訪問者との晩餐(後)
演奏用に用意された椅子に座ると、そのタイミングでドゥーベを持ったヴァルナが静かに横に控え、ニコリと微笑んでいた。多分、物凄く急いだはずなのに、全く息を切らした様子は見せないプロ根性に脱帽だ。
受け取ったドゥーベをしっかり持ち直し、ポロンと中指で弦を弾いて音を確かめる。うん、音は大丈夫。いつも通り落ち着いてやれば何の問題もない。
ゆっくりと深呼吸をした後、一度顔を上げリゲルに視線を向けると、こちらへ向けていた視線と目が合い小さく頷いてくれた。これだけで緊張が和らいだわたしは単純なやつ。
大きく息を吐きドゥーベを構え、軽く目を伏せ旋律を奏でる。
『宵の明星、明けの空、地上に生まれし絡まる冥界の・・・』
返歌としてリゲルに使った時は怒られたが、そもそもこの曲は花紡ぎの儀で演奏する曲だ。曲自体もわたしの声に合っていて好きだし、毎日練習で弾いているでこの曲を選曲した。
こちらへ向けられたレグルハウトの視線は、純粋に音を聴いていると言うより、何かを探るような目付きだ。
奉納舞の練習の時もそうだったが、多分、わたしがリゲルやウィルビウスに目を掛けてもらうに値する人間なのか、自分の目で見極めているのだろう。
わたしの演奏を聴く為に静まり返った部屋の中に、ドゥーベの軽やかな音色が響く。その音に声を乗せて、聖書の神話を詩的に表現した歌詞を物語を紡ぐように歌う。
特に重点的に練習している声の抑揚を意識し、ある時は男神から囁かれる愛の言葉に歓喜し声高らかに喜び弾んだ声で、またある時は男神への愛を語り相手に甘えるように。どれだけ相手を想い想われているのか、愛に溢れた情景を想像する。
指先に集中していた視線を上げると、目の前に座る金色の瞳と視線が絡む。色気を含むその金色の瞳はとても美しく、気づけば魅入られたようにその瞳を見つめていた。
囚われたように逸らせない視線。一瞬、その怪しくも美しい瞳に意識を持っていかれそうになっていた。ダメだ。この瞳は危険だ。
慌てて意識を演奏に集中し、ゆっくり目を閉じると囚われた自身の瞳を解放する。
小さく息を吐き気持ちを落ち着かせたが、既にドゥーベの魔石はわたしの魔力で反応していた。完全にレグルハウトへ意識を持っていかれていたので、この状況は非常に悪い。
魔力が弦を通してドゥーベに流れ、その魔力がレグルハウトへ向けて溢れ出ている。この行為が王族へ対する不敬だと言われても、これは弁明のしようがない。
罰せられることを考えてしまい軽く身震いし、今さらな気もするが、わたしの魔力がリゲルへ方向転換してくれることを祈りながら、強めに意識をそちらへ向けた。リゲルに魔力が降り注いでも、怒られるだろうが謝れば許してもらえるはず。
僅かに視線を向けると、多分リゲルはわたしの魔力を感じているのか、物凄く険しい顔で眉間に皺が寄っている。癒されるはずのドゥーベの演奏を聴いている者の顔ではない。
ポローン
最後の一音を指で弾き、音の残響を聴きながら目を閉じ、小さく息を吐く。
演奏は完璧。演奏は。
顔を上げリゲルの表情を確認すると、眉間に皺を寄せ頬が引き攣っている。レグルハウトの手前、どう反応するか考えているのだろうか。
そのレグルハウトの表情は、こちらは演奏に満足してくれたのか、口角を上げ満足げに微笑んでいた。もしかしたら思ったより魔力が流れていない?
