はじまりの季節
冬の終わりを告げる嵐が静まり、春の女神フォルツァヌスの吐息が新しい季節をもたらす。
雪に覆われていた山々は新緑で色づき、暖かい陽射しに花が咲き、動物たちは冬眠から目を覚ました。
人々は長かった冬の生活から開放され、待ちに待った春の訪れに街は賑わい活気づいている。
冬の間、神殿学校も長期の休みに入り、リーベルたち商人の子は家業の手伝いに性を出し、ディアナはもらった教材で勉強したり、母の内職を手伝ったりと充実した冬を過ごした。そして、長かった冬は雪解けを合図に終わりを告げ、神殿学校は再開した。
神殿に通い始めてからあっという間に季節が三つ過ぎ、ディアナはこの春で七歳になった。
「アデルの家の商隊は今回どこへ行くの?」
わたしの席の両隣にリーベルとアデルが座り、後ろの席にネヴァンが座ってお喋りするのが授業が始まるまでのいつもの光景となっていた。
最近の話題は専ら他の領地への買い付けの話しだ。
雪で閉鎖されていた王都へ続く街道が解放されると、商人たちの買い付けが始まる。商人の子たちも洗礼式を終えた子は、見習いとして大人の買い付けに同行することができるらしい。
今回、春に出発する商隊に、アデルやネヴァンを含む数人の子たちも参加するそうだ。
「俺のとこはブリギッド領まで行く。」
「ブリギッド領って国境の街だよね?」
「そうだ。ファンエリオンの一番端にある領地で、馬車で片道三十日はかかるな。帰ってくるのは秋の終わり頃になると思う。」
リーベルの問いにアデルがブリギッド領の話を始めると、近くの席にいた他の子たちも興味があるのか、こちらに体を向けて話を聞いている。
商隊に参加した経験の多いアデル。彼の話はとても勉強になるので、みんな聞くのを楽しみにしている。行ったことない人への情報提供も兼ねているので、わたしでも分かる浅く広い知識を教えてくれる。
「異国の文化が入ってきてるから王都とは全く違う雰囲気なのよね?」
「あぁ。俺もブリギッド領には初めて行くけど、気候が暖かいからか人の服装も食べ物もこっちとは全く違うらしい。」
「へー。面白そう。寒いのが苦手だから、僕もブリギッド領辺りで取引先開拓しようかな。」
本気なのか冗談なのか屈託なく笑うネヴァン。大陸の南部には手付かずの自然が広がっているが、温暖で雨量の多い地域の材木は品質が劣る為、目を向けていなかったそうだ。
ネヴァンの実家の取引先は品質の良い材木が採れる北部に集中している為、寒いのが苦手なネヴァンにとって避けては通れない問題らしい。
「ネヴァンの商隊はどこに行くんだ?」
「今回はベリサマ領とヌアザ領を回る予定だよ。弟が初めて商隊に参加するから、王都とは行ったり来たりになるだろうね。」
王都に隣接しているベリサマ領とヌアザ領は、馬車で半日もあれば行くことができる。気軽に行けることもあって、友人との小旅行や家族旅行の行き先として人気らしい。
「ベリサマ領は水が綺麗だから、木の品質が良いんだよね?ベリサマ産の木で作られる家具が王室御用達になるんだっけ?」
「うん。さすがディアナはよく勉強してるね。今回のベリサマ行きも、工房へ降ろしている木材の加工場の視察に行くんだ。」
ネヴァンの家は、王都で出回っている木材加工品の半数、王室御用達の高級品から平民でも気軽に買える安価な家具を手掛けている。
わたしの家にある食器棚もネヴァンの家が販売したものだった。ちなみにそれ以外の家具は、父ジークの手作りの物が多い。お金をかけない生活の知恵らしいが、壊れやすいのが玉に瑕。
「リーベルは勉強は進んでる?」
「え、えぇ。ネヴァンから貰った資料を毎日読み込んでるわ。」
ニコリと微笑みながら視線を向けたネヴァンに、僅かに頬を染めながら頷くリーベル。あいかわらずネヴァンの気持ちは分からないけど、リーベルの方は婚約を結び直せないか模索中らしい。
この春から商隊への同行が許可されたリーベルは、冬の間の見習いの勉強がかなり厳しくなったらしい。女性が商隊に参加するのは体力面や衛生面で大変なことも多いので、どうしても厳しい指導になるそうだ。大きな溜め息をつきながら「家に帰ってからも勉強で大変。」っと口では言っているけど、その顔は嬉しそうに笑っている。
「わたしも早く王都の外に出てみたいな。月詠みの儀が待ち遠しい。」
基本的に商人の子ども以外は、月詠みの儀が終わるまで王都から出ることができない決まりになっている。ただ、下町の子どもは王都の外にある森へ食料調達へ行くので、洗礼式が終われば門の管理をしている兵士の許可だけで自由に出入りできる。厳しいようで結構緩い。
「ベリサマのお土産を買ってくるから楽しみにしてて。」
「俺もブリギッド領のお土産を買ってくるよ。あそこは珍しい物ばかりだからな。」
「ちょっと、二人とも!お土産はディアナだけ?」
口を尖らせ不満顔をするリーベルだが、ネヴァンに向ける視線はどこか幸せそう。その表情を見つめるネヴァンの頬が、ずっと緩みっぱなしのような気がするのは気のせい?
