吹雪の中の神殿
「産まれてくるこの子に神の祝福を与えた給え。どうか、無事に…無事にこの子に会えますよう、お救いください。この子が健やかに成長し、悪意に晒される人生を歩まぬよう、お助けください。」
その女性は寒々とした真っ白な石の祭壇の前に両膝をつき、左右対称に並んだ神々の石像を見上げながら一心に神に祈りを捧げていた。時折、女性の痩せた体には不釣り合いなほど大きくなったお腹を慈しむように優しく撫で、また祈りを捧げるっという行為を何度か繰り返していた。
ファンエリオンの王都であるこの街に、一際大きく白と空色を基調とした神々を祀る建物がある。
その建物は神殿と呼ばれ、建物の周りは真っ白な石畳で整備され、神の石像と美しい模様が彫られた石柱が規則正しく並んでいる。
大国、ファンエリオン。
大陸の約半分を占めるその国は、神々が住まうと云われる聖域があり、大陸内にある他の国々の中でも特別、神の恩恵を受けていた。
神の魔力を受けた土地は肥え、この国が面した海では年間を通して漁場がとても豊かで、良質な鉱物が採れる山もあり資源にも恵まれた大国に相応しい豊かな国だ。
神の魔力は土地だけではなく人間の体にも影響を与えていた。大陸の人間、特にファンエリオンの国民は大地から溢れた魔力の影響を顕著に受け、魔力を扱える人間が他国に比べると極めて多い。
魔力は親から子へ受け継がれ、魔力持ちの親から生まれる子どもはかなりの確率で魔力を持って生まれてくる。魔力量の多い夫婦から生まれる子は魔力量が多く、魔力量が少ない夫婦からは魔力量の少ない子が生まれる。逆に魔力の無い夫婦から生まれる子どもはやはり魔力を持たない。
そしてこの魔力、なぜか夫婦の魔力量に極端な差があると子どもができにくく、運よく子どもに恵まれても魔力が全く子どもに受け継がれない。
それもあって魔力持ちは国に登録され魔力量が近い者同士で結婚する政略結婚が当たり前だ。
魔力持ちが多いファンエリオンは、建国以降の歴史の中で特に魔力量の多い一族が王族として君臨している。その他の魔力を持つ者を貴族と呼び、貴族は爵位と呼ばれる階級と領地が与えられ、魔力を使って国を動かし、その中枢で政を担っている。
そしてそれ以外の魔力を持たない者を平民と呼んでいる。
平民は貴族の治める領地で生活し、魔力とほとんど関わることのない生活をしている為、魔力に対する理解もかなり薄い。
―魔力はお貴族様が使う摩訶不思議なもの―
特に王都は王族や貴族の生活する貴族街と呼ばれるエリアと、平民の暮らす下町エリアが真っ白な高い壁で住み分けされていた。
貴族街への出入りには設置された門を通る必要があり、そこは門番の兵士が厳しく取り締まっている為、許可のない平民が貴族街へ入ることはできないのだ。
住む世界を完全に分けられたこの街では、貴族相手に商売をする大店の商人以外は平民と貴族が関わる機会はない。平民にとって貴族も貴族街も一生無縁の存在だ。
しかし神殿に限っては貴族も平民も身分関係なく等しく同じ場所を使う。この神殿も貴族街と下町を隔てるエリア上に建てられ、神殿で働く神官と呼ばれる人々も貴族出身の者たちだ。
だが魔力を持たない平民に対して差別的な貴族がいるのも確かで、やはりこの神殿でもお互いが顔を合わせないように祭事の時刻だけではなく出入り口も分けれらている。
神殿内は貴族によって作られた魔力を媒介として使用する魔道具で、常に一定の明かりと温度が保たれているが、その女性以外は人のいない石造りの神殿内はどこか寒々しい雰囲気が漂っていた。
明り取りのために作ってある天窓からは雪の降る曇天の空が見え、ステンドグラスのはめ込まれた美しい装飾の窓には雪が積もり太陽の光は入らない。
「コーナ、雪がひどくなる前に帰ろう。手もこんなに冷たくなってるじゃないか。さぁ、早く帰って家で温まらないと体に良くない。」
神殿に入ってきた男性にコーナと呼ばれた女性は、祈りを捧げながら俯いていた顔を上げ、そのまま隣に並んだ男性の顔を見ながら「えぇ。」っと小さく頷きニッコリと微笑んだ。
時間が許す限り神殿に祈りに行く妻のコーナを仕事終わりに迎えに行くのが、夫であるジークの日課となっていた。
兵士の仕事をしているジークは背が高くがっちりとした肩幅で、筋肉隆々の盛り上がった胸板は厚く、兵士らしい恵まれた体格をしている。肌はこんがりと日に焼け、キャメル色のくせ毛が歩くたびにフワフワと揺れる。
コーナの冷えた体を包み込むように自分のマントを掛け、そのまま温めるようにマントの上から抱きしめると、長いこと祈っていたらしいコーナの体は冷たくなっていた。温度が保たれているとはいえ、石造りの広い神殿は底冷えしており見た目にも温かみがあるとは言えない。
ジークは氷のように冷たくなったコーナの手を取ると、身重の体を支えるように抱きしめたままゆっくり立ち上がった。
「ありがとう、ジーク。」
「こんな天気なんだ、あまり無理して外には出ないでくれ。」
「つい癖で来ちゃうのよ。この子に少しでも多くのご加護をお願いしたいの。」
冷たくなった手を包み込むように握るジークは、太く男らしい眉尻を下げ、普段の雄々しい兵士の姿からは想像もつかない弱りきった表情だ。
「たまにお祈りを休んだくらいで神様はそっぽを向いたりしないさ。今は体調を整えてこの子を迎える準備をする方が大事だと思うぞ。」
「そうね。ジーク、心配かけてごめんなさい。」
下を向いて分かりやすく落ち込んでいるコーナが愛らしく、抱き寄せて額に優しく口付けをする。
唇の触れた額もやはり想像以上に冷たかった。
「さぁ、帰ろう。お腹がすいた。」
「ふふ、そうね。早く帰らないと子どもたちも家で待ってるわね。」
帰る前に祭壇に向かって二人で手を合わる。コーナの祈りはもちろん新しく産まれてくる家族のことだが、ジークの祈りはコーナの体が無事に出産まで耐え、親子共々無事に出産を終えることができるよう強く神に祈る。
この祈りが空高く天におわす神の頂へ届きますように。
先に祈りの終わったジークは隣のコーナを見るとまだ静かに祈っていた。ジークは小さく苦笑いすると、祈り出すと長くなりそうなコーナの肩を静かに抱き寄せた。
大きなお腹を抱えて歩くコーナの歩幅に合わせ、二人は寄り添うようにゆっくり帰路についた。