2.それぞれの約束の守り方(1)
「ねぇねぇ、あのクラブのニュース、見た?」
「あー、あれでしょ? クスリの?」
「そうそう、今そればっかじゃん?」
「もう飽きたよねー」
クラスメイトの女子ふたりが話しているのが耳に入って、彬は静かに目を閉じた。
今は技術の授業中だ。ハンダごてを持つ指がいうことをきかなくなる。彬は一度、スタンドにそれを戻し、額をさすった。
そのニュースの一報が入ったのは、冬の気配が近付いてきた十一月の始め頃だった。新宿のダンスクラブの内部で、様々な薬物が違法にやり取りされていたことが、かなり大きな事件として報道されていた。
そのクラブとはマドティのことであり、恐らく関係者の末端であろう彬は、警官が自分の家にやってくることも覚悟していた。しかし、いつまで経っても自宅のドアは叩かれることなかった。落ち着くことが出来ない彬と共に、ただ時間だけが過ぎていく。そんな日々の中、突然に週刊誌が関係者の話、としてスクープをすっぱ抜いたのは、先週のことだ。
その記事によると、クラブCの告発をしたのは、八月に自殺を図った女子高生だ、という。それは "自らの命と引き換えに、社会の闇を公にした女子高生" と、ある意味センセーショナルに扱われた。ワイドショーが次々とそれに飛びつき、長いこと騒ぎ続けている。
「でもさぁ、すごくない? 死ねないよね、普通」
「だよねー。なんか脅されてたりしたんじゃない? ヤバいやつが彼氏とかでさ」
「ってか、なんでその子が告発したってわかったんだろうね」
「知らなーい。前から調べてたとか? 家族が訴えたとか? ……なんでもいいんだけど、このハンダづけってさ、なんの役に立つのかな。こういうのやるのかな、大人になったら」
「しないでしょー。意味ないやつだよー」
女子たちの会話は続いていく。
こんな状態では、彬が作業に集中出来るはずがなかった。息をついて諦めると、そっと席を立つ。こちらに一瞥をくれた教師に「トイレ、行ってきます」と告げると、返事も聞かずに技術室を後にした。
◇◇◇
彼女たちの話題にあった週刊誌については、彬もコンビニで立ち読みをした。ユイについて何か知ることが出来るかもしれないと思ったからだ。だが、いくらそれ読んでも、結局よく分からないままだった。その情報を週刊誌に持ち込んだ "関係者" が誰なのかも明かされてはいなかった。紙面上に詳細が載らない──そんなことは雑誌を読む前から容易に想像が出来た。それでも、何だっていいから、と彬は週刊誌に手を伸ばしたのだ。
分かったことといえば、マドティで売りさばかれていた薬物の一部の出所が、裏で繋がっていたホストクラブの顧客からだった、ということだけだ。虚偽の病状で病院にかかり、手に入れた処方薬をホストに貢ぐ。そういったことが、あの界隈で起こっていたらしい。
逮捕された人間も多数いるようで、その中にはユイを自分の女として扱っていたというマサヤらしき名前もあった。クラスメイトたちが言っていたように、ユイはどうやって告発をしたのだろうか。そういった謎は何も解けていない。だが、彬にとってはそんなことは、どうでもいいことだった。
自分との約束を、ユイは守ろうとしたのかもしれない。彬は何となく、そんな気がしていた。彬の望んだ形ではなかったにせよ、確かに、彼女はあの店から離れたのだから。
──ユイを追い詰めたのは自分なのではないか?──
いくら考えないように努力をしても、ふと気が付けば、頭の中をその後悔が駆け巡る。『マドティから離れろ』などと、安易に告げたのは自分だった。そう思う度に、彬の胸は痛んだ。
何となく歩いて、たどり着いた自分のクラスは移動授業の最中だ。当たり前に教室の中には誰もいない。その開きっぱなしの窓から、彬はグラウンドを見下ろす。何年生かは分からないが、体育の授業中らしい。口々に何かを叫んでいる生徒たちを、彼はぼんやりと眺めた。