「これほどの出来とは思っていなかった。想像以上だ。」
「ありがとうございます。」
「それに、あれほど大量の魔力を降り注がれたのは初めてだ。其方は幼いが情熱的なのだな。これは求婚されたと解釈しても?」
完全にやってしまった。苦い顔で額に手をあて、頭を抱えるリゲルが視界に入る。
「殿下、大変失礼いたしました。ディアナは平民の娘でまだ幼く、これが求婚の意味だとは分かっていません。感情移入しやすいドゥーベで魔力が不安定になっただけだと思っていただけると助かります。」
謝罪するリゲルを見ながら、素人のわたしに演奏をするように言い出したのはレグルハウトではないかと思ったけど、この状況でそんなことを言える勇気はない。
そもそも魔力を流す行為自体は、男女間の愛情表現の一つとしてよくあることなので、それ自体は特段ダメな事ではな。ただ今回はその相手が悪かった。
「あれだけの魔力が求婚ではなかったのか。それは残念だ。一方的に魔力を送られることはよくあるが、魔力量も多くこれほど質の良い魔力は初めてだ。」
「ディアナの魔力量は多いですが平民です。殿下に求婚など畏れ多い。」
謝罪するリゲルの様子を見ていたレグルハウトは、わたしの方へ視線を向けると、ニコリと物凄くいい笑顔で微笑んだ。この笑顔、嫌な予感しかしない。
その表情の意味に気づいたリゲルは、この後の展開が予想できたのか笑顔で頬を引き攣らせている。
「元々ドゥーベの演奏をお願いしたのは私だ、今回の件は忘れよう。」
「ありがとうございます。」
「ただ、その謝罪を受ける条件として、私が神殿で生活できるよう部屋を用意してくれ。今日から冬の休暇に入ったので丁度いい。ここでの生活は面白そうだ。」
口角を上げ満面の笑みでニヤリと笑うと、後ろに控えていた従者に何か指示を出し、その従者は恭しく一礼し部屋を出て行った。
「伯父上には私の方から話しておく。私の冬支度は騎士団寮で用意した物を持ってくるので、部屋だけあれば問題ない。」
気づけばいつも通りの完璧に作られた貴族の微笑みで座っていたリゲル。気配も殺しているのか、その雰囲気からは喜怒哀楽を何も感じさせない。さすがです。
「・・・承知しました。今日中に部屋の手配は終わりますので、明日には荷物の運び込みが可能です。」
「ありがとう。助かるよ。ディアナ、いい演奏だった。」
「ありがとうございます。」
リゲルの何とも読めない表情はともかく、わたしへのお咎めはなしのようだ。なぜかレグルハウトが神殿で生活すると言い出したが、とりあえずわたしの首が飛ばないならそれでいい。
その後は、あっさりリゲルからの退出許可が出たので、手短に退席の挨拶をして部屋を出た。部屋を出る時には、既にわたしが分からない話しをしていたので、二人でじっくり話したいことでもあったのだろう。
結局、一口もデザートを食べれなかったのだけが悔やまれる。
それから部屋に戻ると、湯浴みを済ませ、ヴァルナが自室に戻った頃には就寝時間の十の刻の鐘が鳴ったが、晩餐の興奮でまだ眠れそうにない。明日は安息日で早く眠る必要もないので、いつも通り東屋まで行くことにした。
東屋の椅子に座り景色を眺めると、ガラスドームで覆われている温室の外は真っ白な雪が降り積もり、今夜は吹雪のようだ。明日の朝は歩けないほど雪が積もっているだろう。
暖かな温室の中では、リゲルの温室にもあった夜光花が咲き、その周りには光る鱗粉を纏った蝶が飛んでいた。見慣れた景色になったとはいえ、神秘的で美しい光景であることにかわりはない。
「やはりここだったか。君は門限も守れないのか?」
「リ、リゲル様!?」
足音もなくやってきたリゲルは、眉間に皺を寄せ、深い溜息をつきながら隣に腰を下ろした。いつもは部屋に戻るように促すのに、こんな風に一緒に座るのは珍しい。
