新しい部屋と調合室
温室は、神殿と執務棟の建物の間にある庭園を、ガラスドームで覆うように作られていることから、建物の両方から温室へは行き来ができるようなっている。
神殿に来た人なら誰でも利用できるよう、神殿側からの出入り口も二の刻から七の刻の間は解放されているが、下町の人に温室があまり知られていないらしく、来る人はほとんどいないらしい。
案の定、温室の中は休憩中の神官が寛いでいるだけだった。
リゲルの先導で温室へ入ると、普段は来ることのない人の突然の登場に、神官たちは驚きを隠せない表情だ。みんな何事かと失礼にならない程度に視線を向け、動向に注意を払っている。
小道を進むと、可愛い煉瓦造りの左右対称の建物があった。この建物に人が出入りしているのを見たことなかったが、ここもかつては神官の部屋だったらしい。
リゲルが建物の扉に手をかざすと扉の魔法陣が光り、同時に目の前の扉が一瞬で消え、アーチ状になった建物の入り口がぽっかりと口を開け現れた。
ここも執務棟と同じ契約魔法がかけられているので、出入りの許可を受けている人だけがこの建物の中に入れるそうだ。
「扉が無くなった・・・」
唖然としているのはわたしだけで、二人ともさも当たり前のような表情だ。
最初に見えていた扉は完全なダミーで、ドアノブを回した所で開閉はできない仕組みらしい。魔力登録を必要とする部屋は、扉を開け閉めするという概念がない場合が多く、そもそも扉にドアノブがなかったりもする。
建物の中は外観から想像していたより広く、天井も高い。入ってすぐの中央ホールから見て、奥のつき当たりに一枚、左右に一枚ずつ扉が付いていた。
左右対称の造りから予想は出来たが、室内の造りはどちらの部屋も同じらしい。左側の部屋は使っている人がいるらしいので、右側の部屋を登録することになった。
「ここは不特定多数の人間が自由に出入りできる温室なので、建物自体の警備は厳重だ。執務室と違い個人の部屋扱いになるので、登録者以外は中に入ることはできない。この五つ全ての魔石に色が変わるまで君の魔力を入れてくれ。やり方は屋敷の温室に登録した時と同じだ。」
「はい。」
扉には魔法陣が描かれており、その魔法陣を中心に上下左右、中央の位置に魔石が設置されている感じだ。魔石に触れるとすぐに色が変わったので、次々に魔石を染めていく。
透明だった魔石の色が全て黄色に変わると、魔法陣が青白く光り始めた。
「これでここが君の部屋になった。私とウィルビウス様、神官長は神殿の権限で、各神官の個室にも入れるが、それ以外の者は神官であっても中に入ることはできない。」
リゲルがドアノブを回すとギィと音を立て扉が開く。扉が消える仕組みじゃなかったらしい。素人にはその違いの判別が難しい。
部屋の中に入ると、魔道具が反応し部屋に灯りが付いていく。入ってすぐ玄関ホールにしてはかなり広い部屋があり、そこから扉が二つと、出入り口がアーチ状に切り抜かれた小部屋がある。
扉を開けると一つが調合室、一つは寝室として使える部屋で、アーチ状の出入り口の先にある小部屋は台所だった。簡単なお菓子ならここでも作れそうな設備だ。
「ここは以前、魔道具の製作を専門に行っていた神官が生活していた。備え付けの物は神殿の備品なので自由に使ってくれて構わない。部屋で使う日用品はこちらで揃えておく。」
「ありがとうございます。台所も使っていいのですか?」
「あぁ。何か必要な物はあるか?」
わたしは他の神官と違ってここで生活するわけではないので、調合ができて休憩する時のお茶があれば十分だ。だいたい、たまの調合でしか使わないのに、こんなに広い部屋を使ってもいいのだろうか。
調合室はリゲルの屋敷より少し狭いが、わたしが一人で使うには何の問題もない。今は素材も器材も何もないが、素材はアーレウスが器材はリゲルが揃えてくれる。
もう一つの寝室は、貴族が使うこともあってかなり広めだ。ここで寝泊まりするつもりはないが、衣装棚や寝具も用意するそうだ。
「今のところは、調合ができてお菓子が作れればそれで十分です。」
「分かった。こちらで必要そうなものを適当に見繕っておく。」
「ありがとうございます。アーレウス様をいつまでもお待たせするわけにはいかないので、そろそろ出ませんか?」
アーレウスはこの部屋に入れないので、外で待ってもらっている。昼食後、用が済んだのならさっさと帰れとリゲルに言われていたが、神殿の温室を見たいと言ってついてきた。
気にしなくていいよと言っていたが、お客様をいつまでも放置しておくわけにもいかないのではないか。
「君が気にしなくても温室の中を適当に見て回っているだろう。」
「そうでしょうけど・・・屋敷にいるときはお二人がご友人だとは全く気づきませんでした。」
リゲルは呆れ顔をして鼻で笑うと、口角を上げ、当たり前だと言わんばかりの顔をした。
「アーレウスは騎士団を通してアークツルス家の護衛として依頼している。同じ騎士団のコイオスもいた以上、主従関係をはっきりさせ、屋敷では一定の距離を保つのは当たり前だ。それが出来ないようなやつは、平民の護衛は務まらない。」
