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7.夏の残り香(2)

 マスターの趣味については、長年店に勤める瑠衣ですら知らなかった。彼がカウンターにいるとき、どんな話をするのかは、ライカを通して認識したようなものだったからだ。


「なんか……ごめんね……」


「なんで瑠衣が謝るんだよ」


「わかんないけど……。きみの年齢にこのプレゼントじゃ、詫びたくなるよ」


「マスターカワハラっぽいじゃん」


 ライカはフィギュアを取り出すと、空箱とプラケースを瑠衣に渡しながら、しかし微かに笑って「でも、ちょっと嬉しいかもしれない」と呟いた。


「えっ?!」


 そういった発言を予想もしていなかった瑠衣は驚いて声を上げた。緑色の耳を撫でながら、彼はぽつりと「……映画、観ないとな」と、呟いた。


「マスターカワハラは……もしかして、おれをジェダイにしたいのかな?」


「さ、さあ? どうだろうね?」


 そう聞かれても瑠衣にはさっぱり分からなかった。この餞別に、何かしらのメッセージを込めているんだろうなとは思ったが、それは瑠衣が計り知れることではなかった。

 戸惑う瑠衣が顔を上げると、ちょうどライカが紙袋を広げたところだった。それは先日『何か持って帰るなら使って』と渡しておいたものだ。彼はどんどん定位置に溜まった自分のものを袋に詰めていく。溜まった、といっても大した量ではなく、帰り支度などすぐに終わってしまいそうだった。

 ふと目に入ったのか、崩れていた本を積み直すライカに「それ、適当でいいわよ?」と言った瑠衣だが、彼はそれには返事をせず、背表紙の向きをそろえて整えていく。


「ライカってホント、几帳面だよね」


「汚いよりはきれいな方がいいっしょ。……ところで、もらうのって服しかないかもしれない。古着の古着は売りづらそうだし。本はまた売ってくれない?」


「え。本、持ってかないの? 楽しそうに読んでたのに」


 たたまれた服を次々に袋に入れていくライカを眺めながら、瑠衣は声を上がる。てっきり持って帰るものだと思っていたのだ。


「うん。重いし、だいたい覚えちゃったからもういらない」


 しれっとそう答えたライカに瑠衣はさらに驚いた。彼女は同じ本を何度も読み返すタイプだった。それに『覚えたからいらない』といった趣旨の発言自体、初めて聞いたのだ。この子、何者なんだろう、と瑠衣の口からうめき声が漏れた。


「覚えちゃったって……。どういうことなの」


「一字一句覚えたわけじゃない。だいたい、だよ。言葉の通りそのまんま」


「すごいなぁ。私には出来ない、覚えるとか」


「……瑠衣だってピアノ覚えてるじゃん。楽譜なんか見ないくせに」


「見なきゃ弾けないものもあるってば」


「おれだって、覚えられないこともある。だからすごくはない。そんな細かいことじゃなくて、もっとすごいの欲しいな。フォースとか。どこに行ったら修行出来るんだろう。フォース使えたらすごく便利そうじゃん」


「……え。宇宙のために戦いたいの?」


「まあ……マスターの話みたいに、そうなっちゃったらやるしかないんだろうけど、別に戦いたくはない。そうじゃなくて、もっとなんかこう……普段使える……」


「フォースの普段使いってどういうことなのよ」


「まぁほら……。なんでも寝っ転がったまま、取れるじゃん。……便利だろ?」


「そういう使い方するの?!」


「……今んとこ、それしか思いつかない」


 そう言ったライカは大事そうにフィギュアを服の塊の上に乗せた。袋からはみ出したヨーダが険しい顔でこちらを見ているさまに瑠衣はどうしても笑ってしまう。これを嬉しいと言うなんて、男の子ってちょっと分からない、と思う。荷物をまとめ終えたライカは立ち上がると窓を開ける。外からすっと朝の冷えた空気が入ってくる。