隣に座る横顔は、無表情の仮面は取り払われあきらかに疲れの色が見える。小顔で精巧に作られた人形のような端正な顔立ちからは、残念なほど疲労感が滲み出ている。
その方が人間臭い感じはするが、勿体ない。
「晩餐の席ではすまなかった。殿下が君に興味を持っているのは分かっていたが、ここへ来てすぐに君に接触するとは思わなかった。」
顔にかかるシルバーの前髪を撫でつけるように掻き上げると、椅子の背もたれに寄りかかりながらまた溜め息をついた。
「わたしの方こそすみませんでした。最近は大丈夫だったので、まさか魔力が流れるとは思わなくて油断してました。」
「君が謝る必要はない。あの様子だと、殿下は最初から休暇中はここで生活するつもりで来られたのだろう。ドゥーベの件は、私からの了承を得やすくするために理由に使ったに過ぎない。」
背もたれに寄りかかったまま腕を組み、静かに目を閉じているリゲル。いつも貴族らしい優雅な佇まいをしているリゲルが、こんな風に気を抜いている姿を見せるのは珍しい。
「リゲル様、そのまま動かないでください。」
無防備に目を閉じているリゲルの目を覆うように左手を乗せ、本で調べていた呪文を唱えると、指輪から金色の魔力の光が溢れた。その魔力の光は全身を包むようにゆっくり全身に広がり、リゲルの体に流れ込んでいく。
「待て、何をしている?」
突然のわたしの行動と、体に流れ込んできた魔力に体がビクリと動いたが、全身を覆うように流れる魔力には抗えないようだ。抵抗らしい抵抗ができないらしく、わたしにされるがままおとなしく座ってくれていた。
顔にかかった前髪に右手を伸ばし勝手に横に流すと、顔を触られ驚いた体がまたビクッと小さく動く。
魔力を流し始めてすぐに指輪から光が消え、魔力の流れが止まった。一気に魔力が流れたらしく、腕輪の方は淡い光を帯びたままだ。
「何をした?」
動けるようになったのか、慌てて体を起こし、困惑した表情で手の平をグーパーしながら何かを確認しているリゲル。その顔から疲労の色は消え、青白かった肌は血色が良くなったように見える。
「ふふーん。凄い魔法だと思いませんか?指輪を通してリゲル様に癒しの術をかけてみました。」
「君が癒しをかけただと?」
「はい。同じ指輪を持つ家族は、リュースを使わなくても指輪を媒体として癒しの術を施せるらしいです。」
これはリゲルの屋敷にいる時に、暇すぎて本を読みまくっていた成果だ。この術の本来の使い方は、子どもが安らかな眠りに付けるよう、親が子を寝かしつけながら癒しをかけやすいように考えだされたやり方らしい。
しかし、子育てを乳母がする貴族にはあまり浸透せず、今では廃れた術になったようだ。
もし、この術が失敗してもドゥーベの時のように魔力が体に流れ込むだけなので、問題はないかと思ってやってみたが、こうも簡単に成功するなら案外やってみるものだと思う。
残念ながら自分自身にこの癒しの術は使えないので、わたしが使える相手はリゲルしかいない。リゲルにはいつもケガの治療で術をかけてもらっているので、たまにはわたしがかけるのもありだろう。
わたしだって成長しているのだ。
「指輪にそんな使い方があると本で読んだことはあるが、実際にこの方法で癒しをかけてもらうのは初めてだ。」
「そうなのですか?やっぱり今は使われていないのですね。わたしの魔力が役に立ってよかったです。」
「あぁ。ありがとう。君のおかげで疲れが取れた。今日は寝ずに仕事ができそうだ。」
「え?いや、それじゃあ意味ないです。ちゃんと寝てください。仕事人間すぎます。」
「冗談だ。ありがとう、ディアナ。」
滅多に見せない優しい顔で微笑まれ、髪を梳くようにゆっくり頭を撫でられる。夜行蝶の光で輝いているリゲルの姿に、何とも言い難い気持ちがこみ上げ胸が熱くなった。
その表情、反則だよ。




