7.夏の残り香(1)
「ねぇ、これ。中身なんだろうね?」
瑠衣はライカがマスターからもらってきた箱を、ツンとつつく。それは、今日で勤務を終えたライカへ、マスターが渡した餞別の品だった。あの店にそんな文化があることを瑠衣は知らなかった。集金されたことがないわけだから、マスターが個人的にやっていることなんだろう、と思いながら、返事をしないライカを見やる。
「ねぇってばー」
「あーそれね。なんだろうな。箱デカいから、中身だけ持って帰ろうかな」
食後はゴロゴロしたい瑠衣が、思う存分寝転がっていると、ライカは無言で食器を洗い始めた。「起きたらやるから置いといてよ」と言っても、「あと何回やれるかわかんないし」と彼は譲らなかった。
「ねぇ。ライカってどうしてそんなに所帯じみてるの?」
「は?」
「皿洗いとか炊飯器とか」
「洗わないと皿は溜まるだけだし、炊飯器くらい使えないと米が炊けない」
「……まぁそうなんだけどね、そういうことじゃなくてね」
まぁ答えないか、と瑠衣は微笑んで、クッションに顔をうずめる。このまま任せてしまって寝てしまおうかとすら思った。ところが意外なことに、ライカは黙らなかった。
「おれの保護者……叔母さんなんだけどさ。あいつね、家事が下手なんだよ」
「……おばさん?」
「あぁ。おばちゃんって意味じゃなくて、叔母。父親の妹なんだけど」
「どうしたの……急にそんな話」
「瑠衣が聞いたんだろ、なんで所帯じみてるのかって」
「そうだけど……」
「おれだって別に、瑠衣にウソつきたかったわけじゃない。もう隠しておく意味もないし」
突然、自分のことを話始めたライカに、瑠衣は目をぱちくりさせる。出会った頃のライカはもうどこにもいないのかもしれない。『帰る』と言ってからライカは少しずつ素直になっていったように思えた。
「まぁ……。とにかく、なんかすんごいんだよ。あのひと」
「すごいったって。でもさ、私だってすごいじゃない」
「いや、瑠衣とは全然違う」
そう言うと、ライカは裏返した食器を器用に重ねてから手を拭くと、いつもの位置に座り込んだ。思い出したように、瑠衣の手にあったマスターからの餞別を奪ってセロテープを丁寧に剥がし始める。
「なんだろう……。瑠衣の飯は食える……し、ちゃんと美味しい」
「食える、ってなに? 食べられないものが出てくるの?」
「まぁ……食えなくはないけど……。本人も気にしてるみたいだから言ったことないんだけどさ。あのひとが料理する度になんか燃えるし……買ってきて、って感じ」
「燃えるんだ……」
「燃えるね。料理中、うっかりひとりに出来ないレベル。……そうだな。魔物だ、あれは。出てきた魔物みたいな飯を、魔物みたいな顔で食ってるよ。……今、気づいたんだけど、おれ……すごい不満なんだな。なんか……びっくりするくらい、スルスル言葉出てくる」
大事に大事に包装紙を剥がしながら、ライカは小さく笑う。思い返せば、一ヶ月半前に比べたら彼はずいぶん笑うようになった。表情は乏しくとも、ないわけではなかった。そういうちょっとした変化も、瑠衣にとっては嬉しいことだった。そして、保護者との関係も思ったよりもひどくはなさそうだ。
本当はどうなのかは分からなくても、笑って話せるようなことがあるのはよいことだ、と瑠衣は口を開く。
「……仲いいんじゃないの。もっと険悪なのかと思ってたわ」
安堵した瑠衣の声色に、手を止めたライカは眉をひそめて首を傾げ、何やら難しい顔で考え始める。その様子がおかしくて、瑠衣は吹き出した。
「なんでそういう顔になるのよ」
「……仲いいのかな、と思って。まあ……嫌いとかではないんだけど」
「そういうのを、世間では仲良しっていうのよ。うっかりひとりに出来ないんでしょ? ライカ、後ろで見張ってるんでしょ?」
「いや、見張ってはいない。見てるけど」
「もぉ。いったいなんで家を出てきたのよ?」
思わずそう問いかけて、瑠衣は口をつぐんだ。答えなくていいよと続けようとすると、切なそうに笑ったライカが口を開く。
「説明するのも面倒なことがいっぺんに起こって、鬱憤溜め込んだら、こうなっちゃった」
「それって反抗期じゃないの?」
「あぁ、よく聞くよね。反抗期」
「ホント……なんか普通でよかった。安心した」
「……うん」
ライカは頷いたが、裂けてしまった最後のセロテープに気を取られているようだった。躍起になって小さくなった端っこを爪で引っ掻いている。その様子を見ていた瑠衣は、思わず呟く。
「そこまで終わったなら、もうバリバリバリー! って開けちゃえばいいのに」
「もう取れるよ。……やっぱ瑠衣ってオッサンみたいだな」
「だから、ひと言余計だって言ってるでしょう? ……プレゼント、なんだった?」
問いかけた瑠衣だが、包装紙の奥から想像もしなかったものが現れ、ふたりでしばしそれを見つめる。淡々と眺めていたライカが、あごをさすりながら静かに口を開いた。
「なんだか……コメントしづらいな。これ、スター・ウォーズのだよね?」
「多分、そうだね……」
それは一般的にいう、ビニール製のフィギュアだった。どうりで箱が大きいわけだ、と瑠衣は納得した。それにしても、真顔のライカがフィギュアを持っているのは何だか滑稽だった。
「ヨーダって書いてある。……これがヨーダか。なんかさ……あのひと、心の底から美しいまでにやられてるんだね。徹底しててホントにすごいと思う」
「ははは……」
瑠衣は苦笑いを浮かべるしかなかった。