2 後編
後編です。
薄暗い部屋に、一人、シルエットが動いた。
窓には分厚いカーテンが閉まって、外の光を部屋の中に入るのを遮断している。部屋には蛍光灯もなく、ただ、薄ぼんやりとしていた。
その中を、動く人影が一つ。壁に背を預け、苦しそうに息を吐く。
カーテンの隙間から漏れる光に視線を向け、鬱陶しそうに眉間にシワを寄せる。
脳裏に先ほど交わした会話がよみがえる。
『いつまでかかっているの?あなたが自分でやるといったから、私の部下を引き下がらせたと言うのに』
『……』
『まったく。そんなんじゃ国王になってもすぐに滅びそうね』
『……』
『まあいいわ。早く指輪を取り返して。そして、血を絶やして』
本当は、国王の椅子なんてどうでもよかった。ただ、兄より優秀でいたかった。力も地位も好きな女性ですら、兄に好意を寄せている。
兄に勝っていることなど、何もないと思っていた。あの日、あの森に案内されるまで。
「はぁ」
薄暗い天井を見上げる。瞼を閉じると、思い出す情景。美しい思い出。それらを頭を振って追い出す。もう戻れない。
右の手のひらの傷が、疼く。
「……兄さん。決着をつけよう」
酷薄な笑みを口元へ浮かべ、ゆっくりと立ち上がりドアを開ける。眩しい光に目を細めた。
「あれ、先生。倉庫で何しているんですか?」
ちょうど廊下を通りかかった女生徒に声をかけられ、笑顔を返す。
「ちょっと備品の確認をね」
「へぇ。先生って大変ですね」
「まあね。さあ、真っ直ぐ帰るんだよ」
「はーい。先生さようなら」
「さようなら」
女生徒に手を振って別れる。笑顔を収め、無表情で廊下を歩く。
屋上へ向かって。
☆ ☆ ☆
「それで、どこに向かうんだよ」
ボルスについてくるように言って、ティアはリビングを出て行く。その後ろについていき、廊下で声をかけた。
肩越しにこちらを向いたティアは、無表情でいった。
「お前が通っている学校だ。セラクはそこにいる」
「どうしてそんなことわかるんだよ」
「セラクは傷が治りきっていない。あの草は自生してる場所が限られている。そして、恐らくセラクは焦っ
ている」
「その根拠は?」
視線を廊下の先に向けて、ティアははっきりと言った。
「ボルスだ」
「は?」
訳がわからなくて、眉間にシワがよる。
「セラクは、今まで何をするにしても絶対に自分で動いていた。それがインターネットの掲示板に依頼を出
すなんて、よっぽど切羽詰まっていたんだろう」
「そんなこと……」
「もし昨日、ボルスじゃなく、セラクが侵入していたら、俺たちは全滅して指輪も奪われていた」
「まさか」
ティアは天井を見上げた。その顔は、自嘲気味に笑ったように見えた。
「本当だ。昨日、たやすく侵入を許したのは、俺のせいだからな」
「どういう……」
わからないことだらけで、質問を繰り返すが、ティアは無表情で自室に入っていった。ドアが閉まったのを呆然と見ていると、リビングのドアが開いて、ミシダが顔を出した。
手招きをされて、リビングへ戻る。
リビングに入ると、ボルスはまた眠っていた。レクラスは、庭に出て空を見上げていた。ミシダが小声で聞いてきた。
「ティアどうだった?落ち込んでた?まだ怒ってた?」
気になるなら自分で行けばいいのにと、思いながら言った。
「あれを落ち込んでいるといえば、落ち込んでいるのかな?昨日侵入されたのは自分のせいだって言っていたし」
「そう……」
ミシダは俯いて拳を握りしめた。
「ティアが、昨日侵入したのがセラクだったら、全滅していたって言ったんだけど?」
勢いよく顔を上げたミシダは、青白い顔をしていた。驚いて一歩後ずさった。
「そう、ね」
視線を庭のレクラスに向ける。つられてオレもレクラスに視線を向けた。
レクラスはただ空を見上げていた。青い空を見上げながら、国が滅んだ日の空を思い出しているのだろうか。そう思うと、心臓が苦しく脈打った。
「正直なところ、今のティアとセラクなら、セラクの方が強いわ。今のティアの魔力量は、レクラスよりも少ないかもしれない」
「そうなんだ?レスラスは、ティアの魔力量はすごいって言っていたけど」
視線をレクラスからミシダへ移した。ミシダはまだレクラスを見ていた。
その眼差しは、とても愛しい者を見る目だった。
「レクラスにも隠しているの。心配させたくないからって」
「へぇ。意外とレクラスのこと大切にしているんだな」
「ふふ。半分はね」
ミシダは可笑しそうに肩を振るわせた。
「半分?」
「あとの半分は、意地、かな?レクラスには負けたくないっていう」
「なんで?」
問いかけると、ミシダはオレに視線を向けて、いたずらっ子のように笑顔を浮かべた。
「ナイショ」
「なんだよそれ」
ふて腐れてそっぽを向くと、ちょうどレクラスが庭からリビングに戻ってきた。
「どうした?」
「何でもない」
不思議そうな顔をして聞いてきたレクラスに苦笑を返した。レクラスは首をかしげたが、特に気にした様子もなく、未だ眠っているボルスに近づいた。
レクラスの後ろから同じようにボルスを眺める。
「こいつ、いつ起きるの?」
ミシダに聞いたが、ミシダも首をかしげるだけだった。
「さぁ?だけどティアが彼にもついて来いって言っていたから、そのうち叩き起こされると思うけど」
ミシダが言い終わるか終わらないかのところで、レクラスが声を上げた。
「姉さん!」
びっくりしてミシダと一緒にレクラスに視線を向けた。レクラスはボルスを凝視していたかと思うと、いきなり手を振り上げボルスの顔面を殴った。
「えっおい!」
慌てて止めようと手を出したところで固まった。レクラスが殴ったボルスが、跡形もなく霧散したから
だ。
「は?」
唖然と、ボルスが眠っていたであろうソファベッドの上を見つめる。
「蜃気楼だ。ティアが得意としている、火と水の融合技さ」
レクラスは奥歯を噛みしめ勢いよく立ち上がり、リビングを出て行った。ミシダとその後ろを追う。
向かったのは、さっきティアが入っていった部屋だった。ドアを開けて中に入ると、部屋の中には誰も居なかった。
「どこへ……」
「まさか、一人で決着をつけにいったんじゃ……」
ミシダは息を飲んでオレを見た。
「どういうこと?」
オレの胸ぐらを掴んで、ミシダは剣呑な表情で詰め寄った。
「ティアはどこへ行ったの?」
「オレ、たちの、学校……」
息も絶え絶えに言うと、ミシダは手を離して、玄関に向かって走り出した。それをレクラスが止める。
「俺たちも行く!」
「あなた達が行って、何ができると言うの?人質にしかならない」
ミシダに出会ってから初めて、冷たい声と視線を向けられる。レクラスは拳を握りしめて、真っ直ぐミシダと視線を合わせる。
「人質にはならない。足手まといにも、ならない」
「もし、人質なんかになったら、私はあなたを許さないわよ。レクラス」
「それで構わない」
「……行くわよ」
踵を返したミシダの後を、全速力でついて行く。ミシダの横顔には、焦燥感が漂っていた。
☆ ☆ ☆
家を出てから、どれくらいの時間が経っただろう。きっと、あんな小細工はすぐに見破られるだろう。
ティアは自分の手のひらを見つめた。力の流れが弱い。恐れを振り払うように力強く拳を握りしめ、後ろを歩くボルスに声をかけた。
「おい、さっさと歩けよ。日が暮れる」
ボルスは肩で息をしながら、ティアを睨んだ。
「うるせ、どんだけ、歩かせる気、だよ……」
息も絶え絶えになりながら、それでもボルスは足を動かした。
