6.やっかみ(2)
「おれから見たままのことを、真面目に言っただけだけど」
「……あはは。……なんかホント……大人よね。でも、ありがとう」
「いや、別に」
首を振りながら目をそらしたライカが、本心で慰めてくれていることが、痛いほど伝わってきて、何だか切なかった。どうしてそういうことを言うのだろう、と思ってしまうほどに。
「なんか……おれは逆かな。そういうの、もういいかなって思っててさ」
黙り込む瑠衣の隣でライカは思い出したように口を開いた。「……孤独でいいよ。孤独に死にたい」と続けて呟く彼の顔には貼り付けたような笑みが浮かんでいる。誰も得をしないこの恋愛話を終わらせるべく、ライカの肩を押しやった瑠衣は茶化したような声を出す。
「またそんな言い方! ライカって、大人っぽいを通り越しておじいちゃんみたいじゃないの。……いくつなのよ。八十歳くらい?」
「…………十四歳だよ」
数秒黙ったライカが、するりと年齢を言う。あんなに隠していたというのに、あまりにあっけなかった。しかし、その言い方は嫌がっているようでもなく、瑠衣も自然に「そうなんだね……」と返す。
「……だいたい合ってたけど、思ったより若かったわ」
「だと思った……」
「来年、受験なのね。大変じゃないの」
「うん。まぁ……いまいち、わかってないけどね」
「私だってわかってなかったわよ。そうか……中学生かぁ」
十四歳。それは何だか遠い昔のように思えた。あの頃の自分は、こんな私を想像していただろうか、と考える。二十五歳といったら、もうすっかり大人のはずだった。しかしいざその年齢になってみたら、ちっとも大人ではない気がする。不器用さは十四歳の頃より悪化しているように思える。
そんなことを考えながら、グルグルと描き続けていた足下の丸は、ついには黒く塗りつぶされた大きな丸になってしまった。枝を投げ捨てた瑠衣は、パンパンと手をはたいて、はあ、とため息をつく。
「……これも飽きたな。ホントは落書きしたいけど、丸しか描くものが思いつかないや」
投げやりに言い捨てると「食いたいもんとか、描けば?」と、ライカがどうでもよさそうに言い返してくる。何よそれ、と思いながら彼を見つめると、ちらりとこちらを見て、付け足すように呟く。
「瑠衣って、よく食べるから」
「ライカが食べなさすぎなんじゃない」
「……ユイもよく食ってたっけ」
彼が切なげな瞳で彼女の名前を呟いた瞬間、何だか周りの音が消えたような気がした。そして瑠衣は気付く。勇気がなくて聞けないのではなく、聞きたくなかったのだ、と。それでも、知りたいと思ってしまう。そんな瑠衣のほつれた三つ編みの毛束を、すっかり日も落ちた夜の風が、揺すって頬をくすぐっていく。それを押さえ、彼女は静かに息を吸い込んだ。
「ライカって……その、ゆいさんとはどういう関係だったの?」
震えるような気持ちでいる瑠衣に気付いてもいないであろうライカは、後ろ髪を掻き回すとパチパチとまばたきをする。そして困ったように「んー」と唸ったあと、小さく息を吐いた。
「……好きだった、ひと?」
「そ……っか。そうじゃないかなと思ってた」
聞くまでもなく、そういう予感はあった。過去形で言ったライカだが、ちっとも過去になどなっていないに違いない。そう思った途端、顔がどんどん引きつっていくのが自分でも分かってしまった瑠衣は、必死で何でもないふりをする。
「あの子……やっぱり彼女だったんだね」
「彼女……。どうなんだろ。形とか、どうだっていいっていうか。あいつが好きだって言って、おれも好きだって言った。そんだけのこと」
「どうだっていい……か」
瑠衣はよく、ライカに対して ”大人っぽい” と感じていた。もちろん、いい意味でだった。しかし、その ”大人っぽい” というものは、果たして褒め言葉なのだろうか。もっと無邪気に好きだ嫌いだとふざけていてもいい年齢のはずの彼が、大人のような顔をして『孤独に死にたい』などと年寄りのように悟りきったことを言うのだ。その様子は、瑠衣の胸を痛めつけた。どうして、そんな思いをライカがしなくてはならないんだ、とすら思う。しかし、そんなことを言ってどうなるんだ、と瑠衣はぎゅっと膝の上の手を握りしめる。
「好きだったんなら、辛いね……」
「なんか……辛いというよりは……消したい。でも、消しちゃったら……そんなことしたら、ユイがかわいそうだろ」
「……ライカって優しいね」
「優しくはない」
何だか怒ったような顔をしてそう言い返してくるライカは、自分の感情よりも相手の気持ちを大事にするらしい。心の中の彼女と一緒に生きていくつもりなのだろう。そう気付くと、彼女を羨ましく思ってしまう瑠衣だったが、その醜い感情をどうにか抑える。こんなものは、ただのやっかみだ。そう思い、何でもないように装うのは、瑠衣の意地だった。
とにかく気を逸らそうと立ち上がると、側にいた狛犬の鼻を撫でる。そしてこの子はいつからここにいるのだろう、と何となく考える。どれ程の間、じっと動かず人間を見ているのだろうか。こんな風に微妙な距離の人間たちを。私は本物の大人なんだから、と気持ちを切り替えるべく、こっそり深呼吸をした瑠衣はライカに声をかけようと振り返る。努めて明るく、悟られないように笑顔を作る。
「彼女、幸せ者だと思うな」
「……幸せかどうか、なんて……おれにはわからないよ」
伏し目がちになった彼のまつげが、発電機に繋がった簡易ライトに照らされて、影を落とす。しばらく唇を結んでいたライカは、何かを諦めたように空を見上げた。
「もし……もしさ、本当に幸せだったんなら、あいつ、死ななかったんじゃねぇかな。おれじゃダメだったから、いなくなった。だから、そんなの──」
「だったら! ……だったら、ライカが幸せになればいい。その子の分まで」
どうしようもなくカッとなった瑠衣は、彼の言葉を大声で遮る。 ”そんなことで――勝手にいなくなった子のことで、そんなに落ち込む必要なんかない” そのひと言はぐっと堪えて飲み込んだ。彼にとって彼女のことが "そんなこと" ではないのだろうということは、ライカの落ち込みようを見ていた瑠衣には分かっていたからだ。じっと考え、何か言いたげな顔をする彼に、瑠衣はたたみかける。
「そうするしかないじゃない。そうでしょ?」
「…………うん」
納得していない様子のライカの頭を、ぽんぽんと叩く。それが何の慰めにもならないということは分かっていても、そんなことしか瑠衣は思いつかなかったのだ。「なんか、ごめん」と呟いたライカに笑顔を向け、今度こそ話題を変えよう、と瑠衣は口を開く。
「……で! 納涼祭りは堪能した?」
「うん。やりたかったことは、全部やった」
「そっか。じゃあ、帰りましょ」
彼が一体、何をしよう思っていたのか、そして何を達成出来たのかは全く分からない瑠衣だったが、ライカが満足しているならそれでいい。そう思いながら、歩き出そうと方向を変えた途端、草履の足下に痛みが走った。見下ろすと右足の、鼻緒のところが擦れてしまっている。
「ほら、行こう」
ライカを促しながら、密かに足に衝撃がかからないように動かした。家までの距離なら大丈夫だろう。瑠衣は一歩前へと、歩みを進めた。