温かい場所
頬を撫でる春の女神が織りなす暖かい息吹は、天高く昇る太陽に照らされ、肌を突き刺すような夏の暑さに変わった。
夏の真っ只中に眠り込んだわたしが、リゲルの屋敷に来てから季節が一周したことなる。
そしてその季節の移り変わりに合わせ、ついに家に帰れる許可が出た。
回復薬の副作用も新しい魔法陣の反動もなく、増えた魔力も徐々に体に馴染んだことから、普段の生活に戻っても問題ないだろうとの判断だ。
ただ、屋敷で与えられていた部屋や、ドレスや装飾品はそのままにしておくことになった。普通の生活に戻れるといっても、元々魔力の多いわたしの体は常に不安定な状態らしい。
午後の授業の間、落ち着きがないわたしの様子に、リゲルは眉間に皺を寄せ深い溜息をついていたが、早く家族に会いたくて授業に身が入らないのは仕方ないと思う。半分は眠っていたとはいえ、突然家族から離され全く会えてなかったのだから、帰れると分かった今、落ち着けるわけがない。
わたしを神殿まで迎えに来てくれた両親は、応接室でウィルビウスに今後の説明を受けているらしく、話しが終われば授業を切り上げて一緒に帰っていいことになっている。
既に全く集中できず授業にならないので、呆れ顔のリゲルは授業の手を止めた。
「もし家にいるときに体に異変を感じたら、すぐに神殿に使いを出して迎えを呼ぶように。両親にも魔力の説明はしているが、体調不良の原因が魔力なら平民では対処ができない。以前のように自分たちで解決しようとしないように。」
「そうですね。もうあんな風に眠りたくはないので、すぐに神殿へ行きます。」
ほどなくして、神官が話しが終わったことを連絡に来てくれた。両親は外の広場で授業が終わるのを待っているらしい。まさかこんなに早く授業を切り上げているとは、誰も思っていなかったようだ。
「リゲル様、治療をしてくださってありがとうございました。お世話になりました。」
屋敷で世話になったお礼をいい、スカートを摘まんで、まだ拙い貴族の礼をする。短い間に身に付いた淑女教育の賜物か、走って両親の所に行きたい気持ちを抑えながら、急いでいるけどはしたなく見えない程度の早歩きで広場へ向かう。
リゲルの顔を見ると、何か言いたげな表情をしたていたが、早く帰りたかったわたしは、その表情に気づかないふりをして部屋を後にした。
神殿前の広場では、ジークとコーナはディアナが出てくるのを今か今かと待っていた。落ち着かない様子のジークの姿は、洗礼式の日に、神殿に飛び込んで行きそうだった姿と重なって見える。
「心配しなくてももうすぐ帰って来るわよ。神殿長様もそうおっしゃってたじゃない。」
「分かってる。ただ、落ち着かないだけだ。」
ジッとできないジークについ笑いが漏れる。思い返せば、あの日を境にディアナの生活は一変した。
貴族と同じ魔力があると言われ、商人の子たちと一緒に神殿学校に通い、平民は一生かけても学ぶことができない教養を身に付けている。学ぶことが好きなディアナは、学校の授業で新しい知識を増やし、動きの一つ一つが洗練され、身のこなしが綺麗になっていた。
そして、気が付けば眩暈がしそうなほど美しい宝飾品の腕輪を付け、貴族の紋章の入った指輪を付け始めた。ジークは納得いかない顔をしていたが、ディアナが私たちの可愛い娘である以上、根本的な部分は何も変わらない。
それでも、森で経験した見たことのない神秘的な光景に、家族全員が魔力への恐怖と畏怖の念を抱き、神に選ばれた存在のような異質さを感じた。
「お父さん、お母さん!!」
神殿の方から聞こえてきたのは、まだ幼さの残る聞き覚えのある声。ディアナが出てきたことに気づいた二人は、娘の元へ駆け寄ると腕を広げ強く抱きしめた。