「もうすぐだ」
ティアは再び前だけを見て歩き出した。数分歩いたところに、校門が見えた。
立ち止まって、視線を屋上へ向けると、一つ、光った。
「来いってか。ふん」
鋭い視線を屋上に向け、ティアは塀を跳び越え、学校の敷地内に入る。
「お、おい!待てよ」
ボルスは塀にしがみつくようによじ登り、敷地に着地した。ティアは横目でボルスを見て、ため息を吐い
た。
「行くぞ」
「あぁ」
放課後らしく、部活に励んでいる生徒が、まばらにいる。見つからないように、木陰に隠れ、ティアは手
のひらに小さなつむじ風を作り出した。
「風よ、我らを隠せ。風装」
小声でつむじ風に命じると、途端に風は霧散してティアとボルスの身体に纏わり付いた。
ボルスは不思議そうに自分の身体を眺めていたが、ティアが歩き出したので、慌ててその後ろをついて行った。
何人かの生徒とすれ違ったが、ボルスたちが見えていないみたいだった。
「何をしたんだ?」
不思議に思ったボルスは、階段を上るティアに声をかけた。ティアは視線を一瞬ボルスに向けたが、すぐに逸らした。
「光の屈折を利用して、俺たちの姿を見えなくさせた」
目の前に屋上へと出るドアが見えた。ティアは、手のひらにかいた汗を、気づかれないように拭った。
「行くぞ」
やけに冷たく感じるドアノブを回し、屋上に出た。
「遅かったですね。兄さん」
「セラク……」
屋上で待っていたのは、スーツを身に纏った青年だった。ティアと同じ金色の髪は肩まで伸び、金色の瞳は、真っ直ぐティアを見る。ティアも負けじと視線を返した。だけどセラクの視線は、ティアの後ろにいた
ボルスへと向けられた。
「そんなものを連れてきて、どうするのですか?」
馬鹿にしたような言い方に、ボルスは口をへの字に曲げた。
「まあ、俺たちの決着を見届けてもらおうかと思ってな」
「兄さんが、どのようにして負けて死んだのかをミシダ様に伝えるための伝令、というわけですか」
一瞬、ティアの眉間にシワが寄った。だがすぐに無表情になり、軽く肩をすくめた。
「負けるのは俺じゃないかもな」
セラクが、楽しそうに口元に笑みを浮かべる。
「ふふ。じゃあ始めましょうか」
対峙してわかる。右手を怪我していても、力はセラクの方が上だ。ティアは背中に冷や汗が流れるのを感
じた。そして二人同時に地面を蹴った。
正面突破を図ったのはティアだった。手のひらに氷の刃を作り、それをセラクに向かって放つ。
氷刃を余裕で避けたセラクは、口元に笑みを浮かべながら、同じように氷で作った小さい氷柱を数本、
ティアに向かって投げる。
飛んできた氷柱を、ティアは炎で防ぐ。そして炎で大蛇を作り、セラクに放つ。炎の大蛇は、大きな顎を開き、セラクを飲み込む。しかし、大蛇はセラクが作った水龍によって水蒸気になって消えた。
「ちっ」
舌打ちをして、セラクと距離をとる。汗が、顎を伝って地面に吸い込まれた。セラクは涼しい顔をして、
口元に笑みを浮かべながらティアを見つめる。
目の前で繰り広げられるものを、ボルスは唖然とした気持ちで見つめる。何もないところから、氷の刃や氷柱、炎に水。自分の目がおかしくなってしまったのかと思うほどだ。だけど目の前で繰り広げられる戦いはまだ決着がつかない。どちらが勝とうが、ボルスには関係ない。だけど、何故か戦いから視線を逸らすことができなかった。
魔法での打ち合いは不利とみたのか、ティアは手に剣を出現させた。それを見て、セラクの眉が微かに動いたのを、ティアは見逃さなかった。
「どうした?昔、俺の右腕として剣を振るっていたのは、お前だろう?」
セラクの顔から笑顔が消えた。一瞬だけ、包帯が巻かれた自分の右手に視線を向けるが、すぐにティアを
見据える。
「いいでしょう」
口元に残忍な笑みを浮かべて、セラクも手のひらに剣を出現させた。だけど剣を握る手は、左手だった。
「やっぱり、キーラにつけられた傷は、治っていないんだな」
「ハンデですよ」
「ふん。有り難いことで」
二人は同時に剣を構える。緊張感が高まっていくのが、空気が張り詰めることでわかった。
意識を、セラクに集中させる。呼吸も、筋肉の動きでさえ見逃さないように。ふと、口元に笑みを浮かべていることに気づいた。
「懐かしいですか?」
「そうだな。久しくこんな命のやりとりをしていなかったからな」
二人の間を風が通り過ぎる。雲間から差し込んだ光が剣に当たって光ったのを合図に、同時に地面を蹴った。
剣戟がぶつかり合う。ティアが右上から振り下ろす剣を、セラクは左手で握った剣で払う。体勢をくずしたティアの首に向かって切っ先を突き込むが、間一髪で避けられ、逆に体勢を崩される。
体勢を崩したセラクの胸に斬りかかるが、皮一枚裂いただけで避けられる。ティアは舌打ちをして、さらに切り込むが、腹に蹴りを食らい、背中から地面に倒れ込んだ。
「……っぐ」
一瞬痛みで目を瞑るが、殺気を感じてすぐに目を見開き、迫り来る剣先を紙一重で避ける。掴みかかろうとするセラクを蹴り飛ばして、身体を起こす。
「はぁ、は、ぁ」
肩で息をしながら、流れる汗を袖で拭う。顔面を蹴り飛ばされたセラクは、口の中を切ったようで、口の端から流れる血を指で拭った。
「もう、限界なんじゃないですか?」
「うる、せぇ……。お前を俺の手で、止める」
「止める?……っふふふ」
「できないと、思っているんだろう……」
本当に可笑しそうに、セラクは笑みをティアに向けた。
「思っていますよ。兄さんにはもうそんな力、残っていないですから」
ティアは、剣を握る手に力を入れる。
「侮るなよ。お前を止める力くらい、まだ残っているさ」
不敵な笑みをセラクに向け、足に力を入れて、地面を踏みしめる。
「我が身に宿りし力よ、今このとき解き放つ。我が命に答えよ」
ティアの周りを、空気が渦巻く。セラクは怪訝な顔をして、ティアを見た。何か、大きな力がティアの周りに集まりだしているのがわかる。初めて焦りの色を表情に出し、セラクはティアに斬りかかった。しかし剣先はティアに届かず、周囲の風に阻まれる。
「なんだ、これっ」
熱を含んだ風は、足元から空に向かって竜巻のように渦巻いている。
「盟約に従い、顕現せよ!朱雀!」
剣を頭上にかざし、空に向かって叫ぶ。ひときわ激しく風が吹き、霧散したとき、ティアの肩越しに、巨大な火の鳥が出現した。
「朱雀、だとっ!」
明確な焦りを示したセラクは、一歩後ずさった。
遙か昔の時代、守護獣が存在した。東西南北、それぞれを守っていた獣たち。しかし時代は過ぎ去り、彼らは忘れ去られ、いつしかその存在は伝説として語り継がれていた。
「どうして……」
「朱雀よ、セラクの力を封印しろ!」
ティアの言葉に朱雀は一声鳴いて、翼を広げてセラク目掛け飛んだ。セラクは焦りを恐怖に変えて後ずさり、自身の周りに水の壁を生成した。しかし防御もむなしく、朱雀に吹き飛ばされ、身体に巡る力が失われていく感覚を味わった。
「ぅっああああああ!」
フェンスに激突して、セラクはその場に倒れ込んだ。朱雀はそのまま旋回して、ティアの元へ戻り、頬ずりをして姿を霧散させた。昨日、この朱雀を身に宿していたせいで、結界が薄れボルスの侵入を許してしまった。昔なら抑えられた力も、今となっては抑えるだけで必死だった。
「ありがとう」
朱雀に礼を言い、ティアは倒れ込むセラクの元へ歩いて向かった。セラクは、力が使えなくなったことを
信じられなくて、何度も手のひらに氷柱を生成しようと試みていた。
