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3.煙が目に染みる(1)

 何もかも、実感がなかった。今歩いている道も、目に刺さる街灯の光も、全てが吹けば飛んで消えてしまいそうだ。

 ライカには何も残っていない。ユイがいたという証拠はないのだ。握りしめた手紙だけが、 "ホンモノ" だと思えた。ふと、手紙に『捨ててね』と書いてあったことを思い出したライカの視界の隅に古びた煙草屋が入り込んだ。無造作に置きっぱなしになっている灰皿に歩み寄ると、ライカはそれをじっと見下ろした。


 ――読み終わったら捨てて欲しい


 それはユイからの願いだった。しかし、文字通り丸めてゴミ箱に放り込むことは、ライカには出来そうもなかった。それでもユイなら 『捨てろって言ってんじゃない』などと言い放ちそうだ。そう思うと、歪んだ笑みがライカの顔に浮かぶ。


 捨てられないなら燃やしてしまおうと、灰皿を見た瞬間、そう思ったのだ。破いたり、丸めるよりは出来るような気がしたのだった。ユイの願いは、この手紙を消し去ることで、方法など何でもいいに違いなかった。


 ユイのポーチは持ち歩いていた。ファスナーを開けて、ライターを探す。ライカはやはり、煙草を吸うつもりはない。本当は、このポーチを持ち歩く理由などひとつもなかった。何となく、瑠衣の部屋に置きっぱなしにはしづらいからだと思っていたが、考えてみればこれも、ユイのいた証拠だった。だから、手放せなかったのではないか、と使い慣れないライターを手にしながら、ライカは思う。


 カチカチと火を点け、手紙をかざそうとしたが、やはり迷ってしまう。火を点けっぱなしのライターはすぐに熱をもってくる。親指が熱い気がしたライカだが、そんなことなど、どうでもいいと思えた。


「出来ねぇ……」


 ライターを放り投げ、閉じたシャッターの前に座り込むと、もう一度、便箋を取り出した。いくら読んでも、中身は変わらない。ただの『ごめん』と、『ありがとう』だった。


 辺りは街灯で明るいとはいえ、それは昼間ほどではない。読みづらさに目を細めると、うっすらと消し損ねたらしい線が目に入る。


「……ん?」


 眉根にしわを寄せたライカは便箋に顔を近づける。そこには、先ほどは気付かなかった痕がびっしり並んでいた。ライカは立ち上がると、街灯の真下に移動した。判読は出来ないが、やはり一面に文字を書いた痕跡があるのが分かる。


 ユイは何かを書こうとしていた。だが、それを全部綺麗に消して、この手紙の文面に書き直した。『全然、上手く書けない』というのは、そういうことだったのだろう、そう考えると、この内容の意味が()に落ちた。机を前にして、文字を書いては消すユイの姿が一瞬、脳裏をよぎる。うなだれて「上手い文章なんかいらないのに」と呟いた瞬間、ライカはハッと思いつく。



 ──痕があるなら、読めるのではないか?──



 子どもの頃に遊んだことがある。強めの筆圧で書いた文字を消し、鉛筆で擦った。保育園の頃だったろうか。


 いても立ってもいられず、ライカは色々なものを置き去りにして、向かいにあるコンビニエンスストアに走った。しかし中に入った瞬間に、ライカは我に返り、今日は一銭も持っていないことを思い出す。しかし、買えないのであれば借りればいい、そう思い直してレジに向き直る。


「すみません! 鉛筆! 貸してもらえませんか?!」


 店員に余裕なく声をかけると、彼女は驚いたように目を見開いている。ライカの剣幕が普通ではなかったのだろう。それでも構わず、ライカはもう一度「鉛筆を貸してください」と声をかけた。


「……え、鉛筆ですか? えぇと、シャーペンなら……」


「それでいいです! 貸してください!」


 怖々と、胸ポケットからシャープペンシルを取り出した店員から、それを引ったくるように奪い、ライカは便箋を擦り始めた。彼女は引きつった顔のまま、カニ歩きでレジの向こう側に移動していった。


「……わかんねぇ」


 呟いてペンを置くと、ライカはうつむいた。一通り塗りつぶしたが、そこには何重にも文字が書かれていたらしく、それが文字であった、ということくらいしか判別出来なかったのだ。


「あの……。大丈夫ですか?」


 視線を上げると、そこには店員が立っていた。いつの間にか戻ってきていたようだった。

 ライカは本当のことが知りたかった。何が足りなかったのか、どうしたらよかったのか。決してそれがこの紙に書かれているとは思えなかったが、それでも何かが欲しかった。やはり何もないのだ、と分かったライカは落胆していた。


「──じゃないです」


「え?」


「……だいじょぶじゃ……ないです」


「そ、そうですか……。鉛筆も……ありましたけど……」


 ライカは差し出されたそれを受け取るが、どうしたらいいのか分からずに、便箋を見下ろした。いくら塗りつぶしたところで、ここにはもう何もなかった。


「なんか……わかりました?」


 そう言われて、彼女の顔を見る。大学生くらいのお姉さんといった風の彼女は面白そうにライカの手元を覗き込んだ。


「宝探しみたい……あ。見ちゃった、ごめんなさい」


「……いえ」


 ライカが礼を言って、鉛筆をレジに置こうとした瞬間、彼女が「あっ」と言う。


「あの、ここら辺は?」


 彼女が指差したのは、便箋の一番下だった。確かにその部分は塗っていなかった。

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