「そう言えば、ブリギッド領って隣国から来てる人も多いんだよね?言葉は大丈夫なの?」
リーベルの言葉にアデルの笑顔が消え、眉を寄せ何とも言えない険しい表情。
そう、アデルが行くブリギッド領は、隣国との国境の領地なので多数の外国人が出入りしているらしい。そして、今回、アデルたちがブリギッド領まで行く目的が隣国、ロジェクトとの取引の為だ。
ブリギッド領にあるデルタ商会の支店の人間が以前から話を進めていたので、取引自体は問題はないらしいが、言葉の壁がかなり深刻らしい。ロジェクトの言語は発音の基礎が全く違う為、聞き慣れていない王都の人間には取得が困難を極める。
跡取りのアデルが言葉が分からないのもあまり褒められた状況ではないので、ロジェクト出身の講師を招いて勉強はしているらしいけど、全く聞き取れないっと落ち込んでいる。
国境周辺の領地はどこも同じように隣国の人が出入りしているので、他国の言葉を離せると何かと重宝されるようだ。
わたしも他国の言葉は勉強していないので、ファンエリオンの周辺国くらいは勉強するのもありかもしれない。自国の勉強が落ち着いたらそっち方面も学んでみよう。
「ブリギッド領に行くのは初めてだよね?向こうで生活すればロジェクトから来ている人も多いし、言葉も聞き取れるようになるんじゃない?」
「講師からも机上で勉強するより現地で言葉に触れれば、自然と覚えていくって同じことを言われた。分かってるけど、やっぱり焦るよ。」
眉を八の字にして物悲しげに微笑むアデルに、ネヴァンは「ハハ」っと冷ややかな意地の悪い微笑みを口元に浮かべて声を上げて笑う。普段は見せない表情に、付き合いの長いリーベルは驚愕の顔をしていた。
「アデル、君の考えは少々傲慢すぎると思うけどな?ロジェクトの言葉は君が一朝一夕で習得できるような簡単な言語じゃない。」
それに…っと言葉を続けるネヴァンは、チラリと周りを見渡すとニヤリと大げさに口角を上げて笑い、芝居がかった口調でアデルに視線を戻す。
「君が冬の間に学んだくらいで完璧に言葉を操れるようになっていたら、ロジェクトの言語を三年もかけて学ぶ貴族のお坊ちゃんたちはいい笑い者だ。ファンエリオン内の一流の講師に学んでも流暢に話せるようになるのは一部の者で、大半は基礎語学の段階で脱落する。」
それほど難しい言語だから、習い始めたアデルが理解できないのは、当然の結果だと誰もが理解できる。話を聞いていた子たちも「へぇ」っと揃って頷き、貴族も出来ないならアデルがすぐに出来なくても仕方ないよねっと口々に納得している。
アデルを慕う子たちが向ける変わらない尊敬の眼差しを見て、いつも通りのおっとりした優しい笑みを浮かべているネヴァン。
その意図に気づいたアデルは、頬を引きつらせながら困惑している。
「ネヴァン、お前なぁ。」
二人の表情から付き合いの長いリーベルもその意図に気づいたらしく、二人の顔を見ながら自然と笑いが漏れる。
商人の子どもたちの中で兄貴分のアデルが、ただ挫折しているだけの姿は見せるべきじゃないっというネヴァンなりの気づかいだったらしい。
「挫折しながらも頑張ってる姿はどんどん見せるべきだけどね」っと僅かに口角を上げて微笑むネヴァンは、さすがファンエリオンの中でも上位を争う商家の後継ぎだと思う。
その傍らで「ますます惚れ直した!」っとリーベルが鼻息荒くしていたのは、女の子同士の秘密だ。




