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2.届きそうもない伝言(2)

 何をどうしろというのか。ライカはどうしようもない気持ちになる。彼女が言った『好き』という言葉は、何だったのだろうか。ユイは確かにライカに『好き』と言っていた。こちらだって同じことを伝えた。それでもユイは自分から離れてしまった。


 誰かに恋をするということが、こんなにもやっかいだとは、彼は知りもしなかった。この宙づりになってしまったような気持ちを、どこへ持って行けばよいのか、どうしたら納得がいくのか。分からないことだらけで、彼は途方に暮れた。


「……なぁ」


 いつの間にかカウンター越しに、大将が立ってこちらを覗き込んでいる。彼は「ケンカしたんだか、なんだか知らねぇけどさ」と静かに続けた。


「ユイちゃんな、こないだ来たとき……、兄ちゃんの話してたよ。『すごく優しくていいヤツだ』ってな。オレ、嬉しくてな。ほら、ユイちゃんってどっかあまのじゃくみてぇなとこあるだろ?」


「……はい」


「そういう風に思える友達が出来たっていうのはさ、オレにとっては嬉しいわけよ」


「どうなんですかね……。おれ、そういう友達としても、頼りなかったのかもしんないです」


「あぁあもう! はっきりしねぇなあ! 結局なんなんだよ、告白したの? フラれたの?」


「……よく……わかんないです」


「わかんねぇってこたぁないだろ?? どういうことだい??」


 頭の帽子を取って短い髪を撫でていた大将は、仰け反って叫ぶ。どういうことだい、と言われても、ライカもどう説明したらいいのか分からなかった。


「……すみません、そうとしか言えないんです」


「いやまぁ……別にいいんだけどよ。あれだな、立ち入ったこと聞いちゃ悪いね。すまんすまん」


「……こっちこそグダグダ言っててごめんなさい」


「まあ色々あるよな、うん。ただな、わかって欲しいのはさ、ユイちゃん『一生懸命、話聞いてくれて嬉しかった』って言ってたんだぜぇ? あれはウソじゃぁねぇと思うよ?」


「……でもおれ……なんも出来なかった」


「大袈裟だなぁ。別によ、なんかしなくたってさ。それでいいんじゃねぇの? ユイちゃんは嬉しかったって言ってんだから」


 大将はいつになく真面目な顔で、ライカを真っ直ぐに見つめた。何も返せずにうつむいたライカに向かって、彼は続ける。


「正直に言えばな。それ以上どうしろっていうんだよってオレぁ思うよ。一から十までいっぺんにどうにかしてやろうなんてのはさ、他人には出来ないことだよ。人間なんてもんはただ、目の前の出来ることを順番にするだけだ。冷たいようだけどな。そんでもってな、それってのは極限られたことなんだよ。兄ちゃんは、それをやってやったんだと思うよ。あんなに楽しそうなあの子は見たことなかったしなぁ。兄ちゃんがなに落ちこんでるのか、オレにはわかんねぇけどよ。フラれたにしてもさ、別に死ぬわけじゃねぇし、まだ若ぇんだから兄ちゃんは。次だ次!」


 大将はどうやら、ライカが告白して断られたんだと思っているようだった。そういった単純なことであったなら、そういう現実が欲しいとライカは笑ってしまった。

 やり場のない思いが胸を締め付け始めている。一刻でも早く、ひとりにならないと、また頭がおかしくなりそうだった。


「おじさん。おれ、帰ります」


 ガタガタいうイスを無理やりカウンターの下に押し込むと、ユイの手紙をわしづかんだ。そして、帽子を被り直していた大将に「あの」ライカは声をかける。眉を上げて振り返った彼に頭を下げる。


「これ、食べきれなくてすみません」


「あぁいや、いいんだよ! こっちが勝手に出したんだからさぁ。オレがちゃんと食うから安心しな」


「……はい。すみません、お邪魔しました」


 早足で歩いて、引き戸を開けたところで、思いがけず「あのな、ライカくん」と声をかけられる。振り返りたくなかったライカはその場に立ち止まる。大将は、そんな彼に戸惑いを浮かべた声色で言葉を繋げた。


「あのな……。実は伝言もあってな。もし、兄ちゃんが落ちこんでるようだったら、伝えて欲しいって言われたんだけどな……。どう見ても元気そうじゃねぇから言っとくか?」


「……はい」


 返事をするのが精一杯だった。とても苦しかった。それを見せないように、ライカは必死に自分に言い聞かせる。大したことじゃない。ただ、聞くだけだ、と。


「うんとな『誰のせいでもないからねって、言っといてって』……これで意味がわかるのかね?」


「……」


「あとな、特に伝えろとは言われてねぇんだけどな。なんか……『もしかしたら、来夏は怒るかもしれない』みてぇなことも言っててな。『でもどうしようもないんだよね』とかそんなん言ってたかなぁ。オレにはさっぱりだけどな」


 いつまでも背を向けているのも悪い気がしたライカは、手をかけていた引き戸を元に戻し、振り返った。眉毛を下げた大将は、口元をくいっと上げて、微笑んだ。

 何だか参ったなあ──そんな風に思っているように、ライカには見えた。


「なぁ……。怒んないでやってくんねぇかな、あの子がなにをやったにしてもな。まぁ、オレと兄ちゃんの間になんかあるわけでもねぇけどさ、オレに免じてさ」


 上手く笑えているか分からないような顔でライカは微笑んで、頷く。言われなくても、彼女に対して怒りは感じていなかった。なぜ、怒ると思われたのか、ライカには見当も付かなかった。


「まぁほら、人間なんて出会いもあれば別れもあんだろ? そんな青い顔して。……心配になるからよ。元気出しな? ほらっ!」


 人懐こい笑顔でライカの背中を叩いて、大将は言う。ユイがこのひとを好いていた理由が分かった気がした。よく知りもしない、全くの他人である自分を気遣ってくれる大将はすごいなと、ライカは素直にそう思った。


「おじさん……」


「んん?」


「またユイに会ったら……おれからも伝言お願いしたいです」


「おうおう! 任せときな! どんなのだい?」


 気付いたら『伝言』などと呟いていた。何かを伝えたい、そう思う。一番言いたいこと、話せなかったこと。それが何であったのか、ライカは考えた。


「…………楽しかったよ……って」


 そう告げると、ライカは大将の方に向き直った。大将の、年季が入っているらしい、白かったであろうゴム製の長靴はクリーム色に変色し、濡れて光っていた。


「あいつ……ホントにわけわかんなくて、ずっと振り回されてて……腹が立ってばっかだった。だけど…………なんか楽しかった」


「……おぉ、なんかわかんねぇけど……楽しいのはいいねぇ、うん」


「おれ……しばらく、ここには来られないと思う。でも、元気でいてください」


「あぁ、兄ちゃんこの辺の子じゃねぇのかい? そっか。残念だな。ま、いつでも来てくれよな、待ってるからさ」


 最後くらい、ちゃんと顔を見たい。そう思ったライカは彼をきちんと、真っ直ぐに見た。大将は腰に手を当てて、ライカを心配そうに見つめていた。

 彼はどこか、カピバラに似ていた。本物のカピバラよりも優しい顔をした、それのようだった。


 頭を下げて、ライカは店を後にした。後ろからあの日と同じように、大将の「気をつけてなぁ!」という声が聞こえた。もしも自分に何か不思議な力があって、あそこからやり直せたなら、と彼はぎゅっと目を伏せた。


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