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4.不憫な綿菓子(1)


「どう? かわいい? ちょっと上手く着られてないけどね」


 決して綺麗に着付けられているとはいえない、浴衣の(たもと)を持って、くるりと回る。二年前に購入したものの、一度しか袖を通していなかった浴衣を、洋服ダンスの奥から引っ張り出した瑠衣はご機嫌だった。


『頼みたいことがあるんだけど』


 確認したいことがある、と出かけて数時間後、腫れぼったい目をして帰宅したライカが、妙に改まった顔で瑠衣に告げたのは昨晩のことだった。よくよく聞けば、近くの商店街が主催する納涼祭りに行きたい、ということのようだった。そういったものを丸ごと拒絶しそうな彼が、急にそんなことを言い出して、瑠衣は驚いた。しかし、何年も行っていなかった祭りというものに、懐かしさがこみ上げ、どうせなら──と、存在すら忘れかけていた浴衣をうろ覚えながら着付けた、というわけだ。


 ニコニコしたまま返事を待つ瑠衣を黙って見上げていたライカは、首を傾げ「……浴衣だね」と淡々と呟く。いくら何でも、目で見たそのままを答えてくるとは思っていなかった瑠衣は、がっくりと肩を落とした。


「あのね……。そういうことじゃないでしょ、そういう意味じゃないのよ? もう、そんなんじゃモテないよ?」


「……あぁ。おキレイですね」


 瑠衣の言わんとしていることを理解したらしいライカが、薄笑いを浮かべて言い直す。一体どういう心境なのかは分からないが、彼はときどきこんな風に瑠衣をからかうのだ。


「心が……心がこもってないよ……」


「こめてるよ。かわいいですね。……柄が」


「……」


 半眼でその腹が立つ表情を睨みつけた瑠衣は、持っていた巾着でライカを攻撃する。オーバーアクションで動いたので、当然避けるものと思っていた瑠衣だが、ライカはぼんやりしていたのか、まともに顔面に当たってしまった。


「いて……」


「えっ! ごめん! ……正面からだし、よけると思ったのに。大丈夫?」


「見えてたんだけど、それ、思ったより速かったから……」


 アルバイトを始めてからというもの、ライカはすっかり元気になったように見えた。しかしときどき、こんな風にどこか遠くを見ている瞬間があって、その度に気を引き締めなくてはならなかった。正直、どこまでふざけていいのか、瑠衣も分かっていないのだ。


「まあ──別に褒められたかったわけでもないのよね。もう一回くらいは着たかったの。だって、ずっとタンスの肥やしなの、もったいないじゃない?」


 努めて明るく言った瑠衣に、ライカはふっと笑って首を振り「冗談だって。かわいいよ」と言う。何だか無理やり、といった口振りに、言わせたのは私だなぁ、と瑠衣の口元に苦笑いが浮かんでしまう。


「無理しなくていいのよ。変なのはわかってるわ。いい歳だし」


「別に無理はしてない。ただ、真面目にかわいいねって言うの、どうなのかなって思っただけ」


 ライカは真剣な様子でそう答えるが、瑠衣は自分で言った『いい歳』に少し切なさを感じ、ため息をつく。ふと気付くと自虐的なことを言ってしまっている。それが何よりも一番虚しいということを分かっているのに。そんな瑠衣の気持ちなど気づいてもいないであろうライカは、乱れた髪を直しながら「なんで一回しか着ないのに買ったの?」と彼女に問いかける。


「え? あぁ……。当時の彼氏がね、浴衣でも着ろって言ったからね」


 そう答えた瑠衣はふっと、その彼氏に『ガキっぽいね』と笑われたことを思い出した。先ほどライカの言った通り、瑠衣は柄が気に入ってこの浴衣を選んだ。紺地に赤い金魚が数匹泳いでいる。金魚のグラデーションに合わせて白と黄色の帯、というのは自分でも気に入っている組み合わせだった。安物とはいえ、色々考えて決めたものだった。別段、あの男に褒められるつもりもなかった瑠衣だが、笑われるとは予想もしていなくて、少しショックだった。


「彼氏……。ああ、ろくでもねぇってやつ?」


 ライカの声で我に返った瑠衣は、全てを笑い飛ばす勢いで「そうそう! そいつ!」と言い、洗面台の鏡の前に立つ。さすがに三つ編みお下げは痛々しく見えなくもない。とはいえ、浴衣にはこれと決めている。だから仕方がないのだ、と思い直していると、ひょこっと横から顔を出したライカが、鏡に映る瑠衣を見て、ついでといった様子で自分の前髪を引っ張る。


「しかし……ここまで瑠衣がはしゃぐとは思ってなかったな」


「え? はしゃいでないでしょ。正装しただけ。お祭りといえば浴衣じゃないの。さあ、ほら行くよ! きみが行きたいんでしょ??」


 振り返った瑠衣は、ライカをせき立てると、玄関のドアを開く。彼は何か言いたげだったが、結局、何も言わずに先に部屋から出る。そしてほとんどの時間をコミュニケーションを諦めたように生きているライカを持ってして、あそこまでショックを受けさせる "ゆい" という子は一体、何なのだろう、と考える。それはずっと気にはなっていることだったが、話を聞き出す勇気は瑠衣にはなかった。


 巾着に部屋の鍵をしまいながら下を覗き込むと、これまでならスタスタと先に行ってしまっていたライカが、駐輪場代わりのスペースに敷き詰められた砂利をならしていた。意外に思いつつ、階段を駆け下りると、彼に声をかける。


「あら、珍しい。待ってくれるなんて」


「え……。あぁ、なんとなく。……先に行ってた方がよかった?」


「そういう意味じゃないわよ。ありがとうって話」


「礼を言われるほどのことじゃ……」


 どうでもよさそうに言うと、彼は目をこする。昨晩、帰宅した彼は赤い目をしていた。泣いていたのだろうか、しばらくの間、鼻をかみ続けていた姿をふっと思い出した。


「昨日、ずいぶん遅かったけど、なにかあったの?」


「別になんも。話が長くなっただけ」


「ふぅん。ライカがそんなに喋るなんて珍しいわね」


「……おれ、瑠衣とも喋ってるでしょ。普通に話しただけだって」


「そうだねぇ。最初に比べたら喋るようになったね」


「なんか……。瑠衣は怪しくないってわかったから、無視する理由がない」


「やだー。そんなに怪しく見えてたの?」


「怪しいでしょ……。どんな目的かなって、思うよ」


 小さく笑ったライカはそう言った。

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