お願いされる真田さん
関西にいるときには、学校や街中でいろんな男性を見てきた。けど、今のようにときめいた人はいなかった。うちは初めてこの村にやって来て、父さんの子供でよかったと思った瞬間はなかった。
「真田村で買ったケトルやから、サドルくんはどうやろうか?」
偶然、この展望デッキにいた西尾さんの前でこんなこと言わんかったら、しばらくはお小遣い99パーセントカットを許してあげようと思ったのに。本当に、どうしてうちはこんな父親の娘に生まれてきてしまったのだろうか。
「……観光客ですか?」
これは西尾さんと会話できるチャンスだと思い、うちが口を開けようとした瞬間。
「ちゃうちゃう。俺たちはこの村に引っ越してきたんや。俺は真田信士で、こっちが娘の真田ユキ――ぐふっ!」
これ以上うちが恥をかかないように、父さんの横腹をどついて黙らせた。
「西尾君も一緒に来るー?」
上杉さんが西尾さんを誘うと、西尾さんも首を縦に振ったことにより、うちたちと行動することになって、何もない偽大阪城を出ると、上杉さんは武田さんに話しかけた。
「次は、真田園はどう?」
「あそこ、すげー入園料が高いだろ? 高校生の俺たちには入れないな」
今度は真田園というところに案内されそうになったが、こんな村に有名なテーマパークみたいな入場料を取る施設があるらしい」
「それ、なんぼや? 俺が出してあげるわ」
「電気ケトルを買うお金もないのに、どこに他人の入園料を払うお金があんの?」
「高い言うても、精々1000円ぐらいやろ? そんぐらいなら、真田の父さんの出血大サービスや。値切って余ったお金で、みんなの入園料を奢る。けど家のご飯は、しばらくパンの耳生活になるで、ユキは我慢してな~」
それなら無理に入らんでもいいと思う。そもそも、うちはそんな場所には興味ないし、さっさと家に帰って、もう寝たい。慣れない土地、そして父さんの相手をするのに疲れた。
「そんで、いくらぐらいするんや?」
「大人、2500円ですよ」
武田さんの話を聞くと、父さんは上杉さんの電気店の方に歩き出した。うちら5人になると、12500円。そんなお金、父さんの銀行の口座に入っているのだろうか。
「父さん、これを売ってみんなの入園料を払う」
「そこまでしなくても、入りたいと思いませんよー!」
上杉さんと武田さんが父さんを制止させて、何とか振り出しに戻ることはなくなった。入園料を確保するために電気ケトルを売ったら、今日は何のために過ごしたのだろうか。
「……写真でよかったら、役場のフォトギャラリーにあります」
西尾さんがそう言うと、上杉さんは手を叩いた。
「その方法があったねー。役場なら入場料取られないし、家計が火の車の真田さんの家でも、安心して見られるねー。今回は、それで行こうよー」
家が貧乏扱いされて、すごく恥ずかしい。父さんのせいで、うちらの印象は悪い方向にしか向かっていないだろう。
わざわざ見に行かんでも、写真があるなら、それで確認すればいい。入園料を払って、さらに家の家計が苦しくなるリスクを背負うぐらいなら、今回はその方法で行った方がいいだろう。
「おもろないな~。父さんは、実物を見んと納得せん――」
「文句を言わんの……!」
皆が歩き出しているのに、一歩も歩こうとしないでいる父さんの耳を引っ張りながら、うちたちは役場に向かった。
『月を見て わしは美味いと 饅頭食う 真田幸村 作』
偽大阪城の向かいにあった、真田村の役場に来たうちたち。この村はうちの期待を裏切ることなく、この村の役場にもツッコむ要素があった。
それが役場の玄関付近に設置されている石碑に書かれた、おそらく真田幸村が詠んだと思われる俳句だ。
「その句、幸村さんがこの村に滞在している時に詠んだらしいんだよー」
「これは、絶対に嘘でしょっ⁉」
こんな句、真田幸村が詠むとは思えない。しかも字余りで、素人が考えたような句が、後世までに受け継がれるとは思えない。
「この句は、普通にいいと思うけどな。俳句はよく分からない俺でも、意味が分かるし」
何? うちだけがおかしいの? この句、実は本当にすごい句で、うちだけが俳句の感性がないのだろうか。
「……早く入ろうよ」
