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3.煙が目に染みる(2)

 鉛筆を持ち直したライカが、半信半疑でその辺りを擦ると、微かに文章が浮かび上がった。


 《私、来夏に会えて良かった。毎日楽しかった。》


 目を凝らすと、そう書いてあるように見えた。ライカは夢中で続きを塗りつぶした。何だってよかった。彼はもっと言葉が欲しかった。



 《幸せだった、怖いくらい》


 《ずっと、大好きだから》


 《またどこかで》



 その三つの文字列が、何とか読むことが出来た。ライカは黙って、鉛筆を静かにカウンターの上に置くと、次はどうするのか興味津々で待っている様子のお姉さんに向かって、口を開いた。


「読めました。……ありがとう……ございました」


「あ、よかったです……」


 『ごめんなさい』と言いつつ、ちゃっかり中身を盗み見したらしい彼女は「ラブレターですか? いいですね」と、笑顔でライカに声をかける。


 曖昧に、ぎこちないであろう笑顔を返すと、ライカは彼女に頭を下げて背を向けた。これは、全然いいものじゃない、そう思っていても、彼女にそんなことを言っても仕方がない。


 自動ドアが開くと向かいの煙草屋の脇に散乱した、色々なものが見えた。


「……おれ、あんなにばらまいてたのか」


 道を歩くサラリーマンを避けながら、のろのろと街灯の下まで歩く。身体に力が入らなかった。落としたままにしていたものを拾い集め、先ほどと同じように座り込んで、ライカはシャッターに寄りかかる。


 ──会えて良かった、楽しかった、幸せ、大好き、また――


 ユイの言葉を頭の中で反芻(はんすう)していたら、太ももの下に何か固いものがあることに気が付いた。見下ろすと、彼女のライターを下敷きにしていたようだった。


 それを拾い上げ、何も考えずに手にしていた便箋にライカは火を点ける。

 あっけなく――とてもあっけなく、燃え上がった。紙切れと化した便箋を灰皿の上に置き、ぼんやりとそれを見つめ呟く。


「紙って……こんなに燃えるんだ……」


 しばらく放心して座り込んでいたライカだったが、あぐらの正面に落ちている封筒を引き寄せ、静かにたたんでユイのポーチに滑り込ませる。なぜだろうか──なぜなのかは彼にも分からなかったが、このふたつは同じネコがいる。一緒にしておいた方がいいような気がしたのだ。


 ライターをしまって、ファスナーを閉じようとしたとき、ふわっとバニラのような甘ったるい香りが漂ってくる。それがユイの煙草から漂うものだと気が付くと、何となく中に残っていた煙草をくわえ、やはり何となく火を点けてみる。立ち上る煙を見上げて、吸い込んだ煙をため息と一緒に吐き出す。


 ユイの匂いがする──。脳裏によみがえる彼女との思い出は、とても眩しかった。ただの迷惑な女だったはずのユイの存在が変わっていったのは、いつからだろうか。まるで地面に染み込む水のように、するすると自然に、彼女はライカの中に入り込んできた。それなのに。


 ──あんまりじゃないか、こんなに突然消えるなんて──


 ずっと、きちんと考えないようにしていた。もう、ユイには二度と会えないだろうという現実を。それをしっかり認識した瞬間、ライカの目から涙がこぼれた落ちた。泣きたいなどと欠片も思っていないのに、拭っても拭っても、それは溢れてしまう。


「……ひでぇって……ずるいよ……。『どこか』って……どこ?」


 喉から堪えきれない嗚咽が漏れる。『誰のせいでもない』なんて、嘘だと彼は思う。止めるとしたら、自分しかいなかった。そんな隙すら与えてくれなかった彼女が憎かった。ユイに対して怒りの感情はない、それは変わらない。でも憎たらしいとは思うのだ。憎くて愛しい、そういう存在なのだ。


 どれだけ泣いたとしても、彼女は戻ってこない。それが分かっていても、ライカは涙を止めることが出来なかった。まだ未熟なライカはきっとユイにとって、頼れる人間ではなかった。だから彼女は死んだのだ。ライカはそう思うと悔しくてたまらなかった。


 もしも、自分が中学生などでなく、大人だったのなら、彼女を助けられたのだろうか。いくら自らに問いかけても、答えなど見つからなくて、ただ胸が痛むだけだった。


 暗い道ばたで顔を伏せる少年に、大人たちは誰ひとり目もくれずに通り過ぎていく。どれほど時間が経ったのか、ふと気付くと手元の煙草はすっかり燃え尽きていた。手のひらでぐい、と目尻を拭うと、涙が染みてジンと痛んだ。

 いつまでもここにいるわけにはいかない。帰らなくては──そう思って、立ち上がると、吸い殻を灰皿に放り込む。


 ふと見やった目の前のシャッターに、張り紙がしてあることに気が付く。大きな文字で "納涼祭り" と、書いてある。どうやらこの商店街で催すものらしかった。


「祭り……」


 それは、いつだったかユイが『これ、行こうよ!』と言っていたものと同じ祭りだった。そんなものは面倒くさい、と適当に返事をしたライカに、ユイは怒っていた。


『こういうときって、男は喜ぶもんだと思うんだけど? いいから行こうよ! あたし、リンゴ飴が食べたい!』


 彼女はそんな風に言っていたことを思い出す。しかし、ユイと一緒に行くべきものが催されても、彼女を連れて行くことが出来ない。かといってユイの代わりに自分が楽しめるとも思えなかった。どうしたらいいのか、と目を伏せて考える。


 ふと、ライカのまぶたの裏に、いつでも楽しそうな瑠衣の顔がよぎっていった。


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