「くそっくそっ!」
「無駄だ。朱雀は封印を得意とする。簡単には解けない」
見下ろすティアに、セラクは憎悪を込めた瞳を向ける。
「そんなに、そんなに自分が一番じゃないと嫌なんですか?!」
「何のことだ?」
「兄さんはいつも僕の欲しいものばかり手にして、それを自慢するように僕に見せつける!」
「セラク……」
「僕がどんな気持ちになるのかなんて、気にしてないでしょう!だから、あんたに勝つには、王になるしか
なかったんだ!」
「だから、国を滅ぼしたのか……」
「そうですよ!精霊の姫と盟約を結ぶために、国を作り替える必要があった。僕にはその力がある。だけど守護は初代精霊王と初代国王の盟約で結ばれていた。それを崩して、僕が王になるには、一度守護を壊す必要があったんです。だから、隣国と共謀して国を滅ぼし、初代精霊王を始末する必要があったんですよ。それもこれも全部、あんたに勝つためだけだったのに!」
「そう、か」
初めて、セラクの心を聞いた気がした。
「俺たち、最初からもっと話し合えばよかったな。俺は自慢するつもりなんてなかった。お前に見せつけているつもりも、なかった。だけど、俺はお前をずっと傷つけていたんだな。すまなかった」
目線をセラクに合わせ、ティアは頭を下げた。ティアの頭頂部を見ていて、視界が歪んでいった。頬に温かいものが流れていくのを感じて、泣いているのだと気づいた。嗚咽をかみ殺し、膝を抱えて、止まらない
涙を流し続ける。
ティアに勝ちたかったのは事実。だけど本当は、ただ自分を見て欲しかった。認めて欲しかっただけだった。いつも自分の前を歩くティアに、振り向いて欲しかっただけだった。
頭に温もりを感じるも、顔を上げることさえできなかった。ティアは、泣いているセラクの頭を優しく、撫でていた。
「俺たち、もう一度元の兄弟に戻ろう」
優しい声に、心臓が握りつぶされるくらい痛んだ。国を滅ばしてから心の中で、何度願っただろう。昔の、明るかったあの日に戻れたらどんなにいいだろうかと。だけど、戻れない。あの女が、それを許さない。だけどそうさせたのは、セラク自身だ。
複数の足音が聞こえ、屋上のドアが勢いよく開き、ミシダを先頭に、レクラスとキーラも屋上へやってきた。
「ティアっ!」
ミシダがティアの元へ駈けていく。ティアは、セラクに手を貸して立ち上がらせ、ミシダに笑みを向けた。
ティアの手を借り、立ち上がったセラクは、俯きながら涙を流し、小さく言った。
「もう、戻れないんだよ。兄さん」
セラクの身体は、一度死んで傀儡の術で蘇らされた、操り人形だから。
自分の手が持ち上がる。その手に、長剣が握らされる。そして、目の前で背中を見せ、ミシダと抱擁を解いて、キーラとレクラスに歩み寄る、その背中に、抱きつくように、長剣を突き刺した。
肉が避ける感触が、手のひらに、腕に、伝わる。振り向いたティアの驚愕した顔は、きっと一生、忘れないだろう。否、忘れられないだろう……。
「い、いやぁあああああぁっ!!」
ミシダの悲鳴が、屋上に響き渡った。
☆ ☆ ☆
何が起こったのか、理解できなかった。ティアが一人でセラクと決着をつけに行ったと、学校に急ぎ、やっと到着したときには、もう決着はついて、和解できたのかと、安堵した。
兄弟で殺し合いなんて、やっぱり悲しい。そう思っていた。
こっちに向かって歩いてくるティアは、疲れた表情をしていたが、しっかりとした足取りだった。その胸の辺りから、赤い、血を纏った金属が突き出した。
一瞬真っ白になった頭を、ミシダの悲鳴が引き裂いた。
「ティアっ!」
ゆっくり、倒れ込むティアを、ミシダが支える。ティアが倒れたことで、胸から金属が抜け、それを持った人物が見えた。
涙を流し、倒れるティアを見下ろす。その顔は、社会科の授業を担当していた教師だった。
「そん、な。あなたが、セラク?」
オレと視線を合わせた人物は、ただ一度、頷いた。放心して涙を流すその顔は、まるで幼児のようで、かける言葉が見つからなかった。
「セラク……」
一瞬驚いたが、憎悪を抑えようと必死のレクラスは、低い声でセラクの名前を呼んだ。
セラクは、無感動なその目で、涙を流しながら、ゆっくりとレクラスを見た。
「あぁ、レクラス様。お久しぶりですね。あなたの大事な人が、また一人死にかけていますよ」
音がしそうなほど、奥歯を噛みしめたレクラスは、燃えるような目で、セラクを睨んだ。
「お前が、お前がっその剣で貫いたんだろう!」
「そう、ですね」
無感動な目で、手に持っているティアの血に濡れた剣を見つめる。ミシダは、必死にティアの傷口を塞ごうと、力を注いでいる。戦いになれば、参戦できるのはオレだけだ。
緊張で生唾を飲み込む。その時、後ろから声が聞こえた。
「やれやれ、本当にくだらない戦いだったわ」
振り向くと、そこにはボルスが胸の前で腕組みをして立っていた。
「ボルス?」
声をかけると、人を馬鹿にしたような笑みを向けられた。
「本当に、人間って馬鹿よね。何にもわからないんだもの」
馬鹿にしたような、ではなく本当に馬鹿にされていたことにも驚いたが、ボルスの口から、聞いたことのない女の声が発せられていることにも驚いた。
「誰、だ?」
すると、ボルスの身体が消え、同じ場所に女が現れた。
女は、銀色の髪が腰まであり、日の光で輝いている。水色のその瞳は慈愛に満ちていた。肌は白く、透き通っているように見えた。
優しく微笑むその目を合わせると、心臓がざわついた。今すぐその腕の中に飛び込みたい衝動に駆られる。セラクを警戒しながら振り向いたレクラスは、その顔を驚愕に染めた。
「コ、コルト、様?」
「え?」
母だと教えられたその名前。改めて目の前の女に視線を移す。
「あな、たが?」
「ふ、ふふふ……」
レクラスと二人、驚いていると、セラクが堪えきれないというように、声を震えさせた。
「何が可笑しい」
「その女は、コルト様ではないですよ」
「お前……何を言っているのかわかっているの?」
セラクの手から剣が滑り落ちた。乾いた音を立てて地面に転がる。
「何を言おうとも、僕はあなたの操り人形。困ることなどないでしょう?」
「馬鹿ね。早々に正体をバラしてしまっては、面白くないでしょう」
「もう、どうでもいい」
セラクは、倒れて動かないティアに視線を向けていた。ミシダが、必死で傷口を塞いでいる。それを無感動な目で見つめていたが、やがてゆっくりとオレ達の方へ歩いてくる。
間に挟まれたことに、緊張して指一本動かせない。自分の鼓動がやけに大きく聞こえて、呼吸が荒くなる。
「あんたは、誰だ?」
レクラスの声に、一人ではないことを思い出して、不安に揺れる心臓を抑える。しかし背中に流れる冷や汗は止められなかった。
「あら、何度が会っていると思うのだけど、もう忘れたかしら。ねぇ、お姫様?」
その言い方に、覚えがあった。レクラスの過去視をしてしまったときに、森に現れた酷薄な笑みを浮かべた、精霊の女性。
レクラスの眉間にシワが寄った。
「ビスタ、様……」
当たりだとでも言うように、女、ビスタは、妖艶に微笑んだ。
「どうしてあなたが、コルト様の身体に居るのですか」
抑えた声音で、問うレクラスに答えたのは、セラクだった。
「あの身体は、間違いなくコルト様のものですよ。ただ、ビスタ様が乗っ取りました」
息を飲んだレクラスは、嫌悪するようにビスタを見た。視線を向けられたビスタは、特に何を思うわけでもなく、妖艶な笑みを浮かべていた。
