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2.それぞれの約束の守り方(2)

 それにしても、学ランの詰め襟が苦しい。制服が苦手な彬はそれを脱ぎ捨てると、自分の机の上に放り投げる。その机の中から、見直そうと思って部屋から持ってきた、力ずくで終わらせた夏休みの問題集がはみ出していた。力ずく、というのは、真っ白だった課題たちを無理やり終わらせた、という意味だ。


 帰宅して、始業式までの残り日数は、二日間。普通に解いたなら、到底終わる量ではなかったが、何も書かずに出せば嫌みのひとつも言われるだろう、と何でもいいから空欄を埋めた。思わずマスターには『課題は終わらせてある』などと口走った彬だったが、実際には何も終わっていなかったのだ。その机からはみ出た問題集の存在は、自然と先日の担任との面談を思い出させた。


 志望校名を告げた彬に向かって、担任は微かに笑った。おれでも笑うわ、そう思いつつ、担任の顔を見つめ続けた。すると、彼は改めて顔を引き締め、中間試験の結果一覧を見ながら、適度に思いやっている風の言葉を投げつけてきた。


『今のままだと……厳しいな』


 そんなことは、彬自身が一番よく分かっていた。だから、頑張ろうとしているのだ。やってみなければ分からないだろ、そう思った彼の口から、自然と声が出た。


『やるしかないんで』


『うーん。それに、井沢の場合、内申がな……』


『……あれですか、殴ったからですか』


『まあ、それもあるんだが。あとは、出席日数とかな……』


『夏休み明けてから、休んでません。これからも休みません。勉強はもっとやります。なんとかします』


『なんでそんなにこだわるんだ? 別に少しランク下げても──』


『どうしてもです。内申は……握りつぶせませんか?』


 何とも物騒な言い方になってしまって、一瞬、失敗したな、と思った彬だったが、取り敢えず彼の出方を待ちつつ、担任の手元の資料に視線を落とす。その点数たちは、確かに最低ラインではないが、決して良くはなく、微妙なものだらけだった。気の弱そうな担任は、困ったように笑って『握りつぶすって、おまえ……』と頭を掻いた。


『別に、私だけで内申点を決めてるわけじゃないんだよ』


『じゃあ、どうしたらいいですか。学年一位でも取ればいいんですか?』


『まぁ……な。それだけ上がれば、他の先生方も折れるだろうけどな。さすがに無──』


『わかりました。……僕、帰ります』


 まだ何か言いたげな言葉を遮り、言い放って席を立つ。そんな彬を見上げ、彼は驚いたように顔を上げたが、彬はそのまま教室をあとにした。難色を示した担任が『まぁな』と言うのならば、彬は承諾せざるを得なかった。ユイとした約束を守るために必要であるのなら。律儀な彬は、一度してしまった約束を破れなかったのだ。


「バカじゃねぇの……。学年一位とか……ありえねぇよ」


 虚ろな瞳で見つめていた問題集を、机の奥にしまったあと、彬は静かに呟いた。多少、記憶力に自信があるとはいえ、毎回ランキングに名前を連ねている、勉強が得意な常連たちを容易(たやす)く抜き去れるなどとは、彬だって思っていなかったのだ。


「……やるしかないんで、か」


 自分の吐いたセリフに嘲笑が浮かぶ。あれは己を焚きつけるために言ったにすぎない。それでも "やるしかない" のだろう、ということを彬は分かっている。見合わない学力の高校に行きたいと思うのは彼自身で、誰に強要されているわけでもなかった。それが苦しい状況になっているのも、自分のせいでしかないのだから。


 ふと時計を見上げると、終業の時間まであと三分程度しかなかった。早く技術室に戻らなくてはいけない。分かってはいても身体が重く、動きたくなかった。それでも投げ捨てた学ランを無理やりに掴む。冬服に衣替えされた今の時期は、これを着ていないと校則違反だった。見つかったなら、また評判が下がってしまう。夏休み前の彬であれば、そんなことを気にすることもなかっただろう。


 しかし、今は編入当初の模範生に戻らなければならない理由があるのだ。たとえ嫌だとしても、靴だって指定のものに戻した。これだって着なくてはならない。彬は唇を引き上げると、学ランに袖を通しながら、すっと机を離れた。休憩はもう終わりだ。

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