薬草園と流行の発信(前)
屋敷の広大な庭の一角には、わたしの家より広い温室が建っている。この温室には花だけでなく、料理に使える香草やリゲルが調合で使う薬草が植えてあり、何度来ても飽きない。
ただ、温室への出入り自由だがここには毒草も植えてある為、植物に触れる際は必ず護衛の騎士に安全を確認してもらうよう言われている。
この護衛、わたしが屋敷に滞在するにあたり用意されたのだが、部屋から一歩出ると護衛が付くので正直、落ち着かない。
温室以外では必要ないからと何度もリゲルに直談判したけれど、貴族には屋敷内でも護衛が付くのが当たり前なので、逆に何を言っているんだと言わんばかりの不可解な顔をされてしまった。
わたしが温室へ入ると、護衛は建物の出入り口に一人、側に一人が付く。ここに来るのは香草を取りに来る料理人くらいなので、リゲルが神殿へ行き一人で屋敷にいるときは、この場所でゆっくり過ごすのが日課だ。
「神殿学校へ通えるようになったので、ここでゆっくりする時間はなくなりましたが、屋敷にいる間は出来る限り来るつもりなので、今後も護衛よろしくお願いします。」
側に付いている護衛のアーレウスの方を向き頭を下げると、そっと肩に手を置かれポンポンと軽く叩かれる。
「護衛に頭を下げるものではありませんよ。ディアナ嬢らしいですが、あまり外聞はよろしくありませんのでお気を付けください。」
「あっすみません。」
アーレウスは上位貴族だ。リゲルの家より順位は低いが同じ侯爵家で、彼もまた後継ぎではないので騎士になったらしい。騎士なので家の階級は関係ありませんと笑っていたが、配属先にはある程度の派閥や家格が反映されるそうなので、なぜそんな人がわたしの護衛に付くのが不思議でならない。
入り口にいるもう一人の護衛コイオスは中位貴族らしい。コイオスは寡黙で淡々と仕事をこなしているが、休みの日も他の護衛達と体を鍛えたり打ち合ったりしているので、真面目な人なのだろう。
最初の頃は早く打ち解けたくて無駄に話しかけていたが、態度がかなり素っ気ないので嫌われていると思っていた。アーレウスに言わせると普段から寡黙で無表情なので、そういう人だと思って割り切ってくれということらしい。
「今日はあまり時間がありませんが、何をいたしましょうか。」
そう。アーレウスの言う通り今日はあまりゆっくりする時間がない。わたしの自由時間は神殿学校から帰ってきて、リゲルが帰って来るまでの短い時間だ。それでもわたしが温室に来た理由。
「薬草の採取をするわ。調合で試したい組み合わせがあるの。」
少ない時間でもわざわざ温室まで来た理由。それは、香油の調合だ。
神殿学校へ行く許可が出るまで、温室のティーサロンで本を読んでゆっくりするのが日課になっていたわたしは、そこに置かれた本棚に香りの調合方法が載った本があるのを見つけた。
何の気なしに本を手に取り読み込むと、素人でも道具さえあれば気軽にできそうだったので、時間を持て余していたわたしは、香りの調合をやってみることにした。
リゲルから薬草採取と温室に併設されている調合室の使用許可が出たので、まずは道具の使い方を教えてもらいながら簡単なポプリから作ってみた。それ以外にも、香り玉を練ってみたり香油作りにも挑戦している。
香油作りは切実に差し迫った問題で、いま使っている香油は香りが強く全く好みではない。それでも髪の手入れには必要なもので、鼻に付く強い匂いにげんなりだ。
特に平民が使う香油は、質の悪さを匂いで誤魔化している感が否めない。
出来上がった試作品はわたしが使うだけでは追い付かないので、屋敷にいる侍女たちも気になった匂いがあれば自由に使ってもらっている。もちろん使った感想を忌憚なく言ってもらうのが条件だ。
「先日いただいた香油ですが、妻がとても喜んでおりました。私もあの強い匂いは苦手だったので本当によかったです。」
「気に入ってくださってよかったです。貴族の方は強い匂いが好きだと思ってましたが、香りの好みに平民も貴族も関係ないようですね。」
「えぇ。実際、女性のあの匂いが苦手な男も多いですよ。売り出せば男性からの贈り物として重宝すると思いますが、貴族の流行として表に出すご予定はないのですか?」
家格の高い上位貴族は、新しい流行を生み出し世の中に広める義務がある。それは上位貴族としての一種のステータスのようなものではあるが、その生み出した流行が貴族間で広まりやがて平民に伝わって経済が回るらしい。
しかし、貴族でもないわたしが流行を広める義務はないだろう。
「はい。この香油はわたしの趣味で作っているようなものなので、世に出すことを考えてはいなかったですね。ただ、贈り物として喜ばれるのであれば、今後の扱いに関してはリゲル様に相談してみますね。」