「コルト様は、どうしたんですか」
「姉様は、眠っているわ。私の中で。一生目覚めないでしょうけどね」
本当に楽しそうに、ビスタは笑う。比例してレクラスの怒りが増していく。レクラスの身体の周りに、冷気が纏わり付いていく。慌ててレクラスの左手を握る。赤い瞳がオレを見据えるが、構わず力強く握りしめると、苦悩した表情から、瞳が青色に戻った。
ホッと一息ついたけども、セラクとビスタに挟まれていることに変わりはない。背中合わせでレクラスの左手を握りしめながら、突破口を探す。
背中越しに、レクラスが小声で言った。
「俺が、セラクに斬りかかる。その隙にお前は逃げろ」
「っそんなことできるわけないだろ!オレも戦う」
「キーラ」
レクラスの声が、緊迫した声でオレの名前を呼ぶ。それほど、この二人の強さは段違いなのだと、言っている。
「オレにも譲れないものがある。覚えていないけど、それでもオレの母親なんだろ。だったら、助けたい」
身内は、もういないと思っていた。父さんを死なせてから。だけど母親が生きているかもしれない。単純だけどそれだけで、心は躍った。レクラスは、ため息を吐いて握っていた手を離した。
「わかったよ。だけどひとつだけ。彼女は仮にも精霊王の娘。一筋縄じゃいかない。死ぬなよ」
「あぁ」
頷きあって、軽く拳を合わせた。それを合図に、オレはビスタ、レクラスはセラクに向かって行った。
ビスタに詰め寄る前に、右手のブレスレットに触れる。心の中で、左手の指輪に、魂の半分を担うセヴィア様に願う。力が欲しいと。
「力を貸してくれ!頼む!」
『了解した』
耳の奥で聞こえた声に、心臓が跳ねた。次の瞬間、目の前に四人の精霊が実体化して、並んでいた。
「みんな……」
「あれは、コルト様っ!?」
「違う」
「よくも、コルト様をっ」
「……」
それぞれ、目の前にいるコルトの身体のビスタと対峙した。ビスタは、その慈愛を含んだ顔に笑みを浮か
べ、言った。
「この身体を傷つけられるかしら?」
その言葉に臆したのは、オレだけだった。四人の精霊は、真っ直ぐ、コルトの身体の中に居るビスタの魂を見ているようだった。ビスタもそれに気づいたのか、面白くなさそうな顔をして、右手のひらを前に伸ばした。
「つまらないわね。少しは躊躇いなさいよ。そこの坊やみたいに」
坊やと言われ、眉間にシワが寄る。その通りなのが、さらに腹が立つ。
「コルト様は、ご自身が敵の手に落ちたのなら、その身ごと滅ぼしてくれと、常々言っていた」
「ふん。姉さんらしい言い方ね。反吐が出るわ」
「引き下がれ。コルト様から出て行け」
「冗談じゃないわ。やっと手に入れたの、あたしのものよ。この身体も、力も」
声を上げて笑うビスタに、四人は戦闘態勢を取る。空気が張り詰めていく。思わず右手首のブレスレット
を握る。
「ならば、力尽くで」
エンタイアが起こした風が、ビスタを拘束するため動く。しかしビスタはそれを手の一振りで消し去った。
「オレも、戦う」
アイソトープと視線が合った。その目は、足手まといは要らないと言っていたが、逸らさず睨みつけると、視線を逸らしたのはアイソトープだった。
「勝手にしろ。なにがあっても助けないぞ」
「わかってる」
ベンプルが炎で攻撃すると、ビシードがビスタの動きを止めようと地面を泥濘ませる。ビスタは余裕ですべてを避けていく。
「行くぞ」
「あぁ」
怖くないと言えば嘘になる。喧嘩とは違う緊張感が、足を竦ませる。だけど助けると決めた気持ちに嘘はつきたくない。覚悟を決めて、地面を蹴った。
☆ ☆ ☆
背後で戦いの音がする。だけど振り向かない。目の前の、無感動な目をした男から視線を逸らさない。
右手に握った剣の柄を力を入れて握る。セラクは地面に落ちていたティアの剣を右手で拾う。まじまじと眺めて、一度だけ空を切った。
レクラスは、剣を上段へ構える。セラクは下段に構え、お互いの呼吸を計った。やけに自分の心臓の音が耳の奥で響く。それを意識から排除して、すべての音をカットする。感じるのは、セラクの殺気のみ。
「……っ」
感じたことのない重い殺気に、恐れで背筋が凍る。排除したはずの心臓の音が、戻ってくる。それとは別の感情が奥から湧いてくるのを、剣を握る手に力を入れることで押しとどめる。
せっかくキーラが止めてくれたものを、無駄にするわけにはいかない。
「ふー」
息を吐き、恐れも怒りも心の奥底へ沈める。ただ目の前の男を倒すためだけに地面を蹴った。
振り下ろした剣は火花を散らしながら刀身でいなされ、体勢を崩される。昔の記憶が脳裏を過った。
セヴィア様を殺されたあの日と同じ。レクラスは奥歯を噛みしめ、足に力を入れて遠心力を利用する。
「くっ」
水平に振った剣を、セラクが屈んで避ける。屈むのがあと数秒遅かったら、首を飛ばせた。
レクラスは舌打ちをして、さらに追撃をする。否、しようとしたが、セラクが屈んだ格好で剣を突き出した。間一髪でそれを避けるも頬に掠り、傷を作った。
「っ!」
倒れそうになる身体を、後ろに飛んでやり過ごした。額から一筋汗が流れ、地面に一滴の染みを作った。レクラスは一つ深呼吸をして、セラクを見る。
セラクは相変わらず無感動な目をしていたが、一瞬切なげに眉が動いた気がしたが、気のせいだろうか。
考えていると、目の前にセラクが迫っていた。慌てて氷の障壁を作る。セラクが振り下ろした刀身は、氷の壁にぶつかって鈍い音を出した。
「何か、考え事ですか?」
氷の壁に阻まれ、セラクは一度距離を取った。剣を中段に構え、突き技を出すつもりだと当たりをつけたレクラスは、勢いを殺すために氷の壁を数枚重ねる。
「別に」
レクラスが答えたと同時に、セラクが地面を蹴って剣先を突き出す。ガラスが割れるような音が響き、氷の壁は破壊されるが、ギリギリのところで胸の前で構えた剣で阻む。
火花を散らしながら、押し込まれまいと、刀身を左手で支える。
近くで見えたセラクの目は、何も写していないようだった。
セラクは空いている左手を空に向けた。それは、セラクの得意な氷柱を降らせる技の動作だと瞬時に悟ったレクラスは、氷柱が生成される前に決着をつけるべく一度後ろに飛んで離れ、一気に距離を詰めて、力一
杯、右上から左下に振り下ろした。
「はぁ!」
「っ……」
鮮血が、舞う。袈裟切りのように、セラクの右肩から左脇腹まで血の道ができた。
肩で息をしながら、後ろに倒れるセラクを見つめる。
「ゴホッ」
口から鮮血を吐き出し、セラクは地面に倒れた。レクラスは血に濡れた刀身を一瞬見て、ゆっくりと地面に倒れたセラクの右横に膝をついた。
「どうして……」
「……」
セラクは浅い呼吸を繰り返し、視線をレクラスへ向けた。その目は、無感動ではなく優しく、愛しいものを見るような目だった。
レクラスは頬に温かいものが流れていくのがわかったが、そのままセラクに視線を合わせた。
「どうして、力を使わなかった……」
「僕の、力は……兄さんの、朱雀に……封印、された。ふふ、さっき」
「だったら、どうして使うフリなんて……」
「さぁ、どうし、てかな?自分でも……わから、ない」
レクラスは震える手で、包帯が緩んだセラクの右手を握った。持ち上げると、血に染まった包帯は地面に落ち、傷が顕わになった。
キーラにナイフでつけられた傷口は、治るどころか何も処置がされていないように見えた。
とうとうレクラスは、嗚咽をもらした。
「っひっく……。なんっで、なんでっ」
