3.藤棚公園(3)
彬はまるで予想もしていなかった。いつも笑っておどけている英明にそんな悩みがあっただなんて。
「ふぅん……」
取り敢えず、そう呟くが、他に何と言えばいいのだろうか、と考える。理解が出来るような、そうでもないような、とにかく唸ることしか出来なかった。
「なんだろうなあ。伝授してやろーみたいなさ、偉そうには言ったけど、別に、おれが彬に言えることなんかなんもないんだよねホントは。おれがやってるようなことって多分、とっくに彬はやってると思うの。だから、さっきも言ったけど、諦めろって話。怒ったってなんも変わんないじゃん。自分、疲れるだけだし。彬はキレてて、おれは笑う。多分、その差しかない」
「深すぎて私にはわからないわ……」
あんぐりと口を開けた千鶴が、緩んだマフラーを巻き直しながら小さく呟いた。さして寒くもないのに、彼女はもうマフラーをぐるぐる巻きにしていた。
「それっていいじゃん! 千鶴はそのまま楽しく本気の朗らかさで生きててほしい」
「……なんかバカみたいだなあ……それって」
「いや、褒めてんだよ? 家が和やかなのも才能だぜ?」
「私の才能じゃないじゃん」
「そんなことはない。千鶴の家がうまくいってるのは、千鶴が頑張ってるからだろ。弟、何人いるんだよ」
「え? ふたりだけど」
「妹は?」
「……ふたり」
「いや偉いだろ! それを束ねてんだぞ、千鶴は。今どき、恐ろしい人数だぞ?!」
「……まぁそうだけど。でも、家にいる姉ちゃんは私しかいないってだけじゃない」
「だからね? そういうことなの、みんな頑張ってんだからそれでいいの」
何だか満足げにまとめた英明は、彬に向かって「な!」と、にっこり笑う。どうにか微笑みのようなものを浮かべた彬は小さく頷いた。何だか、自分がとてつもなく小さく感じられて、少し苦しくなる。ただ、周りの幸せを羨んで、当たり散らしているだけじゃないか、彬は下唇を噛んだ。
誰だって多少は大変だ、などとユイに言ったのは自分だった。それなのに、いざ思い返してみれば、周りの無邪気な存在には牙を剥いてきたのだ。おまえらには何も分からない、と。決してそうとは限らないのに。
「もう飯かー」
クンクン、と辺りの匂いを嗅ぎ始めた英明がぽつりと呟いた。千鶴の家は団地だ。この公園は、団地に囲まれている。窓がたくさんあるからか、美味しそうな匂いが辺りに立ちこめているのだ。身体をひねって、公園の時計を見上げていた英明は、続けて独り言のように口を開く。
「帰ろうかな、おれ。今から帰ると七時過ぎか……。ばあちゃんかわいそうだから買い物行ってこなきゃいけなかったのに、忘れちゃってたよ」
「……あ、そっか! ヒデは家遠いのに……ごめん!」
「いやー。寝てたのおれだし。風が気持ちよくて居眠りしちゃったぜー。駅でまず電話してから帰るわ。んじゃ、また明日な!」
口調はのんびりしていたが、実は焦っていたらしい英明は、あっという間に帰って行った。