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1.くだらないやり取り

 ライカは浮かない顔で夜の街を歩いていた。どんなに目を背けていても仕方がないこと――ユイを誰かが見ていないか、それを確認するために。


 ひとりで外を出歩くのは、一週間ぶりだった。部屋を出る前に、ライカは瑠衣にきちんと事情を説明した。『帰る前にどうしても確かめたいことがあるから』と。反対されるかもしれない、と色々言い訳を考えていたライカだったが、意外なことに瑠衣は何も聞かずに『行ってきなさい』と彼を送り出した。


 出がけにかけられた『いったんは、帰ってくるんだよ?』という言葉はいかにも彼女らしく、瑠衣のこういうところは死ぬまで変わらないんだろうな、とライカは感動すら覚えた。

 これ以上、彼女に心配をかけるつもりのないライカは深く頷いて、玄関の扉を開いたのだった。


 未だに、知りたくない気持ちはあった。しかし、逃げるわけにはいなない、その思いだけがライカの竦む足を動かせていた。

 すっかり歩き慣れた道の先、紫色の看板は、今日も怪しく光っている。そこには、どこかに出かけた帰りなのか、ライカも見かけたことのある面々が、入り口辺りにたむろっている。

 ライカは必死に何でもないふりをして、彼らに歩み寄った。戯れるつもりはまるでない。聞きたいことは、ひとつだけだった。


「よぉ、久し振り」


「あ、来夏じゃん。ここんとこ見なかったよねー。なんかあったの?」


「ダルかっただけ。……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 最初に返事をした、あまり話をしたことのない女子に、ライカは問いかける。普通に、を意識しながら、普通でいられないことを言葉にするのは難しかった。口の中がカラカラになっていて、喉がちくちくした。「なになにー? そんな改まって」と言った彼女は、手にしていたコーヒーの缶を差し出した。


「何時間歩いてきたの? 暑そうすぎ。これあげるよー」


「……どうも」


 買ったばかりなのか、その缶は冷たかった。コーヒーを一口飲むと、少しだけ頭がすっきりしたような気がして、ライカはその勢いのまま口を開いた。


「ユイって最近来てる?」


「……え? ユイ? ……あたしたちに聞かなくたってさー、来夏の方が知ってんじゃないの?」


「来てたかって聞いてんだけど」


 無意識に口調がきつくなってしまったライカは、自分に向けられた怪訝そうな視線でそれに気付く。誤魔化すように「いや、あいつって全然捕まらねぇから」と付け足すと、彼女は首を傾げて周りの人間を見回す。


「あたしは最近見てないよ? あんたは?」


 話を振られた人間たちは口々に「知らね」「私も知らない」「先週は見たけど」と答える。分かっていたことなのに、やはりライカは胸が痛かった。

 幅をきかせている彼らが誰も、ユイを見ていない。それはつまり、ユイはここに来ていない、ということだった。


「中にいるんじゃない? ってか、マサヤに聞けば? 来夏が来る前はあいつにべったりだったんだし。ってか、いちいちユイのことなんか気にしてないし、あたしに聞かれてもねー。来夏、なんも知らないんだろうし今さらだけど、あの子はやめた方がいいよ? 尻軽女じゃん。なんか病気持ってそう」


 彼女がそう言うと、全員がどっと笑う。ライカはあまり群れない人間と話していた。楽だと思っていたこの場所の人間も、集まれば結局は他と大差がない。それが分かると気分が悪くなる。

 嫌な顔で笑う彼らが、去年の上級生の顔付きと重なって、ライカは静かな怒りのままに口を開いた。


「……それ、本人にも言った?」


「え?」


「おれに言う前にユイに言えば。なんのために口ついてんだ? くだらねぇ陰口言うため?」


「えー、来夏って冗談通じないね」


「他人をバカにして、いい気分になることが冗談かよ」


「そんなに怒るなんて、なんか……かわいそう。ユイとマジで仲良しなんだね? ごめんごめーん」


 クスクス笑う彼女を一瞬、ぶん殴ってやりたい気持ちが芽生えたが、そんなことをしても何の意味もない、とライカはぐっとこらえた。ユイだってきっと ”あんなやつ放っときな” と言うに違いない、そんな気がした。


 笑うなら笑えばいいのだ。こんなやつらには一生、自分の気持ちなど分からない、そう思えた。

 それに、ユイに対しての想いはちっともかわいそうではない、それが頭をよぎったライカの口元には笑みが浮かんだ。


「ご心配どうも。おまえもかわいそうだよ、心から」


 言い返してしまってから、その場の空気が凍り付くのが分かった。よく瑠衣に『ひと言、余計』と言われているライカは、その通りだな、と思いながら手にしていた缶コーヒーを彼女の足下に置き、言葉を繋ぐ。


「……これ、ありがと」


 まだ何か言いたそうな彼女から目をそらすと、ライカは踵を返した。『中に入るな』とユイに言われていたことをがライカの足を遠ざけさせた。諦めがよすぎる自分はきっと弱虫なんだ、と彼は思う。


 そして、決定打を打ち込まれたはずなのに、彼の身体には悲しみより怒りが渦巻いていた。なぜこんな気持ちにならなくてはならないのだろうと、苦しくなった。


 何よりも、どうしても黙っていられなかった自分を、そして、いちいち怒ってしまう自分を本当に情けなく思う。くだらないのは彼女もライカも、どちらも一緒だ。


 頼まれてもいないことでムキになるなど、虚しいだけだった。あの場所から早く離れたい一心で、ライカは歩みを進めた。どこに行くべきかも分からないままに。

 

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