「なんで、か。兄さんに、負けたく、なかったからかな?」
セラクは視線を空に向け、微笑んだ。
「君を、取られたく……っなかった……」
「……っ」
涙で濡れた目を見開いて、レクラスはセラクを見つめた。セラクは空に向けていた視線をレクラスに向け、泣き笑いのような笑顔を浮かべた。
「ずっと、君を……愛していた……。君が、兄さんを好きでも……」
「っ!」
止めどなく溢れる涙が、握るセラクの右手に落ちる。指先が冷たくなっていく手を、胸に抱いて、レクラスは言った。
「馬鹿だよ。そんな勘違い。恥ずかしがらず、言えばよかった。ごめん、ごめんねっ!私は、セラクを愛し
てる、ずっと好きだった……」
セラクの目が驚きに見開く。そして、柔らかく微笑んだ。
「ほんと……兄さんの、言ったとおり。最初から、もっと……話し合えば、よかった……。国のみんなに、謝らないとな……」
目を閉じたセラクの目から、涙が一筋、流れた。
「レクラス、頼みがある。この身体は、ビスタ様に作られた操り人形の身体。だけど魂は僕の物だ。だから僕の残りの命を、兄さんに……」
「っえ」
もう腕まで冷たくなっているセラクの手を、震える手で握る。セラクは真っ直ぐレクラスを見た。その目は、決意が宿っていた。
「頼む……」
「……わかった」
血が流れる胸の傷口を軽く止血して、立ち上がるセラクに手を貸し、ティアとミシダの元へ支えながら連
れて行く。
ミシダは、涙を堪えながらティアの傷口を治療するのに専念していて、レクラスとセラクが近づいていることに気づかなかった。
「姉さん……」
「っレクラス?」
声をかけると、驚いて振り返ったミシダと目が合った。ミシダはレクラスを見て、その肩に支えられてい
るセラクを見て、眉間にシワを寄せた。
「どういうこと?あなた達、手を組んでティアの、息の根を止めるつもり?」
レクラスはセラクをティアの横に寝かせ、ミシダに言った。
「違うよ。助けるんだ」
「信じられると……」
そこまで言って、ミシダは止まった。レクラスの目に愁傷が宿っていることに気づいた。ため息をついて、ティアとセラクの手を結ばせる。
「本当なのね?」
レクラスはセラクの顔を見ながら頷いた。セラクも、笑みを浮かべ頷いた。
「わかった。セラク、あなたがしたことは許せない。だけど、ありがとう」
「僕も、謝って、すむことじゃないけど……」
頷いたミシダは、意識を集中させる。レクラスは目をそらさず、セラクの命がティアに流れていくのを、黙って見ていた。
セラクの身体が、金色の光に包まれ、そして光の粒となって、ティアに吸い込まれていった。レクラスは嗚咽をかみ殺して、その場にうずくまった。
本当に憎かった。大勢の命を奪い、人々を混乱に陥れ、国を滅ぼしたセラクのことが。大切なものを奪っていく、セラクのことが、憎かった。
だけど本当は、誰よりも、愛していた。
「ティア……」
青白かったティアの肌に、ゆっくりと赤みが差してきた。ミシダはホッと息を吐き、ティアの頬に手を添えた。早く、目覚めて欲しいと願いながら。
☆ ☆ ☆
精霊の戦いに加わったのはよかったが、まったくついていけなかった。アイソトープが足手まといだと言うのが、嫌と言うほどわかってしまったが、ここで引くわけにはいかない。
何度目かの攻撃を避けたとき、今まで余裕な顔をしていたビスタが、初めて焦りを見せた。しかしそれは精霊たちに向けてではなく、背後で戦っているであろう、レクラスとセラクに対してだった。
「っあの男!」
焦りを怒りに変え、レクラスたちの方へ行こうとするビスタを、全力で止める。
「みんな!ビスタをレクラスたちの方へ行かせるな!」
「了解!」
アイソトープ以外返事をして、ビスタを拘束しようと動いた。
「ちっ、邪魔よあんたたち!」
炎、水、風、土あらゆる攻撃を避け、ビスタはレクラスたちに近づこうとする。
「させるかっ!」
レクラスたちを背中に庇う形で、ビスタの前に立ちはだかった。ビスタはオレを見て、鼻で笑った。
「ふ、あんたに何ができるというの?人間でもなく、精霊でもない出来損ないが」
「出来損ない。確かにそうだ。オレは何もできない。だけど、気持ちだけは誰にも負けない。大切な人を、助けたいって気持ちは!」
ビスタは心底、どうでもいいという顔をして、地面に手のひらを向けた。何をするのかと身構えると、突然足元のコンクリートが歪んだ。
「うっわぁ!」
身体が沈み込む感覚に覚えがあった。オレの父親の人相書きを持って顕れた四人の精霊、その中のハープ
を持った黄色い髪の精霊、コーデュロイの技だ。抜け出そうとするも、身体は沼のような地面に沈み込んで
いく。
「くっそ!」
悪態をついたところで、足元から押し上げられる感覚があり、身体が浮かんでいく。驚いて見回すと、ビシードが地面に手のひらを向けていた。
「ビシード、ありがとう」
礼を言って、地面に降り立つ。ビスタはビシードに恨みがこもった視線を向けた。
「姉さんの小間使いどもが、邪魔するんじゃないわよ」
「あんたの小間使いどもはどうしたんだ?」
アイソトープが斜に構えて言った。ビスタは口元に笑みを浮かべて、自分を指さした。
「あんな使えない子たち、いても居なくても同じだわ。でも、力だけは使えるから貰ったけどね」
「なんて酷いことを……」
ビシードが口元を押さえ、眉間にシワを寄せた。どういうことかわからなくて視線を向けると、苦しそうな表情で答えてくれた。
「我々精霊は、不老であっても不死ではありません。身体に力の核と言うものがあって、それは人間で言うところの心臓なんですが、それを抜かれてしまうと形を保っていられず、枯れ枝のように死んでしまうのです。あの人は、自分の部下にもかかわらずその核を奪い、身体に取り込んだ。同族殺しと言ってもいいでしょう」
嫌悪感を顕わにして、ビシードはビスタを睨んだ。あまりの事実に、頭が真っ白になった。
つまり、あの四人は森に帰ってしまったためにビスタに使えないと思われ、核を抜かれてしまったというのか。
強く、拳を握りしめる。
「じゃあ、あの四人に、人捜しをさせたのは……」
「あたしよ。もちろん姉さんのフリをして、だけどね」
愉快そうに笑うビスタに、嫌悪を抱く。それはエンタイアたちも同じだったようで、一様にビスタを睨みつけていた。
「コルト様の身体で、ゲスみたいな笑い方してんじゃねーよ」
アイソトープが不愉快だと、殺気を出して言った。
「は?」
ビスタは、怒りを顕わにしてアイソトープを睨んだ。アイソトープも睨む。二人の間で、火花が散った。
そして、どちらともなく水龍を召喚した。しかし力の源の違いで、アイソトープが押されだした。
「アイソトープ!」
声をかけると、邪魔するなと睨まれ、首をすくめる。何もできない自分が悔しくて、左手の指輪を右手で握る。
せめて目をそらさないように、戦いを見つめる。互いの水龍がぶつかり合い、水しぶきが雨のように降り注ぐ。ふと、脳裏に映像が浮かんだ。ノイズがひどい、コマ送りの映像。
銀色の髪の女性が、雨の中佇んでいる。そこに傘を差し掛ける青い髪の青年。その腕には黒髪の幼児を抱いている。
女性は幼児を受け取り、愛おしそうにその頭を撫でる。幼児は嬉しそうに笑い、青い髪の青年に手を伸ばす。青年は困ったような、でも嬉しいような笑みを浮かべ幼児の手を握る。
青年は、一言二言女性に話しかけ、女性は頷いて、幼児の額に手を当てた。すると、さっきまで無邪気に笑っていた幼児はゆっくりと瞼を閉じると、すぐに寝息を立てた。
