4.ひとつめの「ありがとう」(2)
まさか、彼女の口から元担任の話が出てくるとは思いもしなかった。一瞬、深雪が何の話をしているのか分からないほどだった。
「でもね、やっぱり断られちゃった。もうわからないって。結果的に事後報告なのは、先に話すと『余計なことすんなー』みたいに言われちゃうかなって。私も怒られるのが好きなわけじゃないからねー」
「あの……。わかってんなら余計なことしないで……」
「彬はそう言うけども、あれやっぱおかしいでしょう? ……なんか、嫌だなーって。うやむやーって感じだし」
余計なことをするな、とは言ったけれど、深雪がそんなことを気にしていたなんて意外すぎて、彬はどうしたらいいのか分からなくなる。てっきり面倒くさがっているものだと思っていたのだ。
「なんなのかなー、あのひとたち。すぐに話の論点を変えるんだから」
「……だからもういいんだって。無駄だから」
「無駄だから無駄だからって。彬、よくそれ言うけどね? 黙ってられないでしょうが。私、保護者だよ?」
「……まあ、深雪のその気持ちは、その……」
有り難いとは思うけど、と続けようとしたセリフは、喉の奥から出てきてくれない。真剣な顔のまま自分を見つめる深雪は、一体何を考えているのだろうか、どういう意図があるのだろうか、そんなことばかり考えてしまう。よっぽどそちらの方をやめなくてはいけないと、頭では分かっているのに。
「ん? 聞いてる?」
「……聞いてる。そんなの、かなり今さら……でしょ。相手、もう卒業してる」
「うん……。でもね。すごく今さらかもしれないけど。私、失敗したなとずっと思ってて」
「失……敗?」
「そう。あんなに謝ることなかったよねーって。もちろん謝るのは仕方ないけども。わぉ、ケンカ? 元気元気ー、くらいでよかったんじゃないの? って思うの。ちゃんと『うちの子の言い分聞けよ!』って、はっきり言えばよかった。やっぱどうしても親としては不十分なんだ」
「わぉ……って、なに……」
「いやいや、言わないよ? 空気感の話」
彼女の言う『空気感』がどういうものなのかは知らないが、自分のやったことが、笑って許されるものではないことくらい、彬は分かっている。下手な気休めはやめて欲しかった。
「元気、ですむ話じゃない」
「そうだけどね。片方だけが悪いなんてあり得ないよ?」
「……おれだって悪かったんだ。態度悪いの直せないんだから」
「……そういう話だったの? あんたの態度が悪いからって、ああなったってこと?」
「いや、とにかく……。とにかく、もういいんだって。そういうこと、もうしないでください」
投げやりに言って席を立とうとした彬に向かって、深雪は「ちょい待ち!」と声を上げ引き留める。仕方がなく、彼は再びイスに腰を下ろす。
「あとね、すごく誤解されてるような気がするんだけども……私はそれなりの覚悟を持って彬を引き取ったんだからね。これくらいのこと、なんとも思ってないからね?」
「それって……兄貴の代わりに罪滅ぼししてんでしょ」
薄ら笑いで言った彬に、深雪はぎょっとしたような顔をこちらに向ける。その視線から顔を背け、目を伏せた。
言ってはいけないことだと分かっていたが、でも言わずにいられなかった。そうとしか思えないのだ。それでなければ、深雪が彬を引き取る理由などないわけだから。
「……そう。うちの兄貴がバカみたいに……ねぇ、いい機会だから話しておくけど──」
「いいです! 聞きたくもないですから!」
深雪の言葉を遮って、今度こそ彬は席を立つ。