「おかえり。」
抱き合った瞬間、先ほどまで笑顔だったディアナは顔を歪め、縋りつくように胸元で泣き始める。顔を埋め、声を上げることもなく静かに泣く様子から、ずっと寂しさに耐えながら一人で泣いていたのだろうか。
抱きしめた体は想像していた以上に成長し、記憶にある幼い子ども特有の丸みを帯びた体は鳴りを潜めていた。凹凸のなかった体は若干ではあるがメリハリが付き、綺麗に伸びた背筋と相まってとても美しく成長したのが分かる。成長期の子どもとはいえ、この急激な成長は魔力が原因らしい。
「見ない間にお姉さんになったわね。」
記憶とは違う体をギュっと強く抱きしめると、我慢できなくなったのかしゃくり声を上げ始めた。その姿は最後に見た日から何も変わらない甘えん坊の可愛い娘だ。
「ううっお母さん、会いたかったよ。グスッ。早くお家に帰りたかった・・・」
背中に回していた手で髪を梳くように撫でると、貴族の屋敷で手入れされた金色の髪は艶を増し美しさに磨きがかかっていた。ちゃんと大切にされていたようで、本当によかった。
「ふふっ。見た目はお姉さんになっても、中身はあの日のままね。本当に元気になってよかった。」
「うん。・・・お父さん、お母さん、ただいま。」
顔を上げたディアナの大きな瞳は潤み、ボロボロっと涙が溢れた。ジークは泣いているディアナの頭をぐりぐりと撫で、脇に手をかけ高く抱き上げると、ディアナの顔を覗き込みながら白い歯を見せ笑った。
「ディアナ。さぁ、我が家へ帰ろう。」
「うん。」
笑顔で頷くディアナを抱き上げたまま歩きだすジーク。ディアナは周囲を見渡しながら恥ずかしそうに俯いたが、俯く顔はとても嬉しそうに笑っていた。
抱き上げられたまま家の中に入ると、そこには変わらない空間が広がり、目を潤ませたエミリとアレクが「おかえり。」っと両手を広げ、潰れるほどぎゅうぎゅうと抱きしめてくれた。二人からの強めの抱擁に色んな意味で涙が出そう。
二人の後ろから顔を覗かせたインディは、頬を赤く染めながら恥ずかしそうに俯き、小さい声で「おかえりなさい。」っと言うと、また二人の背後にスッと隠れた。そういうお年頃のようだ。
久しぶりに家族が揃うからとコーナは腕によりをかけた料理をたくさん作り、エミリとアレクはディアナの好きそうなお菓子をたくさん買って来てくれていた。
「昨日、突然お母さんからディアナが帰って来るって聞いて本当に驚いたのよ。何度神殿へ行っても、容態が安定するまでは元の生活には戻せないって門前払いだったから。」
「そうそう。俺もインディが急に工房に来たから良くない知らせかと思った。」
「心配かけてごめんなさい。わたしがリゲル様の屋敷で治療していたことは、ほとんどの人に知らされていなかったから連絡手段がなかったの。」
神殿へ連れて行かれ、数日後には貴族の屋敷で治療しているっと言われたので、高度な治療を受けれることへの安堵と、そこまで深刻な状態なのかという絶望で家族は放心状態だったらしい。
それから何の情報もないまま冬籠もりの時期に入ったので、神殿へ行くこともできず、目が覚めたと知った時は冬籠もりが明けた春になっていた。
「父さんが神殿に乗り込んで行きそうな雰囲気で、抑えるの大変だったんだぞ。」
その情報は隠していたかったのか、アレクを一睨みしてお酒を飲むジークの目元は赤くなっていた。
乗り込むとまでは言わないが、暇を見つけてはわたしの情報を得る為に神殿まで足しげく通ってくれていたらしい。
リゲルや神殿長に会えずとも、とりあえず誰か神官に会えればいいと思っていたそうだ。