「急に涼しくなったよね。夏がどこかに行っちゃったみたい」


「……もう夏休みも終わるし。夏は終了だよ」


「そうね……。ところで、いつ帰るの? 今日? 明日?」


 このまましんみりしているのも嫌だと声のトーンを上げる。そんな瑠衣の問いかけに「帰る日か……」と呟いたライカだが、特に悩みもせずに口を開く。


「明日の夕方か夜……かな。深雪って遅い時間じゃないと帰って来ないから。おれ、鍵持ってないし」


「深雪って……誰?」


「叔母さん」


「えっ?! 叔母さんを呼び捨てしてるの?!」


「そう呼べって言うんだよ。オバサンって言われるの、嫌なんじゃない? 若いから」


「へぇ……。本当に色々あるのね……」


 そう呟いた瑠衣は、数日前にライカの帰宅先について聞いたときのことを思い出した。彼は飛行機ではなく、電車で帰ると言っていた。先日マスターに言った『北海道』というのは、出身地の話で、今の住居は東京都内だ、と。

 ライカがすんなり話してくれることを嬉しいと思っている瑠衣だが、やはりまだ慣れておらず、いちいち「えっ」と言ってしまう。


「色々あるけど、ちゃんと帰るから。それは心配しなくていいよ」


 ライカの声で我に返った瑠衣は「明日か、明日ね」と繰り返し口にする。それを不思議そうな表情で見つめる彼に向かって、瑠衣は精一杯の笑顔を浮かべる。


「じゃあ……明日の出勤のとき、お見送りするよ」


「いいよ、大丈夫だから。ひとりで帰れる」


 瑠衣の提案に、ライカは困ったような表情で頭をかく。思わず見送るなどと言ってしまった瑠衣だが、確かに今のライカならひとりでも大丈夫だろう、と思えた。それでも、きちんと電車に乗るところを見届けないと不安だった。


「なぁに、泣いちゃうとか??」


 誤魔化すようにふざけて言うが、泣いてしまいそうなのは瑠衣の方かもしれない。人目があれば泣かなくて済む。だから改札口で別れたかった。


「泣かねぇよ。うるさいからもう……。寝ろよ」


 いつもの場所に転がったライカは「はぁ」とため息をついた。しばらく天井を眺めていた彼は、静かに目を閉じ「なんか今日、気疲れした。おやすみ」と言って動かなくなった。

 ライカは眠っているのだろうかと、覗き込もうとして、確認してどうするんだ、と瑠衣も横になる。ブランケットをあごまで引き上げたが、どうしても眠くならない。身体は疲れているはずなのにな、そう思うと寝返りを打った。

 

 夏が終わった──それはずいぶん前から気付いていたことだった。本当はそんなものは、とっくの昔に終わっていて、今は夏の残り香があるだけなのだろう。あっという間に過ぎていった夏と一緒に、彼はいなくなるのだ。

 そんなことを考えながら、寝付けずにごろんごろんと寝返りを打ち続けていると、不意に隣から声がした。


「瑠衣、起きてる?」


「ん?」


 黙っていようと思ったのに、瑠衣は反射的に返事をしてしまっていた。眠れない、などと言いたくなかった。だからわざと眠そうな声を装って「起きてるよ」と呟いた。


「色々、ごめん」


 返事に困って黙り込んだ瑠衣に向かって、ライカは小さな声で「なんか、ホントに……ごめん」と続けた。ごめんと言われても困ってしまう。だから彼女は口を開いた。


「……こういうときはね、ごめんじゃなくてありがとうって言いなさいよ。これまでを総括しても、謝られるようなこと、なにもなかったわよ」


「……うん」


「おやすみなさい」


 そう呟くと、それ以降、ライカはもう何も言わなかった。カーテンを透けて届く陽の光がいつもより眩しく思えてしまう瑠衣は、やはりいつまでも眠れなかった。


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