女性は、青年とその後ろにいた男性に苦笑を向け、言った。
『今はまだ、忘れたままでいい。いつか本当に必要になったとき、自力で解けるから。それまで、寂しい思いをさせるけど、ごめんなさい。許してね』
青年はお辞儀をする。男性は、女性が抱く幼児ごと女性を抱きしめた。
『大丈夫。僕たちの子供は、きっと強いから』
その笑顔を見たとき、耳の奥で、何かが砕ける音を聞いた。
「ぐっ」
強烈な頭痛が襲い、その場に膝をつく。脈打つ音がうるさいくらい響く。
身体の奥から何かが蠢く。
「キーラ様!?」
エンタイアとベンプルが慌ててオレの肩に手を添えた。そして驚愕した。
「この、力は……」
「はぁ、は、ぁ」
冷や汗が額から顎に流れ、地面に染みを作っていく。身体を、血液じゃない何かが流れているのを感じる。
俯けていた顔をゆっくりと上げると、戦っていたはずのビスタとアイソトープもこっちを向いて、驚いていた。
そのアイソトープの、青い瞳を見た瞬間、ノイズの混じった映像が鮮明な映像となって、脳裏を流れていった。
子供の頃、同じ年代の子供たちから泣かされて帰ってきていた。それを、父が宥めてくれていた。だけど、その傍らには、いつも青い髪の青年が、いた。
今、心配そうな顔をして、こちらに向かって走りよろうとしている、アイソトープと同じ顔。
「……っ!」
背中を向けたアイソトープを、ビスタが口元に笑みを浮かべて、攻撃しようとしているのを、見た。
背筋が凍り付く。ビシードの言葉がよみがえる。精霊は、不老だが不死ではない。核を傷つけられたら、死ぬ。
迷いは、なかった。全身を駆け巡る力を、右手に集中させて黙らせる。そしてあらん限りの声で、叫んだ。
「避けろ!アイン!!」
一瞬驚いた顔をしたアイソトープは、だがオレの手のひらに浮かぶ水球で察して、思い切り右に飛んだ。
一瞬後、三センチくらいの水球が弾丸となってビスタに襲いかかった。
「ぐあぁっ!」
全身に水球を食らったビスタは、そのまま後ろに飛ばされ、壁に激突して地面に倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
肩で息をしていると、アイソトープが近づいて、オレの頭に手を置いた。
「お前、今……」
まだ軽い痛みが残る頭を上げ、アイソトープを真っ直ぐ見つめた。
その青い瞳に郷愁を覚え泣きたくなった。
「あぁ、思い出した。ごめんな、遅くなって」
自分でもわかるくらい弱々しい笑顔を向けると、アイソトープは泣きたいのか怒りたいのかわからない表情で、オレの頭を抱きしめた。
「……っう」
ビスタのうめき声を聞いて、アイソトープとベンプルがオレを背中に庇い、警戒を顕わにした。
「エンタイア、手を貸してくれ……」
「はい」
エンタイアの手を借りて立ち上がり、倒れているビスタへ近づく。アイソトープが警戒を促すが、視線で
大丈夫だと伝える。
渋々引き下がったアイソトープに苦笑を返し、荒い息を繰り返すビスタへ、視線を移す。
「お、のれ……っ」
恨みのこもった視線を向けるビスタを、ベンプルが牽制しようとするが、それを手で制する。
「その身体から出て行ってくれませんか?」
「ふん。嫌よ。やっと手に入れたのに」
ビスタは、腕に力を入れて身体を起こし、壁に背中を預けながら立ち上がった。その身体は、頬から、腕、脇腹、足にいたって切り傷から血が滲んでいた。
銀色の髪は乱れ、色もくすんで見える。
自分でやったことだが、痛そうでアイソトープに視線を向けた。
「アイン、この傷治してあげれないか?」
「はぁ!?何言ってんだ!そんなことっ」
オレの言葉にアイソトープは目をむいた。他の三人の精霊もアイソトープと同じ気持ちらしく、頷いていた。
「そっか」
四精霊に苦笑を返して、右手のひらをビスタに向けた。意識を集中すると身体の中を流れる力が右手に集まるのがわかった。
「あっお前!」
オレが何をしようとしているのかわかったアイソトープが、止めようとするがそれよりも早くビスタの身体にできた傷が治った。
「表面の傷だけだよ。その身体は、……母さんのものだからね」
苦笑した顔を見たアイソトープは何かを言おうと口を開いたが、結局何も言わず口を閉じた。その目は労るようにオレを見た。
「あんた、馬鹿なの?」
全身の傷が消えたのを見て、ビスタが呆れた声を出した。
「傷は治しました。だけどあなたの中にはもう、力はないですよ」
「何を馬鹿なことを……っ」
あざ笑おうとしたビスタは、しかし自分の中に意識を向けて、頼りにしていた力がなくなっていることに気づいて愕然とした。
「この力は元は森の力だ。返してもらいますよ」
左手をかざすと、中指の指輪が輝きを増した。
ビスタは殺意のこもった瞳をオレに向ける。その目を真っ直ぐ見つめ返し、言った。
「もう一度言います。その身体から出て行ってくれませんか?」
唇を噛みしめたビスタは、諦めたようにため息を吐き出した。
「こんなことになるなんて……。毒にも薬にもならない坊やだと思っていたのに。さすが姉さんの子供ね。ハーフのくせにそんな力持っているなんて。あの男も、まさか最後に裏切るとはね。せっかく操り人形にしてあげたのに」
視線をレクラスたちの方へ向ける。そこには意識を取り戻したティアが泣きじゃくるミシダを慰めていた。レクラスはその二人を見つめていた。視線に気づいたのかレクラスがこちらを向いて片手を上げた。手を上げ返して視線をビスタへ戻す。
「これはオレだけの力ではありません。オレの中に、初代精霊王の魂が入っているんですよ。あなたの力を吸い込んだのはセヴィア様の力です」
「そんな、まさかっ……」
ビスタの表情が、驚愕に歪んだ。
☆ ☆ ☆
時間は少し戻る
レクラスは、流れる涙を拭い、まだ目を覚まさないティアの手を握りながら、心配そうに見つめているミシダを見ていた。
国が滅んだ日、セヴィア様をセラクに殺され呆然としていたレクラスを助けたのは、満身創痍となっていたティアとミシダだった。
命からがら城から逃げ出し、重傷を負ったティアを信用のおける医師に治療してもらっている間も、ミシダは今と同じ顔でティアのことを見つめていた。
「大丈夫だよ。姉さん」
無意識にそんな言葉が出ていた。ミシダは驚いた顔をしてレクラスを見る。そして柔らかく微笑んだ。
「そうね。あんまり心配した顔をしていると、ティアが目を覚ましたとき、びっくりするわね」
「そうだよ」
二人で笑顔を向けると、ティアの瞼が震え、ゆっくりと開いていく。一瞬彷徨った視線は、すぐにミシダへと向けられる。
「ミ、シダ。ごめん、もう泣かせないって、約束したのにな……」
「本当よ、バカ」
溢れる涙を拭いもしないで、ミシダはティアへ笑顔を向けた。身体を起こそうとするティアに手を貸して、二人を見つめる。
少し胸は痛んだが、それでも心から良かったと、思った。
ふと、視線を感じて振り向くと、キーラとビスタがこちらを向いていた。あっちの戦いも終わったのだと、軽く手を上げると、キーラも手を上げた。
恐らく簡単な戦いじゃなかったと思うが、それでもキーラが無事で良かったと胸をなで下ろす。
視線をティアに戻すと、いつもと変わらない無表情で目が合った。口元に微かに笑みを浮かべて、いつものように軽口を言おうとして、言葉に詰まった。何故なら、頭をティアに抱きしめられたからだ。
「っなに」
「悪かったな」
「え……」
