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9.いなくなった猫の名前なんて(2)

 そして、何だか頭が動かない、とぼんやり思う。普段通りなら、必要のない気持ちを "仕方ないし" と無視することが出来た。少なくとも、今まではそうやって彼女は生きてきたのだ。しかし、簡単なはずのことが、今の瑠衣にはなぜか出来なかった。


 ──いなくなった猫の名前なんて……つけなきゃよかった──


 そう思った途端、急に喉の奥がぎゅっと痛くなった。本当は、もう泣くのは嫌だった。猫のライカがいなくなったときも、航がいなくなったときも、瑠衣は泣きたくなんかなかったのだ。それは、何かに負けるような気がしていたからだった。今回も負けてしまうのだろうか。そう思うと、悔しいな、という言葉が瑠衣の胸に、はっきりと浮かんだ。


「なによ……どうしたかったっていうの?! ……自分で決めたんじゃない!」


 無性に腹が立った瑠衣は、目の前にあった電話帳を両手で掴んで、玄関のドアに投げつけた。ゴガァンと、大きな音がして、分厚い紙の束がスニーカーを押し退けて落ちていく。


 突然、物など投げたせいで、腕が痛んだ。あちらこちらをへし曲げながら、ぐちゃぐちゃに開き、床に落ちている電話帳は、見るも無惨で、どこか悲しげだった。

 それを呆然と見下ろしていた瑠衣は、身体の力が抜けていくのを感じ、しゃがみ込んだ。


 何が辛いのかも分からない。この気持ちが、悲しみなのか怒りなのか、それとも無念さなのか、瑠衣には判断が出来なかった。だが、堪えきれそうもない涙を流してしまいたくなる。どうせ誰も見ていないのだから、どうだっていいと思えた。


 だから、大声を出して瑠衣は泣いた。子供の頃でも、こんなに泣きはしなかったじゃない、とおかしくなって、いつの間にか瑠衣は泣きながら笑っていた。カットソーの袖がびしょ濡れになった頃、瑠衣はやっと、考えていたよりも自分が色々と我慢をしていたことに気付いた。


 他人を好きになることも、自分に正直になることも、ずいぶんと長い間忘れていた。――いや、忘れようとしていたのだ。


 目を伏せると、残っていた涙が床に落ちていった。呼吸が落ち着く頃には、頭の痛さのわりに、すっきりした気分になっていた。

 手紙を読んだあと、ライカの本当の名前の存在に、殴りつけられたような気分になった。知らないひとのように思えたのに、手紙の中のライカは、瑠衣の知っているライカのままだった。それが辛かったんだろうなと瑠衣は思う。もう会うこともないだろう。その現実がはっきり分かった。


「アイライン……濃く描いてなくてよかったな……」


 袖を見下ろしながら、瑠衣は呟いた。今までのように、濃いアイメイクをしていたら、彼女の袖は真っ黒になっていたに違いなかった。いつだったかライカに『子供っぽくなるからなに? 別にそのままでいいじゃん』 と言われてからは、瑠衣のアイラインはだいぶ控えめになっていた。そういったことを何も気にせず生きていけたなら、自分らしさとは何なのかを思い出せるのではないか、と思ったのだった。


「私らしい……か」


 鼻をすすると、彼女は立ち上がる。心から買いたいものが見つかったからだった。

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