「神殿へ行けば神官には簡単に会えるものだと思っていたが、行ったからといって式典がなければ見かけることもないんだな。毎日、ディアナの送迎で神官を見ていたからすぐに会えるものだと勘違いしていた。」
神殿に行けば神官がいるっというのは間違いではないが、式典がない日はどこかへ仕事で出ているか執務棟で仕事していることが多いので、神殿の方へ立ち入ることはほとんどない。神殿の清掃や空調管理は魔道具か下働きの人がやっているらしく、一般人が気軽に神官に会える機会はないそうだ。
「それより、貴族の屋敷での生活を聞かせて!リゲル様は公爵家だから凄いお屋敷だったんじゃない?それに髪も肌も物凄く綺麗。」
うっとりした顔で髪を梳くように触っているエミリ。その隣でコーナも目を輝かせながら頷いている。
「毎日たっぷりのお湯で湯浴みして、侍女が髪も丁寧に洗ってくれるのよ。その後は隅々までマッサージされて、香油で髪と肌を整えるの。」
「素敵。お世話してくれる人がいるなんて、本物のお姫様みたいね。」
「お姫様のようだったけど、服も部屋も豪華すぎて何をするにも汚さないか心配だったわ。いつも気が張ってて気持ちが休まらなかった。」
どんなに贅沢な生活でも全く心は休まらなかった。あの広い部屋で何度泣いたか分からない。やっぱりわが家が一番いい。
アレクからは案の定、背が伸びたことを指摘された。同じ年の子たちより頭一つ分は大きいので、哀れむような目で見れらたが、魔力の影響で成長したので、わたしせいではない。
小柄なリーベルが言うには、男の子がみんな小柄な子が好きなわけではないらしいので、多分アレクの好みのが小柄な子なのだろう。今までアレクの好みを聞かされていたのかと思うと憤慨である。
食事が終わると、明日も仕事のアレクは下宿先へ帰った。エミリは泊まる予定なので、一緒に子ども部屋に入り寝る準備を始めた。
インディはわたしがいなくなってから、一人で寝るのが寂しくてずっと両親と寝ていたらしい。今日もそのまま両親と一緒に寝るようだ。
久しぶりに寝る自分のベッドは、木の箱にボロ切れを詰めた布袋を置いただけのなので物凄く硬い。今まで当たり前のように寝ていたけれど、貴族の柔らかく寝心地の良いベッドに慣れてしまった体にはちょっと辛い。
「ねぇ、お姉ちゃん。森で話してくれた婚約の話しはどうなったの?」
隣に並んだベッドに横になっているエミリの方を向くと、そう言えば話してなかったわねっとニコリと微笑んで、あの後のことを教えてくれた。
「実は、ディアナのことがあったから断ろうかとも思ってたの。でも、それを理由に断ったら目が覚めた時に絶対に怒られるって思い直して、話を進めてもらうことに決めたわ。」
「本当!?お姉ちゃんおめでとう。じゃあ花紡ぎの儀は済んだの?」
「ううん。お店の開店準備が忙しくて自分の衣装が作れそうになかったから、今回は二人で話し合って参加してないわ。次の花紡ぎで結婚するつもりよ。」
婚約を決めるとすぐに、お店の譲渡のための書類作りや顔見世で慌ただしくなり、新しいお店の噂を聞いたエミリの顧客からのご祝儀代わりの注文が増えて、本当に大変だったようだ。
自分の衣装は自分で作りたいっというエミリの意志を尊重し、結婚を待ってくれている婚約者もかなり素敵だと思う。
ふんわりと優しく笑うエミリは幸せそうで、これで本当にお嫁に行っちゃうのかっと少し寂しくなったのは秘密だ。
お互いの顔を見ながら眠くなるまでたくさんお喋りをした。わたしはリゲルの屋敷でのことや神殿学校のことを話し、エミリは婚約者のことを教えてくれた。時間を忘れて夜遅くまで話し、気づけばいつの間にか眠っていたらしい。
朝起きたとき体は痛かったけれど、心はとても温かかった。




