6.心に残るもの(2)
『だったら、ライカが幸せになればいい。その子の分まで』
不意に瑠衣の言葉が脳裏に甦る。あのときは、素直に聞けなかった。だが、今なら少しだけ、そうだよな、と思えた。自分は生きているし、これからも生きていくのだ。たとえ、上手く生きられなくても、下手くそでも、そうするしかないのだから。
「精一杯、楽しく生きてやるよ。……ウソでも」
彬は、もう一度空を見上げた。頭の中に次々と、夏に出会った優しい大人が現れては消えていく。お人好しの瑠衣、マスターカワハラや、働くことを許してくれた店のママ、居酒屋の大将──。誰にとっても、得体の知れない存在であったはずの "ライカ" に、彼らは優しかった。世の中が、そんな人間ばかりではないのは分かっている。しかし、あのひとたちは確かに、目の前に存在していた。そして、それはちゃんと彬の心に残っている。
あのとき助けてくれたひとたちと、今、支えてくれる周りのひとたちと。ずっと目を向けてこなかったことをちゃんと受け入れたい、そうなってみたい。
家族のこと、学校のこと、ユイへの気持ち、未来への疑問。何ひとつ解決してはいない。それらはきっと彬の後ろにある。だから、全部まとめて引きずって行くのだろう。ゴミにも思えるこの感情たちをまるごと消してしまうことの方が、彬には難しい。それがひと夏、いるべき場所を離れて分かったことだった。
今の自分には、このゴミたちを捨てることが出来ないのだとしても、いつかの自分がそれらを選んで捨てられるようになる。未来の自分に過剰に期待しているように思えて笑ってしまう。思い出したように踵を返し、踏み出した彬の一歩はとても小さい。しかし、僅かな歩みだとしても、それを続けていけば、少しは前に進めるはずだ。彼はそう信じたかった。
「草野……まだいるのかな」
ふと、図書館の入り口で別れた千鶴のことを思い出す。都合のいいときだけ頼るように思えて気が引けたが、そういった遠慮こそが、巡り巡って結局は、面倒なことを引き起こす――ずいぶん遠回りをしてしまったが、ようやくそれに気付けるようにはなった。他人に甘えること。最後には、それしかないのだ。人間は、ひとりでは生きられないのだから。
とにかく、あのリスみたいなやつを探してみよう、と自動ドアの前に立った彬は、深呼吸をしてから、もう一歩を踏み出した。