リゲルの言う通り、二人はわたしが平民だと知ったうえで、護衛対象者として接してくれていた。アーレウスは、リゲルの庇護下にある存在に興味があって気にかけてくれていたようだけど、それでも理不尽な扱いを受けることはなかった。
部屋から出ると、アーレウスは温室内を見て回っているらしく、扉の前にはいなかった。
「わたしも温室内を見て回っていいですか?どんな植物があるのか見ておきたいです。」
「そうだな。今後はここの植物を使うこともあるだろうから、一度しっかり見ておいた方がいいだろう。」
いつもはお茶ができる東屋で過ごすだけなので、ゆっくり散策をしたことはなかった。
流れる小川に沿うように上流の方へ歩くと、そこには噴水があり薔薇の庭園があった。珍しい品種はないが、香りづけに薔薇が使えそうだ。
「この薔薇も庭師の方が手入れをされているのですか?手入れした時に出る花弁を使いたのですが、誰にお願いすればいいでしょうか?」
「屋敷でも同じことを言っていたな。この庭園は契約した庭師が手入れに来ているだけなので、好きに使うといい。」
薔薇園の一角には、薔薇とは違う豪奢な花が植えられていた。その花が植えられた場所は、人が入れないよう頑丈な柵で囲まれ、花に近寄ることも触れることもできない。
「この花は薔薇ではないですよね。大輪で重なった花びらも大きくて綺麗。」
人を惹きつける美しさは、妖艶と言うべきか、これ以上近寄ってしまうと心が奪われそうで怖い。
「百花の王と呼ばれる異国の花で、この国では神の名を借りヒュペリと呼んでいる。手入れが難しいようで、今はまだ王宮と神殿の温室にしかない。」
「百花の王。花の王と呼ばれ、神の名を持つ花。確かにこれほど風格がある花を見たのは初めてです。刺繍にしたら映えそうですね。」
この豪奢な花もエミリなら美しく刺繍してくれそうだ。刺繍が苦手なわたしには到底無理だろう。
何も言っていないのに、わたしの表情を読んだのかリゲルから哀れむような視線を向けられる。
「刺繍が苦手なのは魔力を持つものとして致命的だな。騎士は魔力を込めた糸でマントに魔法陣を刺繍し、防御の加護を上げる。騎士でなくとも持ち物に家紋を縫い、加護の力を高めたりもする」
「貴族の方も自分で刺繍をするのですね。リゲル様もですか?」
「当たり前だ。君は何を言っている。騎士団に入れば防御の加護を上げるため、最高の魔法陣を構築しマントに縫う技術も必要だ。」
下町では刺繍上手な働き者が美人な奥さんと言われているが、貴族でもそうみたいだ。どこに行っても刺繍からは逃れられそうにない。
リゲルが刺繍をしている姿が想像できないが、その刺繍は物凄く気になる。マントを見せて欲しいとお願いしてみたが、自分の加護を他人に見せるものではないらしいので、普通に断られてしまった。
「そう言えば、この温室にも毒草はありますよね?」
「あぁ。だが目に付く場所にはない。建物にもう一つ扉があったのは覚えているか?あの扉の先に毒草が植えてある。」
ここは誰でも立ち入れる温室なので、隠すように植えてあるそうだ。それにしても、あの奥の扉の先が毒草園だったとは驚きである。
毒は薬にもなるので使い方次第だ。毒を研究しなければ解毒薬も作れないし、何より高濃度の回復薬にも毒草が使われていたりする。
「高学院で学んでない者が毒草を扱うのは危険なのですよね?」
「毒を扱う者はその解毒方を知っておく必要がある。解毒薬はリュースを使って魔力の調整をしながら調合する必要があるので、君が毒草を使う研究はできない。」
「本当にリュースがないと出来ない事が多くて不便ですね。」
今のところ毒草を扱う予定はないけれど、たまに出てくるこのリュース問題。せっかく調合室を使えるのに、一人だと出来ないこともあるので本当に残念。
「あと数年もすればディアナ嬢は高学院に行くのだろう。今はできないことが多くても、そこで学べばリュースも取得できる。」
どこからともなく現れたアーレウスの手には、しっかり摘んできた薬草が握られている。一瞬、何の薬草か分からなかったけれど、あれは催淫効果のある薬草だ。
その手元に視線を向けたリゲルは、小さく溜息を吐いた。何に使うのか、それは聞かない方がいい。
「え?いや、わたしは高学院へはいかないですよ。」
「ん?リゲルはそのつもりで勉強させていたのではないのか?」
もう一度、大きな溜息を吐いたリゲル。分かりやすく眉間に皺が寄る。
「アーレウス。用が済んだのならさっさと帰れ。」
「そう心配しなくても十分楽しんだからもう帰るよ。それじゃあディアナ嬢、次は約束通り素材を持って来るから香油の件はよろしく。土産もありがとう。」
お礼を言いながらわたしの頭を撫でると、颯爽と帰って行った。護衛をしてくれた時と、イメージが違いする。
その後ろ姿を見ながら、「やっと帰ったか。」とリゲルは呟き、また大きな溜息をついた。




