薬草園と流行の発信(後)
わたしが調合室に籠もった日は、晩餐後、出来上がった香油をリゲルと確認に行くのが日課になっていた。
リゲルと二人で温室へ行くと、わたしの護衛とリゲルの護衛が温室の出入り口と調合室の前に待機する。たかが敷地内の温室が、一瞬で物々しい雰囲気だ。
屋敷内の移動でそんなに護衛が必要なのかと疑問に思うけど、貴族はこれが普通らしい。これを言うとまた怒られそうなので言わないが、二人で移動する時はわたしの護衛は必要ないと思う。
調合室に入ると、まずはリュースを使って室内の洗浄をしてもらった。使った道具の洗浄は魔道具の中に放り込めばいいが、部屋の中はそうもいかない。水拭きや箒での掃除はどうしてもやり残しが出るので、調合室の清掃としては完璧とは言えないそうだ。
リュースでの洗浄は、魔力を使って一気に部屋を丸洗いして汚れを取る感じなので、隅々まで掃除が行き届き、汚れや埃が残らず消滅する。リュース、便利すぎる。
「いま漉している分は、今までの中で一番わたし好みに仕上がりそうです。少し匂い成分が出てるようなので、嗅いでみませんか?」
瓶に溜まった分をリゲルに渡すと、僅かに匂いを嗅ぎ、小さく頷きながら表情が緩む。強い香りを好まないリゲルも好きな香りのようだ。
「君の作る香油は侍女たちに人気らしいな。アーレウスたちにも渡しているようだが、貴族の間で流行らせるつもりなのか?」
「いいえ。アーレウス様にも同じことを聞かれましたが、量があまり作れないので無理ですね。」
一人ではあまり量が作れない以上、完全に趣味の域を出ない香油を流行らせても仕方ない。今のように知り合いに使ってもらうだけで、わたしは満足だ。
保管庫から瓶を取り出し、晩餐前に出来上がったばかりの香油の匂いを嗅いでみると、この短時間で最後に入れた花の芳香成分がしっかり溶け込んでいた。このまま一晩ほど置けばさらに香りが出そう。
「これが今日出来上がった分です。わたし用なので貴族の方が使うには、少し匂いが足りないと思います。」
こちらもリゲルに渡して匂いを嗅いでもらうと、やはり小さく頷き「ほぉ」っと目を細め感嘆の声を上げる。香油を使わない男性の意見とは言え、第三者の反応は今後の参考にもなるのでありがたい。
「清涼感のある爽やかな香りだ。君は甘い香りが好きだと思っていたが、こんな軽い香りが好みだったのか。」
「甘い香りも好きですが、これからの季節は爽やかな香りの方が好ましいと思います。暑い季節に甘い香りだと匂いが重すぎて、合わないなっと。」
「確かに。甘い匂いが充満する夏の夜会を苦手と思う男は多い。その香りなら不愉快に思う者も少ないだろう。」
基本的に下町で使われる香油は香りを楽しむためではなく、肌を保護するために使う人が多い。冬の乾燥から皮膚を守り、夏の日差しで火傷しないように肌を守る役割として使用するので、匂いはほとんどない。
多分、植物油をそのまま使っているので、ほんのり薬草の香りがするだけの自然の匂いだ。それに慣れているわたしは、嗜好品として使っている貴族の香油は苦手。
家に戻ることができれば、香油の匂いに悩むことがなくなる。逆にこれを香付きの香油として下町で売れば、お洒落好きな人から流行るかもしれない。とは言え、ここを離れたら道具も材料もないので、香油作りはできないだろうけど。
「この干してある花は何に使うつもりだ?」
「あぁ。これはまた別の物を作っています。花を乾燥させて、精油を全体にかけて熟成させれば簡単な芳香剤が完成です。可愛い容器に入れて部屋に置けば、いい香りがしますよ。わたしの部屋にも置いてます。
「君がこれほど研究熱心だったとは意外だな。何か作業に必要な物があれば用意させよう。」
ではわたし用のリュースが欲しいですっと喉まで出かかったが、これは高学院に行かなければ取得できないので、冗談でも言ったら面倒なことになる。
一度、リュースがあればなっと言った独り言を聞いていたのか、貴族の養女になれば通えないこともないっというニュアンスのことを言われた。
せっかく魔力があるのにリュースがないと掃除一つまともにできないし、調合の時もほとんど魔力が役立ってないのは残念だが、貴族の養女となると話は変わってくる。
口は禍の元。余計なことは言わないにかぎる。
「庭園の花を摘みたいのですが、摘んでもいいでしょうか?薔薇を使ってみたいです。あとはもう少し大きい瓶が欲しいです。」
「庭の花は庭師に言って好きなだけ摘めばいい。瓶は私が使っていない物があるのですぐに用意できるだろう。あとはインテリアとして使えるデザイン性のある容器でも準備させよう。」
ありがとうございますっと頭を下げ、用が済んだので調合室から出ると、温室の中では夜光花が開花したタイミングだったのか、美しく咲き誇っていた。
この花は、月の光を浴びて夜にしか咲くことがない珍しい花だ。花粉が光を放ち、真っ暗な夜道に植えると灯りの代わりになる。しかし寒さに弱いので、王都周辺の自然下で咲かせるのは難しいそうだ。
だからと言って栽培が難しいわけでもなく、寒さに気を付ければ育てるのは簡単。その為、温室のあちこちに増えた花が足元を照らしていた。
たくさんある面白い花なので何か使えないか考えたこともあったが、残念ながら毒草なので今のところ使いようがない。根の部分に大人一人分の致死量の猛毒があるらしいので、素人が下手に手を出せないのだ。
そんな危険な花が普通に植えてあるリゲルの温室。怖すぎる。
そのまま部屋の前まで送ってもらい、リゲルは自分の部屋へ戻っていく。騎士もいるので送り迎えは不要だと思うけれど、こんな小娘相手でもそれが当たり前だと思っているリゲルは本当に紳士だと思う。
わたしの部屋が屋敷の左端ならリゲルの部屋は右端っという感じの部屋割りなので、お互いの部屋はそれなりに遠い。独身の男女っということもあっての配慮らしい。
一人で部屋に入ると自分の家が収まるほどの広い部屋に、無性に寂しくなってくる。わたしの魔力が原因でいまだに家には帰れないので、口に出して帰りたいと言わないようにしているが、寂しくないわけがない。家族に早く会いたい。
どうしようもない寂しさに気持ちが揺れ、魔力が溢れて腕輪が淡く光っている。魔力を吸ってこの気持ちが落ち着くなら、枯れるまで吸い取ってほしい。
声を上げて泣きたい弱った心も、いますぐ屋敷を飛び出して家に帰りたい衝動も、家族への思いも全部吸いとってくれればいい。
干渉に浸っていると、扉の外から廊下を歩く足音が聞こえてきた。湯浴みの準備に来たヴァルナだろう。
グッと魔力を体の奥に無理やり押し込めると、腕輪から光が消える。溢れていた魔力に蓋をすると、深呼吸をしながらゆっくり口角を上げ表情を作った。
あぁ、わたしも貴族に染まったらしい。




