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8.三羽の鶴(1)

「……ラーメン屋?」


 立ち尽くしたライカの言葉に、瑠衣は「ん?」と言いながら、のれんをかき分けた。


 ライカが店で手伝いを始めて三日目の朝。珍しく仕事からの帰宅が遅くなってしまったふたりは空腹だった。何か食べて帰ろうと瑠衣に誘われ頷いたライカだったが、目的地がラーメン屋だとは思っていなかったのだ。


「この時間にやってるとこ、この辺だとここしかないのよね。ラーメン嫌い?」


「嫌いってわけじゃなくて……若い女のひとって、ラーメン食べなさそうだなって」


「それは偏見! ここ、結構美味しいのよ」


 瑠衣はずんずん進んでいく。家にいないときの彼女がどう行動するのかなどあまり考えたことがなかったが、ここには通い慣れているのか、店員には「いつものください」だけで何を食べたいのか伝わるらしい。


「なんでか知らないけど、この店、メニューが醤油ラーメンだけじゃなくてね。色々あるのよー。ライカはどれにする?」


 別段、ラーメン気分でもなかったが、思い返しせば、こういったものを食べるのは、かなり久しぶりだった。しばらく考えたライカはスッと手をあげる。


「すみません、味噌ラーメンをください」


 タオルを頭に巻いた店員が返事をしながら、瑠衣の生ビールを持ってきた。彼女はそれを受け取ると、待ちきれないといった様子で一口それを飲んだ。まるで泡の中に顔を突っ込んでいるように見えた。そしてそのままジョッキをあおった瑠衣を眺めながら、全然ビールジョッキが似合わない女だな、とライカは密かに思う。


「っあーー! 美味しい!!」


「……またそんなオッサンみたいな飲み方を……」


「いいじゃないの。お店で『っあー!』なんて言えないでしょ。たまには言いたいのよ。言わせて」


 瑠衣のその言葉に妙に納得したライカは「確かに」と唸ると、出された水を飲んだ。水はいつでも水だった。美味ではない。正直、瑠衣のビールが美味しそうで、羨ましいくらいだった。しかし、こんなに酒を飲む仕草が似合わない大人も珍しい。初めて会った日に思ったように、瑠衣はやはり幼く見えた。


「なあに? そんなにジロジロ見ちゃって……」


「なんか、酒が似合わないなと思って」


「えぇ? ……いいもん、どうせ童顔だもん」


 いじけ顔で「知ってる」と呟いた瑠衣は、ジョッキを傾ける。そうしている間に、店員がラーメン丼をふたつ持ってくる。瑠衣は名残惜しそうにビールから口を外すと「ありがとう」と言いながらそれを受け取った。


 割り箸を瑠衣に差し出しながら、いじけていたであろう彼女にかけるべき言葉を考える。そして、童顔というのは、いつも年上に見られてしまう自分の顔と対極にあるのではないか、とライカは思う。


「……おれと瑠衣って、逆の悩みなんだな」


「ん? 逆って?」


「瑠衣は子供っぽくて、おれは老けて見える」


「失礼ねぇ。正しく比較して『若く見える』って言いなさいよ」


 そのまま食べ始めた瑠衣だが、垂れる髪が邪魔なのか、箸を一度置く。そして、髪を後ろでまとめながら「っていうより、そんなこと気にしてるの?」と驚いたように言った。


「……まあ……おれの顔、浮くから」


「浮くっていう意味では私も同じよ。きっとこれから歳を取っていけば得してくんだと思うけど。でもねー、未だに年齢確認されるのは、ほんっと、めんどくさい」


 そう言われて、童顔と老け顔で特徴としては真逆なのに、悩みは似たようなものなのではないか、と気づく。正反対なのに似ている。それは少し妙なことに思えた。それでも、その事実は変えられない。お互い面倒くさい顔に生まれたものだ、そんなことを考えながら、頬杖をついてチャーシューをつついていたライカは、瑠衣に対しての返事として「年齢確認はめんどくさそうだね」とぼそりと呟いた。

 空腹だったはずなのに、食べ物を目の前にしたら、何だか食欲が消えていってしまった。口の中の麺がちっとも減っていかないのだ。無理やりに飲み込むと、何だか喉が痛んだ。


「んー。その髪型、いい感じじゃない?」


 二口か三口目の麺を食べ終わった瑠衣が、思い出したように言い、ライカは顔を上げた。


 ライカは昨日、瑠衣に無理やり髪を切られたのだった。前髪を切っていた瑠衣に呼ばれ、ライカはぼんやりしたまま洗面所に向かった。ハサミを持った彼女は、ライカと目が合うなり、ぐい、と風呂場に引き入れ、『はい、切りますよ』と宣言したかと思うと、いきなり前髪を掴んで、ジャキジャキと切り始めた。


 思わず身をよじろうとすると『今動くと悲惨だからね、前髪揃うよぉ、マッシュルームになるよぉ』などと言われて、じっとしているしかなくなってしまったのだ。


 確かに以前、髪を切りたいとは言ったし、瑠衣に切られたくない、とも言った。『切る?』と声をかけられていたならば、確実に断っていただろう。そういう自分の言動を理解している瑠衣だからこその強引さなのは分かった。だから従ったのだ。


 そんなわけで、目の前に被さっていた髪がなくなって、視界がすっきりしたのが、妙に落ち着かない。どうにかならないものか、と自分史上最大に短くなった前髪をライカが引っ張っていると、ジョッキを置いた瑠衣は満足げに笑みを浮かべた。


「我ながら、よく切れたと思うんだけど。……どう?」


「……落ち着かない」


「えぇ? 伸びすぎで、キノコの傘みたいになってたじゃないの」


「……切り刻んで短いキノコにしようとしてたじゃねぇかよ」


「あはは。ああ言えば動かなくなるかなって。正解だったでしょ」


「……まぁそうだけど。どうせ切りたいとは思ってたし……。さすがに邪魔だったから」


「似合ってるよ。思ったんだけど、短い方が似合うんじゃない? スポーツ刈りみたいなやつとか。なんであんなにダラッと長くしてたの?」


「いや……。あんま、短いのは……」


「どうして?」


 無邪気に瑠衣が問いかけてくる。ライカは一瞬、言葉に詰まりパチパチとまばたきをする。しかし、黙っても仕方がない、とやっとの思いで言いたいことを吐き出した。


「……顔、嫌いだから」


「嫌いなの?」


 ライカが黙って頷くと、瑠衣は少し考えてから箸を置き、器を持ち上げる。

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