「そうだねー。この俳句、村長が作ったって噂だしー」
村長が作った噂があるなら、さっきのこの句への対してのべた褒めは何なのっ⁉ と思いながらも、ここはこらえて、西尾さんの後をついていった。
役場に入ると、当然のように真田幸村推しの中。この村のゆるキャラみたいな奴の顔出し看板。『真田幸村が絶賛した村 真田村』という、でっち上げだらけの中にため息が出そうになると、役場の中のフォトギャラリーのエリアに着いた。
「……これが、桜満開の真田園の写真」
西尾さんが見せた一枚の写真に、うちは心を打たれた。
古民家の屋根以上に高い桜の木。古民家の上に咲く満開の桜。桜は光らないはずなのに、キラキラと光っているような光景で、これから暖かくなるような、希望が満ち溢れるような、今後のうちの人生を表すような写真だった。
「……早朝。……前日は春の嵐で、散ってしまうかと心配した。……けど、生命ってすごくて、あんな暴風や大雨にも耐えて、桜は俺たちに素晴らしい光景を見せてくれた」
西尾さんはどうしてそんなにこの写真について詳しいのかと思っていると、写真の右下のプレートに『撮影 西尾桂馬』と書かれていた。この写真、西尾さんが撮ったみたいだ。
「……写真好きなん?」
「……そもそも景色を見るのが好きで、心の中に留めるんじゃなくて、みんなにも自分が見た景色を見てもらいたくて写真を撮っている」
見た目もかっこよくて、性格もピュアで、趣味が写真撮影の、非の打ちどころのない西尾さん。西尾さんにうちが変人じゃないって事を分かってもらうには、うちもカメラを始めたほうがいいのかもしれない。
「これ、去年の夏祭りの写真だねー。あっ、暦が写ってるー」
「……いつの間に撮ったんだよ」
真田庵の近くの写真に、夏祭りの写真があって、祭囃子が聞こえてきそうな、迫力のある写真だった。上杉さんの言う通り、嫌そうな顔をして踊っている法被姿の武田さんが写っていた。
「……これも西尾さんのだ」
そしてこの写真も、西尾さんが撮った写真だった。と言うか、真田庵、夏祭りに真田滝など。ここに飾られている写真は、すべて西尾さんが撮った写真だった。
「どの写真がお気に入りかな?」
うちたちが写真を見ていると、スーツ姿のおじさんが話しかけてきた。
「俺は、この写真だな~」
そして父さんがおじさんの問いかけにこたえていた。父さんのお気に入りは鳶が飛んでいる、どこでも撮れそうな写真だった。
「息子の写真が褒められて、光栄に思います」
このおじさんは、撮影者の西尾さんの事を息子と言った。つまり、このおじさんは西尾さんの父さんという事だ。ここはうちもちゃんと自己紹介をした方がいいのだろうか……?
「初めまして。私は真田村の村長、西尾繁と申します」
しかも西尾さんのお父さんが、このおかしな村の一番偉い人らしい。息子さんは真面目なのに、どうして村長さんは、こんなおかしな村を作り上げてしまったのだろうか。
「見かけない顔ですが、観光客の方でしょうか? それなら、私が直々に案内しましょうか?」
「村長さん。俺たちは観光客ではありません。俺たちは数日前に引っ越してきた真田です」
真田村の村長が、うちの名字を聞いた瞬間、動きが止まったけど、うちはふざけていない父さんの言葉を聞いて、動きが止まった。サラリーマンの時は、こんな風に人と接していたのだろうか?
「そ、そうでしたか~。話は聞いています。まさか、この村に名字が真田さんの方が来るとは、夢に思いませんでした。もしかすると幸村さんの子孫だったらいいなと、淡い期待を持っているのですが、どうなのでしょうか……?」
うちたちは真田家の末裔。幸村ではなくて、兄の信之の方だと言った方がいいのかと、うちが悩んでいると。
「ごにょごにょ……」
何か、村長さんによからぬことを吹き込んでいる上杉さんの姿があるんやけど。
「……な、なんですとーっ!!」
上杉さんの話を聞いた村長さんは、うちの方を掴んで。
「真田さん! あなたが幸村さんの生まれ変わりなら、この村の観光大使をやっていただけませんかっ!?」
「お断りしますっ!!」
村長さんの突然のお願いに、うちはパニックになって即行で断ってしまった。