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7.夏は終わる(1)


「きみねぇ?! なにやってるの?! どうして店に出てるの??」


 接客中、バーカウンターに立つライカを発見し、瑠衣はあごが落ちそうなほど驚いた。一時間ほどのち、店の閉店作業に入ると、真っ先にマスターとライカを捕まえ、やっと、接客中に危うく喉から出かかった言葉を吐くことが出来たのだった。


 相変わらずぼんやり顔でこちらを見たライカは、瑠衣の剣幕に困惑したように視線を泳がす。そんなライカにもうひとつふたつ言ってやろうと口を開きかけたとき、マスターがライカとの間に割り込んでくる。


「まあまあ、そんな怒らずに……。俺が頼んだんだよ。だって、かわいそうじゃないか、何時間もあそこでじっとしてろ、なんて。食器洗ってもらうくらい、平気でしょ?」


「でもですね?」


「大丈夫だよ。ちょっと見てたけど、ライカくん要領いいから」


「……でも、ですね」


「瑠衣なんか、初日にグラス何個割ったと思ってるの?」


「……ちょっ! そんな昔の話!」


 自分でも忘れていた話をマスターから切り出され、瑠衣は慌てて彼の肩を叩く。すると、そのやり取りを聞いていたライカが、ふっと吹き出した。


「笑わないでよ! 手が滑ることだってあるでしょう?」


 思わずそう告げたが、久々に見た彼の笑顔だった。瑠衣は少しだけほっとした。ここに連れてくることがライカにとってよいことなのかが分からなかった瑠衣は迷った。もしかしたら間違いではなかったのかもしれない、と思っていたのだ。


『大丈夫。ひとりで留守番してるから』


 そう言った彼の顔は、ちっとも大丈夫そうには見えなかった。置いていったらどうなるのだろうと、想像しただけで不安になった。


「ところで瑠衣、ライカくんっていつまでこっちにいるの? このままバイトしない? 給料出すよ……ってママが言ってたよ」


「え……っと。いつまでだっけ、ライカ」


 返答に困って、ライカに思わず振ってしまった。彼はこちらを見たあと「うーん」と目を細めて黙り込んだ。


「北海道まで帰るんだろ? 飛行機とか決まってるんじゃない?」


「ほっ! ……かぁ?!」


 予想もしない単語が出て来て、叫びかけた瑠衣は慌てて口を押さえる。そんな彼女に、マスターは不思議そうに視線を送る。


「どうしたの。突然『ほうか』なんて……おばあさんみたいな」


「あぁ、えと……なんでもないです」


 取り繕いながら、瑠衣はライカをつつき「その……いつ帰るんだっけ、ライカ」と促す。適当なことを言うと、あとで話が噛み合わなくなりそうだった。


「……夏休みが終わるまで、こっちにいます。課題は済ませてあるんで」


 目の前の少年が、思ったよりすんなり答え、瑠衣は「そうなの?」と目をぱちくりさせた。私にはそういう話は一切しないくせに、と何だか複雑な気持ちになる。


「あぁ、そう? じゃあ、帰りの準備もあるだろうから、来週末までどう? ライカくん」


 ライカは瑠衣とマスターを交互に見てから、難しそうな顔をしてうつむく。まさかこんな話になるとは思っていなかった瑠衣は、ライカと口裏を合わせていなかったことを、後悔した。それはライカも同じようで、ちらりと瑠衣を見て呟く。


「……瑠衣はどう……思う?」


「えっ……。あっと、どうかな。というか、いいんですか? ママに聞いてこないと」


 振り返ると、彼女は最後の客を見送っているところらしく、店内にはいなかった。時間を稼いでいる間に色々設定を決めなければいけない、と瑠衣は唇を噛んだ。


「だって、瑠衣が来る日は連れてくるんだろ? さっき彼からそう聞いたけど」


 そう言われて、瑠衣はマスターの視線から逃れるように目を細める。たとえ、数日の間に彼が落ち着いたように見えたとしても、やはりひとりにするのは不安が残る。しかし働かせるとなると、ライカが誰であるか、色々な情報が必要になるだろう。そういったものはどうしたらよいのか――。困り果てていると、ライカがすっと顔を上げた。


「……東京見物も飽きたし、社会勉強もしてみたいので、ここにいさせてくれると嬉しいです。店が迷惑じゃなければ。今日やってみて分かったけど、家でごろごろしてるより、仕事してた方が落ち着く。瑠衣、いい?」


 何かのスイッチが入ったかのように、ライカはテキパキ話し続ける。それに慣れていない瑠衣は、オロオロしながら聞き返す。


「いいよ、いい……けどね? おうち……には、なんて言う? ほら、あれとかそれとか」


 何が『あれ』で『それ』なのか自分でもよく分からないまま瑠衣は囁く。しかし、ライカにはちゃんと通じたようで、彼は「あー」と言い、首を傾げて固まったあとに、マスターの方に向き直った。


「あの……。手続きとか面倒なので、金はいらないです。おれ、まだ未成年だし、超短期バイトだし」


「あぁ、そう? そうかぁ。しかしなー、タダ働きさせるのもねぇ」


 そう呟くと、五秒後ほどしてマスターが「あ、なるほど」と声を上げる。その目は名案を思いついた、とでも言いたげだった。


「あのさ、瑠衣の臨時給として振り込んでおくとかどう? ちょっとあとで確認するけど、一週間くらいなら大した額じゃないし。んで、後日送金してあげてよ、瑠衣」


 マスターはこの店で長く働いている。数字にも強いらしく、経理も兼ねているのだ。瑠衣もそれくらいは知っていた。


「あ……それでお願いします」


「決まりね。あ、これは世間さまには秘密だよ」


 そう言うとマスターはいつものように不自然なほど満面の笑みを浮かべる。瑠衣とライカと、同時に「ありがとうございます」と言いながら頭を下げる。


「いやいや。ママがダメって言ったら終わりだけどね。ははは。……しかしライカくん。その格好も似合うじゃないか」


「……そうですかね。なんかシャツがデカいけど。瑠衣、これ変じゃない?」


 それはいつもマスターが着ている制服だった。別段、変ではなかったが、見慣れていないせいか、何だか妙な照れくささがあって、瑠衣は口をすぼめた。


「……変ってことは……ないわよ? そこまでブカブカでもなさそうだし」


「さっき鏡見たら……無理してる高校生みたいに見えた」


「ははは、そのまんまじゃないか。じゃあ、明日もよろしくね」


 声を上げて笑うと、彼はライカの肩を叩いて店の奥へと消えていった。


「……」


「……」


 壁際に取り残され、ふたりは無言で立ち尽くす。

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