「虚ろの中で、セラクに会った。俺を殺そうとしたのはあいつだが、それを止められなかった俺のせいでもある」
「……」
「セラクが国を滅ぼしたのも、あいつの気持ちに気づかなかった俺の責任だ」
ぴくり、とレクラスの指が震える。ゆっくりとティアの腕を握り、顔をあげる。
「それは違う。それはティアが一人で背負うべきものじゃない」
「レクラス」
ティアから身体を離し、真っ直ぐ目を見る。ずっと自分を責め続けてきたレクラスは、セラクと対峙して、気づいた。
「国が滅んだことの責任は、それぞれが背負っていくべきことなんだ。それが、理不尽に命を奪われた民に対する責務だ」
表情を変えないティアの顔が、微かに微笑んだ。しかしそれは、暖かな微笑みだった。
「強くなったな。レクラス」
頭を撫でられて、赤くなった顔を隠すようにレクラスはそっぽを向いた。ミシダは、二人を微笑みながら見つめていた。
「そう言えば、ボルスはどうした?」
周囲を見回しながら、ティアが言った。ミシダとレクラスは、言いにくそうに視線を合わせ、キーラの方に視線を向けた。
二人の視線を追って視線を向けると、そこには、一人の女性を壁際に追い詰めた、キーラと精霊四人がいた。
「何やっているんだ?あいつら」
「ボルスは、コルト様の身体を乗っ取ったビスタ様だった」
「はぁ?」
レクラスの手を借りて立ち上がり、キーラ達の元に向かいながら、ティアは視線を女性に向けた。その姿は、記憶の中にあるコルトと同じだった。
背中まである銀色の髪、湖を思わせる水色の瞳。だけどキーラと精霊達との戦いの影響か、髪は乱れ、その顔は疲労していた。
「キーラ……」
レクラスが声をかけると、キーラは視線をレクラスに向けて苦笑した。レクラスも苦笑を返し、お互いの拳を軽く合わせた。
☆ ☆ ☆
レクラス、ティア、ミシダと合流して、ホッと息を吐き出す。
セラクに剣で貫かれた場所は、きれいに治っていたが、服は破けたままで、こびりついた大量の血が、ティアが倒れたことは夢ではなかったと、物語っていた。
「そんなはずない……。初代の魂は、あたしの……あたしは初代の生まれ変わり……」
ビスタは、視線を空に向け、うわごとのように呟いていた。そして憎しみにこもった目を、オレに向ける。
「出鱈目を言うな!お前の中に初代の魂があるわけがない!何故なら、あたしが初代の生まれ変わりだからだ!」
睨みつけられたオレは、逸らすことなく真っ直ぐビスタを見つめた。
「キーラの中に主様の魂があるのは、事実だ」
声が少し掠れているが、はっきりとティアは言った。そして視線を向けた。オレは頷いて、目を瞑り意識を切り替えた。
瞼をあげたとき、その意識はオレではなかった。
「……」
そのオーラにビスタは驚き、畏怖した。
「そんな……」
事実を理解し、ビスタは身体の力が抜けたのか、その場に座り込んだ。そんなビスタを、精霊の主は、悲しみを含んだ瞳で見下ろした。
「あたしは、何のために……」
「何故、セラクを使って俺たちの国を滅ぼしたんだ」
レクラスは、静かな声で聞いた。その声音には、もう恨みも悲しみも含まれていない。ただ、疑問だけが内包されていた。
「……あたしは、産まれたときから初代精霊王の記憶があった。それを知った長老達は、あたしが初代の生まれ変わりだと喜んだ。あたしもずっとそう信じていた」
蝶よ花よと育てられ、どんなわがままも押し通ってきた。実の姉だって、ビスタには逆らわなかった。
「だけど年齢を重ねるにつれ、記憶は薄れていった。それに気づいた長老達は、あたしの言うことを聞かなくなった。それどころか、まるで腫れ物を触るみたいに、あたしのことを避けるようになった。だけど、あたしにとってはそんなことどうでもよかった。だって次期精霊王は、あたしに決まっていたのだから」
「……数百年に一度、記憶を引き継いで産まれてくる者がいたのは確かだ。そしてその者は精霊王となり、皆を導いておった」
オレの口から、しかしオレではない声が言った。
「だがそれは過去を忘れないよう、ねじ曲げられないようにするためだったはず。生まれ変わりだ、などと……」
その声は悲哀を含んでいた。コルトの身体に乗り移っているビスタは、その美しい顔を歪めた。
「ある年、次期精霊王になる儀式を受けたわ。森の奥深くに祭ってあるその指輪に力を込め、認められることが儀式の成功条件」
視線を、オレの左手に嵌められている指輪に向ける。金色の指輪を、ビスタは忌々しげに睨みつけた。
「儀式の日、禊ぎを済ませ長老達を引き連れて、森奥の祭壇へ向かったわ。長老達は見届け人だから仕方なかったけど、父上と姉様までその場にいたのを、あの時疑問に思えば良かった」
祝詞を言い、指輪に力を注ぎ込んだ瞬間、異変が起きた。目映く金色に輝き浮遊するはずの指輪が、何の反応もしなかったのだ。
沈黙がその場を占めた。しかし長老達は確信していたようで、すぐに、コルトにも同じことを要求した。
一瞬驚いた表情をしたコルトは、しかし毅然として首を横に振った。
「姉様は、自分には資格がない。だから自分が儀式をするのは断ると言った」
ビスタは拳を握りしめた。爪が手のひらに食い込む。まるでその身体を傷つけようとするかのように。
精霊達がやめさせようと動くが、セヴィア様が手で制した。アイソトープは物言いたげに視線を向けるが、大人しく従った。
「屈辱以外の何物でもないわ。姉様は、自分の行動がどれだけあたしを惨めにしているのか、気づいていないのよ」
ティアが胸を押さえ、一瞬苦しげに眉を寄せた。
「それ以後、指輪は祭壇に戻された。長老達は、あたしを生まれ変わりだと認めなくなった。だけど、あたしは初代の生まれ変わりなの。記憶がそれを物語っていたわ。だから、それを認めない世界なんて、作り替えてしまえばいいと思ったのよ」
「その時に、俺がセラクを連れて、あんたの前に現れたのか」
苦々しく、レクラスが眉間にシワを寄せて言った。ビスタは嘲るように笑みを浮かべ、レクラスを見上げた。
「そうよ。一目視て、あの男の中に同じ力を感じたの。ラッキーだと思ったわ。初めてお姫様のことを認めてあげてもいいと思ったわ」
嫌悪感を含んだ視線で、レクラスはビスタを見下ろした。
「あの男も世界を壊そうとしていることを知って、手を組まないかと誘ったの。そして計画を練っているときに、記憶を持った子が産まれたと、長老達が喜んでいたから、計画を実行に移したのよ。生まれ変わりは、二人も要らない」
そして戦いは始まった。ビスタとセラクの思惑通りに。ビスタが精霊結界を解き、セラクが隣国を嗾ける。国は傾き、崩壊していった。そしてその最中に、幼児の命は奪われた。
ティア、ミシダ、レクラスの三人は、悲哀に眉を寄せた。
「だけど、国を落としても世界を再興できなかったのは、予想外だったわ。あたしたちの計画に気づいた長老達と父様が、姉様を次期精霊王にしてしまったせいで」
忌々しいと眉間にしわ寄せて、ビスタは吐き捨てた。
「あたしは幽閉され、力も奪われたわ。だけど所詮は父親。子供には甘いのよ。幽閉された場所は指輪が祭られていた祭壇の地下牢、そこにはまだ初代の力の残滓が残っていた。ちょっと手間取って時間はかかってしまったけど、その間に姉様は禁忌を犯して追放されていたのはちょうど良かったわ。指輪まで持って行かれたのは最悪だったけどね」
