとても素敵よ。さぁ出来上がり。どう?」
鏡を見ながら花が咲いたようにパッと明るく笑うディアナは、髪と一緒に編み込まれた青いリボンを嬉しそうに触っている。服に付いた小花と合わせて作ったコサージュも金色の髪に映えてとても似合う。
「洗礼服も可愛いでしょう?私が使ったものをお直ししただけじゃあ物足りなかったから、フリルとリボンを追加したのよ。」
「このフリル凄く可愛い。さすが街一番の工房で働いてるお針子さんだね。」
幼い頃から手先が器用だった私は、十歳のお祝いである月詠みの儀という儀式を終えると、母と同じお針子の仕事を始めた。
最初の工房は小さい家族経営のお店だったが、今は王都で一番人気のある商業地区にある工房に引き抜かれ、最近では担当のお客さんも付くまでになった。
十六歳になって成人と認められる年齢になると、友達は次々に家庭を持っているが、私はもう少し仕事一筋で頑張るつもりだ。だってこんなに可愛い天使が側にいたら、創作意欲が沸いて仕方ない。
「洗礼式を受ける子たちの中で絶対にディアナが一番可愛いわ。アレクがディアナの洗礼服姿を見れないって悔しがってたわよ。」
ディアナは真っ白な洗礼服のスカートをつまんで、ヘヘっと花のような可憐な笑顔で笑うとクルリと一回転。
フワッとスカートが広がってその姿は本物の天使のようだ。
うん、間違いない。うちの妹は天使。
「ディアナ、準備はできたの?みんな集まってるようだから私たちも行きましょう。エミリ、インディのお世話お願いね。」
「はーい。いってらっしゃい。」
いってきますっと母と手をつないで嬉しそうに出かけたディアナ。その後ろ姿に天使の羽根が見えたような気がしたエミリ。エミリの妹愛、半端ない。
家の外の広場に出ると、洗礼式に行く近所の子たちが集まっていた。あまり外で遊ばないディアナもさすがに近所の子たちの顔は知っている。
「わぁ!ディアナ、可愛い。」
「お姫様みたい。」
子どもたちの輪に合流すると、一気に色めき立ち衣装に興味津々な女の子に取り囲まれた。女の子たちの甲高い声に周囲の注目が集まる。
「お下がりをお直ししただけだよ。お姉ちゃんが着たときより私の方が背が大きかったから、長さを調整するために工房の余った生地で裾にフリルを追加してもらったの。」
話を聞いていた付き添いの女性たちもわらわらと近くに集まってくる。エミリが人気の工房で働いているのは近所で有名なので、豪華な衣装が注目の的になったようだ。
「これがお下がり!?お直ししただけには見えないね。」
「髪飾りも凝ってるわね。高かったでしょう?」
髪飾りの値段の話になると、母が笑いながら首を振った。
「これも自分たちで作ったから特別お金はかかってないのよ。材料は衣装のお直し用に使うつもりだった物を使ってるわ。」
「へぇ、売り物みたいね。うちの娘も洗礼式の髪飾りを欲しがっていたから作ってみようかしら。作り方教えてくれない?」
「かまわないわよ。レース布と糸があれば簡単。」
作り方を教える母に質問が殺到し始めたのでそっとその輪から抜けると、今度は遠巻きに見てい少し年上の女の子たちに取り囲まれた。
「これ、エミリが作ったんでしょ?ホントに可愛い!」
「可愛いわね。さすがエミリ。」
エミリと交流があるらしいお姉様方にもみくちゃにされ、無遠慮に衣装を撫でまわされるが、エミリが褒めれらるのは悪い気はしない。
褒められたのが嬉しくてニコリと笑うと、周りにいた男の子たちは顔を赤らめ慌てて視線を逸らしたり、恥ずかしそうに俯いている。女の子たちもディアナの天使のような笑顔にキャッと喜んで、さらに可愛い可愛いっと撫でまわされるはめになった。
カラーン、カラーン
街中に鐘が鳴り響いた。洗礼式への出発の合図だ。
わぁっと周囲の大人たちが騒がしくなると「あめでとう。」っと一斉に歓喜の声を上げ、誰かが「出発!」っと声を上げる。
「ディアナ、行きましょう。」
母とはぐれないように手を繋いで、大通りへと向かい始めた。あちらこちらの路地から洗礼式へ出る子どもたちと付き添いの家族が次々に出てきて通りを埋めていく。
洗礼式へ行く行列の両脇から、見物人の人が大きく手を振ったり、「あめでとう。」っと声をかけて祝福してくれている。大通りに面した建物の窓からは、祝福の声と共に花びらが舞い、陽気に楽器の演奏をしながら見送ってくれている。
行列の子どもたちは誇らしそうな笑顔で堂々と歩き、沿道の人々に手を振り返しているのが見えた。ディアナもそれに倣って笑顔で手を振る。
照れくさそうに少しはにかんだ笑顔でディアナが手を振ると、歓声があがりピューッと高く吹いた口笛が響く。
本人は気づいていないけれど、見物人はあきらかに周りの子たちから浮いた異質の存在のディアナに注目していた。行列の中にいるのにあきらかに目立っているディアナ。
エミリが気合いを入れて作った真っ白な洗礼式用の衣装は、所々上等な布の端切れを利用しているので光沢があり、首元やスカートの裾部分にはレースを使い、全体に繊細な刺繍が施されている。
その衣装だけ見ても金持ちの家の子と思われそうだが、その衣装を着ているディアナ本人も下町に住む平民の娘に見えない。
色白できめ細やかな肌に艶のある金色の髪、家事を手伝っているので手は少し荒れているけれど、他の子に比べるとあかぎれもなく綺麗な方だ。
補修されていないデコボコの石畳を歩いていると居住区の汚れた建物が終わり、城壁の手前にある真っ白な大きな建物が見えてきた。
「あっ!神殿!緊張するぅ。」
「俺、神殿に入るの初めて。」
神殿へは誰でも自由に出入りできるが、式典の時以外に中に入る人はほとんどいない。今回の洗礼式で神殿へ始めてくる子も多い。
足元の石畳も先ほどまでのデコボコが嘘のように綺麗に整備され、両脇に等間隔でお洒落な街灯が並んでいる。
この辺りから街の様子が変わり、商業地区に住む子どもたちが行列に合流すると、目に見えて衣装の質が変わってきた。みんな白い衣装だが高そうな生地にレースやリボン、ふんだんに刺繍がされ装飾過多だ。
神殿が近づき、一旦、中央広場で他の通りから来る行列と合流すると、また、行列が動き始める。
いよいよ神殿の敷地に入る入り口には、赤を基調とした鎧を着た門番の兵士が仁王立ちしている。赤いマントをなびかせ、華美な装飾が付いた艶のある儀式用の鎧はあまり実用的には見えない。
「それじゃあディアナ、終わる頃にジークと迎えに来るから。みんなとはぐれないようにね。」
「うん。いってきます。」
行列の先頭にいた子たちがどんどん神殿に入っていくのを視界に捉えながら、何度か振り返りながら母に手を振り、他の子に遅れないよう前の子に続いて中に入る。
笑顔でディアナの後ろ姿を見送っていたコーナが、娘の成長に安堵し、一人、歓喜の涙を流していたことは家族にも秘密だ。