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8.はじめから決まっていた別れ(2)

 瑠衣はそれをそっと開く。間に挟んであったのは、ライカが持って来てしまった、あのマリーゴールドの花だった。枯れる前に、瑠衣は一輪だけ、押し花にしておいたのだ。

 そんなことをするのは小学生ぶりだった瑠衣だったが、思ったよりもそれは綺麗に平らになっていた。


 それは、あのとき――まだ花が美しかったとき、思い付きでやったことだった。一瞬、頭をよぎった "枯らしたくないな" という瑠衣の思いを、ただ行動に起こしたまでのことだった。


 普段の瑠衣なら、供えられていたものを押し花になどしない。でも、この夏は全てがおかしかった。おかしなことがひとつ増えたところで何とも思わなかったのだ。引き抜いた新聞紙を、そっとテーブルの上に置き、電話帳をパタンと閉じて、積み上げた雑誌の上に乗せる。


 心に決めていた通りに、瑠衣はライカに自分の気持ちを伝えなかった。それが一番、自然なことだ、そう思ったからだった。ときが来たら、全く関係ない人間同士になるのは、出会ったときから決まっていたのだから。もし、瑠衣が少しでも "まだライカと一緒にいたい" などと、狂ったことを思っていたとしても、それは彼のためになるはずはない。ライカの未来を考えたとき、自分はもう必要ないし、出来ることもない、そう思ったのだ。だから、瑠衣は何も言わなかった。


 何か食べようと、冷蔵庫を開けた瑠衣は、ため息を漏らす。中身が空っぽなのだ。思い返せば、買い物に行くという行為自体をすっかり忘れていた。モモの缶詰の奥に、小皿が入れっぱなしになっていることに気が付き、それを引っ張り出した瑠衣は「あら……」と呟く。


 それは、ライカにおかゆを作ったときに刻みすぎた、長ネギの余りだった。手のひらの上の、すっかり干からびてしまったネギを見下ろし、それをビニール袋に捨てた。なんだか申し訳ないことをしたな、と思わず「ごめんね、ネギ」と謝った。


 返事が来ないものに話しかけると、急に寂しくなり、それと同時に何とも情けない気持ちになる。事後報告とは言え『航を見つけるから』と母親に息巻いたのに何も出来ず、ライカにも何も言わず──ただ、実家に帰るのだ。果たして、今まで生きてきて、自分の感情を貫き通したことなどあっただろうか、と瑠衣は考えた。いくら考えても、それは皆無に等しく、虚しさしか残らない。


「はぁ……。私ってなんなのかしら」


 ため息を吐いた瞬間、玄関のドアがガンガン、と叩かれ、瑠衣の肩がビクッと揺れる。それは、誰かが訪ねて来ることなんて滅多にない彼女の部屋には似合わない音だからだ。


「はーい?」


 小さ過ぎてよく見えないスコープを覗いていた瑠衣の耳に、ドアの向こうから男の声が届いた。


「蜂谷さん? 書留(かきとめ)でーす」


「……書留?」


 瑠衣は首を捻りつつ、玄関のドアを開くと、彼は「蜂谷瑠衣さん、ですよね? ご署名お願いします!」と元気よく言う。


「はぁ……。これってなんですか?」


「現金書留です」


「……現金?」


 そんなものが届く予定があったかと、瑠衣はさらに首を傾げる。しかし、立ち尽くしていた郵便配達の男が、ぐいと封筒と伝票を突き出して来たことで、我に返った。


「判子じゃなきゃダメでしたっけ?」


「いえ、サインで大丈夫です」


 彼が流れ作業の滑らかさで、ボールペンのペン先を出して差し出した。まあすごい、と思わず感心しながら受け取り人のところに名前を走り書くと、彼は伝票だけを引ったくり「どもー」と言って去っていく。


「現金書留……ねぇ」


 ドアを閉じながら、封筒の裏を見ると、瑠衣がまるで知らない住所と、聞いたこともない名前が書いてあった。


「…………誰?」


 しかし穴が開くほど見つめたところで、知らない名前は知らない名前のままだった。開けてみなければ分からない、とのり付けをバリバリと外そうとした瑠衣は、ライカに『オッサンみたいだ』と言われたことを思い出した。


「ハサミ……。どこやったっけ?」


 引っ越しの支度のせいで色々なものをどこに置いたのか分からなくなっていた瑠衣は、結局「なんでもいいか」と呟いて、ライカ()わくオッサンみたいな開け方で、割り印がされた封筒を開けた。中には現金書留らしく、一万円札と五千円札の二枚入っていた。しかし、同封されていたルーズリーフを切り取ったような紙が異様な存在感を放っていて、瑠衣は眉をひそめる。


「なにこれ。……奇妙すぎる」


 そうは言っても読んでみるしかなさそうだった。この紙が爆発するとも思えないし、と三つ折りにされている紙を開く。


「…………えぇっ?!」


 出だしに目を通した彼女の口から、叫び声が飛び出した。知らない名前は、先日までここに住み着いていた彼のものだと、瑠衣はやっと知ったのだった。


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