牢から脱出したビスタが向かったのは、滅ぼした国の王の部屋。そこには、玉座に座ったセラクがいた。しかしその顔は、生気が無く生きる気力も見当たらなかった。ただその心の中には、レクラスとティアに対する思いだけが残っていた。
ビスタは丁度いいとばかりに、土人形にセラクの魂を移し、手駒にした。
「意識は残して、あたしに逆らわないようにしたのに、あんな最期になるとは思わなかったわ」
意外そうな顔をしてレクラスを見上げる。レクラスは一瞬、怒りに瞳を揺らしたが、瞬きをして追い払い、真っ直ぐビスタを見返した。
「それから、どうにかして指輪を取り戻そうとしたけど、姉様の結界は流石ね。全く見つけられなくて焦ったわ。やっと見つけたと思ったら、森のことなどどうでもいい、とばかりに幸せに暮らしていて、反吐が出そうだった。だから父様が危篤だと嘘をついて姉様を森に戻して、この身体を乗っ取ってやったの。人間界の空気で弱っていたから簡単だったわ。だけど姉様は指輪を持っていなかった。やっとあたしが精霊王になれるチャンスだったのに。どうして半人前のあんたなんかに、初代の魂が宿るのよ」
ビスタは嫌な者を見る目で、オレに視線を向ける。しかし、ビスタに向けるオレの視線は、慈愛を含んでいた。
「……なんなの、その目」
「我の記憶を受け継ぐ者よ、其方を苦しめていたことに、申し訳なく思う」
そしてオレの身体に宿る、精霊の主セヴィアはビスタに向かって頭を下げた。それに慌てたのは青い髪の精霊、アイソトープ以外の三人の精霊たちだった。
「セヴィア様っ」
「頭をお上げください!」
「そのような者に頭を下げるなどっ!」
慌てる三人の精霊たちを、視線で黙らせて真っ直ぐビスタを見つめる。
「しかし、悲しくも思うのだ。今までの精霊王となった者たちは、すべての民達を守ることを考えていた。そして人間の国、彼らの祖国と共存を望んでいた。我の意志を汲んで。なのに其方は、何故そんなに『王』となることに拘ったのだ?『王』となっても特別な力を持つわけではない。ただ、民のため、森のために尽くす、そのためだけに力を使う。それを、何故滅ぼしてまで手に入れようとしたのだ?」
「あ、あたしは……」
オレの口から紡がれる精霊の主の声に、ビスタは視線を逸らした。何のために滅ぼして手に入れようとしたのか。
ただ……、姉のコルトに全てにおいて勝ちたかっただけ……。
ずっと、コルトに劣等感を抱いていた。だけど初代精霊王セヴィアの記憶を受け継いでいるとわかった瞬間、コルトを崇めていた連中は、ビスタを崇めて何でも言うことを聞いてくれた。
長老たちも、父親も、姉も。
「……」
記憶が薄れ、次期精霊王の儀式も失敗してからは、誰も、何も聞いてくれなかった。
父と、姉以外。
『王』になれば、またみんな、コルトよりも、自分を崇めてくれる。
ただ、それだけを夢見て、セラクと共に国を滅ぼした。
愕然として、ビスタは目を見開く。
「そんな……でも、あたしは……」
「すべて其方が悪いわけではない。長老どもも我の生まれ変わりと、もて囃し、其方ことを謀ったのだから。だが、儀式が失敗したときに、何故失敗したのか、己の心と向き合って欲しかった。周りを恨むのではなく、な。そうすれば、こんな悲劇など起きなかったかもしれぬ」
ビスタは唇を噛み、俯いた。
「ビスタ様、あなたは一つ勘違いをしている」
アイソトープが一歩前に出て、ビスタを見下ろす。
「は?」
睨みつけるようにビスタは、アイソトープを見上げた。
「あなたは、コルト様が森のことを考えずに幸せになったと思っているが、それは違う」
「なにが違うのよ。その通りじゃない」
「ラシャンク様と幼いキーラと一緒に暮らしていたとき、コルト様は森のこと、森に住む他の精霊達、もちろんあなた様のことも、ずっと気にかけておられた。だから罠とわかっていても、抵抗せずに森に戻られたのだ」
「なに、それ」
ビスタは眉間にシワを寄せた。
「ふざけんじゃないわよ。いつもいつも、姉様の存在があたしを惨めにしているって気づかないの?あたしは、この世で一番姉様が嫌いなのよ!」
吐き出すように言ったビスタは、肩で息をしながら、しかしその目からは涙が溢れていた。
かける言葉が見つからず、泣き崩れたビスタを、ただ、見つめていた。
「……」
しばらくして、ビスタがぽつりと言った。
「すべて、姉様の手のひらの上だったとう言う訳ね」
「では、その身体をコルト様に返してください」
「ええ」
項垂れたビスタは、力なく答えた。
「では、我も森に戻るとしよう」
精霊の主セヴィアが言うと、レクラスが慌ててキーラの手を握った。
「ですが、セヴィア様が離れるとキーラがっ!」
慌てるレクラスに、セヴィアは笑みを向ける。
「我の力が戻ったため、この身体に与える影響が大きくなってしまった。このままでは逆にキーラの魂を壊してしまう可能性が出てきたのだ。だが、魂が安定する量の力を置いていくので、キーラが死ぬことはなくなる」
それを聞いて、レクラスは心からホッとした笑顔を浮かべた。それを見届けて、瞼を閉じた。
☆ ☆ ☆
瞼をあげたとき、目の前には半透明の精霊の主セヴィアが、微笑みながら立っていた。オレも笑みを返して頷いた。
「今までありがとう」
一言、言うと精霊の主セヴィアは頷き、ビスタと共に光を纏って、精霊界へと帰って行った。
虹のように空へ続く光の筋を見送って、オレ達はため息をついたのだった。
「つ、疲れた……」
脱力感に抗えず、屋上のコンクリートに寝転がると、レクラスが慌てて顔を覗き込んできた。
「大丈夫か?!」
その心配顔を懐かしいと思って笑うと、レクラスは頬を膨らませてふて腐れた。
「なんだよ。心配したのにっ」
「ごめん」
微笑みながら謝り、レクラスの手を借りて身体を起こす。レクラスも微笑み、拳を合わせた。
「終わった、のかな?」
「そうだな。ありがとう。キーラ」
「オレは何もしていないさ。ほとんどセヴィア様の力だしな」
オレは苦笑して、四人の精霊に視線を向けた。
「我らは、引き続きキーラ様のお側におります」
黄色い髪の精霊、ビシードが言った。
「ご用の際は呼んでください」
赤い髪の精霊、ベンプルが言った。
「今度こそ、お守りいたします」
緑の髪の精霊、エンタイアが言った。
「……」
青い髪の精霊、アイソトープは、何も言わずオレに視線を向ける。その目は、冷たいように見えるが、その中に温もりがあることを、オレは知っている。
「アイン……」
名前を呼ぶと、アイソトープは眉間にシワを寄せた。それを見たレクラスが空気を張り詰めさせるが、手を握って止める。
心配そうにオレを見るレクラスに、笑顔を向けて首を横に振った。そしてアイソトープに視線を向ける。
「アイン。お前のことを忘れていたオレのことを、許せないかもしれない。だけど、またオレと一緒に、いてくれるか?」
長いようで短い沈黙。
「仰せのままに」
アイソトープは、微かに目元を和ませたが、それを隠すように頭を下げた。他の三精霊も、口元に笑みを浮かべながら、頭を下げる。
「ありがとう。これからもよろしく」
そして、オレと四人の精霊はこれからも一緒に居ることになる。それは即ち、普通の生活を送ることはできなくなると言うこと。だけど、オレはそれでもいいと思った。
オレの身体の半分は、精霊の血が流れている。それを受け入れて生きていく。そしていつか、精霊王となった母親と会えるといいな、と左手を夕日にかざしながら口元に笑みを浮かべる。
希望の光のように、左手の指輪が、夕日を弾いて輝いた。
次回から、新章です。