「売り出された際は騎士仲間にも薦めさせてもらいますね。どこの家も女性へのご機嫌取りに重宝すると思います。」
満面の笑みでニコリと笑ったアーレウスは、喋りながらもしっかりわたしの手元を見ていたらしく、「その草、根っこを触ると皮膚が爛れますよ。」っと流れるように注意してくれた。
可憐な花が咲いているのに、なかなか凶悪な種類だったようだ。
「コイオス様も奥様に贈られたのでしょうか?アーレウス様とは違う香りをお渡ししたので、出来ればこちらも感想をお聞きしたいのですが・・・」
チラリと出入り口の警備をしているコイオスへ視線を向けると、こちらに背を向け、誰もいない庭園をしっかり警戒しているコイオスの姿が目に入る。やっぱり彼は真面目だ。
「コイオスは未婚なので、婚約者にでも渡したのではないでしょうか。おい!コイオス!ディアナ嬢がお呼びだ。香油の件で伺いたいことがあるそうだ。」
突然アーレウスに呼ばれ、ゆっくり振り返る顔はあいかわらずの無表情。僅かに首を傾げながらもわたしに呼ばれていると分かると、周囲を一度ぐるりと見渡し安全を確認して、こちらへ来てくれた。
「コイオス様にお渡しした香油ですが、婚約者の方に贈られたのですよね。もしよろしければ、今後の試作品の参考にお相手の反応をお聞きしたいのですが。」
一瞬の無言の後、やはり無表情のまま顎に手をあて、渡した時のことを思い出してくれているようだ。しかし、何とも言えない無言の時間が続く。
「あー・・・。申し訳ない。使った感想は聞いていない。渡してすぐに匂いを嗅いだ時は、いい香りだと喜んでいたと思う。」
婚約者の話しに、若干、無表情の顔が和らいだので、渡した時の反応は本当に喜んでくれていたのだろう。出来れば使った感想も聞きたかったけれど、口数の少ないコイオスにそれを求めるのは今後も難しそう。
ただ、匂いを嗅いだ時にいい反応だったのなら、思っている以上に軽い匂いが好みの人が多いのかもしれない。
「ありがとうございます。喜んでいただけていたのならよかったです。もしよければ、使った感想を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「・・・あぁ。善処する。」
それだけ言うと一礼し、また出入り口の警戒へ戻って行った。やはり真面目だ。仕事中の無駄な雑談は最低限ということらしい。
それだけ仕事に忠実な人だからこそ、偽物の令嬢相手でもきっちり護衛を務めてくれるのかもしれない。
「あっ!欲しいのはこの花です。ちょっと多めに採りたいので手伝ってもらってもいいですか?」
「もちろんです。」
手伝ってもらいながら採取をしたおかげで、予定よ早く必要な量を取り終えることができた。リゲルが帰って来るまでまだ時間がありそうなので、調合室で作業ができそうだ。
この調合室には、リゲルが揃えた一流の道具と素材が揃っている。以前はこちらで調合をしていたらしく、高学院時代に他領で集めた高価な素材が保管されている。
今は神殿の自室に作った調合室を使っているので、こちらの調合室はほぼわたし専用となっていた。
調合室には高価な素材や道具があるので、扉に設置された魔石に魔力登録をした人間しか中に入れない仕組みになっている。コイオスは引き続き温室の出入り口に立ち、アーレウスは調合室の扉の前で待機だ。
香油作りは道具さえあれば意外と簡単で、まずは花びらをナイフでなるべく小さく刻み、すり鉢でゴリゴリと潰していく。その中にアルコールを入れて、耐熱の容器に移し替えてから半刻ほど湯煎にかけると香り成分が抽出される。香りが弱ければさらに抽出時間を延長。
最後に目の細かい布で漉していけば香水の完成だ。ただ、この漉す作業は、重力に任せて自然とフィルターを通す必要があるので、一晩かかる時もある。
そしてこの香水を植物から抽出した植物油に混ぜると香油が完成だ。香りが足りない時は花のまま香油の中に漬け込むと、芳香成分が溶け込むだけではなく、見た目も可愛くなる。
前日に漉していたものを使って香油を作り、出来上がった分を瓶に詰めて保管庫へ入れていると、調合室の外からの連絡手段である魔道具が光り、そこからアーレウスの呼ぶ声が聞こえてきた。
「ディアナ嬢。リゲル様がご帰宅されたと連絡が入りましたので、片付けをお願いします。」
「え!?もうそんな時間!急いで片付けます。」
使った後の道具は水洗いだけでは汚れが取れないので、洗浄の魔道具に放り込む。リュースがあれば洗浄の魔法で簡単に片付けが済むのだが、わたし用に魔道具を用意してもらった。
洗浄のためとはいえこの魔道具はかなり高価で、大量の魔石を使う。この香油作りもリュースがあればもっと簡単にできるらしいので、切実にリュースが欲しい。
リュースがないと調合もまともにできないとリゲルが言っていたが、こういう事なのだろう。




