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6.やっかみ(1)

 ぼんやりと何かを考えているらしいライカを覗き込み、瑠衣は、「また難しいこと考えてるの?」と声をかける。それに気付いた彼は、少し躊躇(ためら)ったように「うーん」と唸る。


「……瑠衣はこれからどうすんだろなって考えてた。まだ弟を探すの?」


 そんなことを聞かれるとは思っていなかった瑠衣は、面食らってしまって「えっ」と言ったきり、しばらく何も答えられなかった。しかし、なぜそう問われたのか、見当は付いた。きっと彼は知っているのだ、瑠衣が新聞すらも見なくなったことを。あのとき──航の話をした日、瑠衣はライカに自分が新聞を見ていた理由を教えた。以前から『なんでいつもこれ、読んでるの?』と聞かれていた。その度に『色々よ!』と言って誤魔化してきたけれど、何だかそれも疲れてしまっていた。


「んーっとね……決めてはいないんだけど……。もう潮時かなって思うことが増えててね。もう、あの子には会えないんじゃないかな。もし会えたとしても、それはこの街じゃない。多分ね」


「……そっか」


「だからね、私……実家に帰ろうかなって思ってる……かな」


 瑠衣はついに口に出した。実家に帰る――ずっと迷い、避けてきたそのひと言を。思い切って言ってみたら、大したことはなかった。別に口にした瞬間に、息の根が止まるわけでもないのだ。「帰ってどうするのか、とかは考えてないけどね」と呟きながら、どうにも手持ち無沙汰な瑠衣は、足下に落ちていた木の枝を拾う。そして何となく地面に丸を描き始める。絵を描けと言われると取り敢えず、丸を描いてしまうくせが彼女にはあった。


「いいんじゃない? ……おれが偉そうに言うことじゃねぇけど」


「確かにライカに言われると、すごい違和感だわねー」


 自分の言葉に苦笑いするライカと、微妙な着付けのせいでずれてしまった、おはしょりを直す瑠衣と、並んだふたりの前を初々しそうなカップルが楽しそうに笑いながら歩いて行く。思わず「いいよなぁ、ああいうの……」と呟いてしまった瑠衣は、慌てて、いやいや、と打ち消そうとする。しかし、彼女が口を開く前に、ライカは虚ろな瞳で「なにが?」と瑠衣を見る。


「なにがって……。ちょっとどうなのかなって思うじゃない……? それなりに年を取ったのに、ちゃんとした恋愛すら出来ないなんて。なんか、お先真っ暗、って感じ」


「別に、恋愛してなくてもいいじゃん」


「ライカはそうでしょう、まだ若いんだから。私みたいなのはね、やっぱり不安になったりするし、焦るのよ。友達とか、みんな結婚していくし」


「そっか……。瑠衣はそういうのが欲しいんだ」


 隣でライカがぽつりと言うのが耳に届いて、恋愛の話などしたくなかった瑠衣の視線は落ちていく。 ”そういうの” とは、どういうものなのか、そう考えたとき『友達が結婚していくと焦る』という言葉は間違っている、彼女はそう思う。瑠衣が望んでいるのは結婚などではない。ただ、ちゃんと誰かを好きになって、好きと言いたい、それだけだった。


 また性懲りもなく、そんな簡単なことが出来ない状況に陥っているのだ。今までは好きだと思えない人間と一緒にいてばかりだった。そして今度は、好きだと堂々と言えない人間を好きになりかけている。認めたら終わりだ、と思っていた瑠衣だが、本当は分かっているのだ。ライカに対するこの気持ちは恐らく "恋心のようなものではない" と。


 そして、こんな風につまづいている原因は、全て自分で作っていることを瑠衣は分かっている。家を飛び出し、東京にやってきたのも自分、ライカを助けたのも自分。そしてまた、彼を意識してしまうのも、瑠衣自身だ。本当におかしいと、分かっていても、揺れ動いてしまう心は止められなかった。必死に勘違いだと思おうとしてきた。それなのに、胸の中のモヤモヤは日ごと増すばかりで、どうしたらいいのか分からない。しかし、何であろうが、このことは絶対にライカに言わない、ということだけ、瑠衣は決めていた。自分勝手にこの気持ちを伝えてしまったら、彼は困ってしまうだろう。そんな未来など、欲しくなかったのだ。


 そんなことを思う瑠衣の前を歩いて行く女の子たちは、みんな楽しそうだった。彼女たちと似たような格好をしていても、あの子たちが普通に持っているものを瑠衣は持っていない。浴衣など、出さなければよかった、と静かに思う。元々、これにいい思い出などなかった。着て欲しいと頼んできた男は、ただこれを脱がせたいだけだった。そんなことのために買ったわけではなかったのに――。


「なぁ、瑠衣ってどういう男がいいわけ?」


「えっ……。ど……どういう男だと思う??」


 突然のライカの問いかけにどぎまぎしてしまった瑠衣は、思わず聞き返してしまった。その妙な発言に、ライカは「おれに聞かれても……」と訝しげな視線を投げる。


「別に慌てるような質問でもないと思うんですけど」


「ごめん……ちょっと別のこと考えてて。ええと……ええとね。どっちにしろ、こういうのじゃないと、みたいなのはないのよ」


「ないんだ。……つーか、集中しなよ。自分の話じゃん」


「すみません……」


 これではどちらが大人か分からない、そう思うと笑えてくる。とにかく、余計なことは考えないように、考えないように、と念じながら握りしめた枝に力を込め、どんどん線を太くしていく。何かを真剣に考えている様子のライカは、眉間にしわを寄せたまま瑠衣がガリガリとなぞり続ける丸を眺めていたが、やがて「あのさ」と呟く。


「瑠衣って勘違いしてるんじゃないかと思う」


「勘違い? ……なにを勘違い?」


「話を聞いてるとさ、世の中にはその…… "ろくでもないやつら" しかいない、みたいになってんじゃん。けど、そんなわけないでしょ。変なやつらが言ったことなんか、気にしなくていいと思う。瑠衣が瑠衣なことって、誰かの支えになるよ。……多分」


 不意に真顔で言われた瑠衣は、どきっとする。 ”どきっ、とか困る” と少々パニックになってしまい、何も言えずに呆然と彼を見つめる。しばらくの間のあと「なに言ってんのよ」と呟いても、彼の表情は変わらなかった。


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