5.残像(3)
学校側の処分として、一週間の出席停止処分が下り、ライカは家の中にいることを余儀なくされた。深雪はフルタイムで働いている。故に、彼女は夜遅くまで帰ってこない。
ひとりでぼうっと天井を見ているのも半日で飽きた。本来なら家を訪ねてくるはずの担任教師は初日に少し話をしに来ただけで、それ以降は一向にやって来なかった。
その代わりなのかは分からないが、何度もノートやらプリントやらを持った英明と千鶴が現れた。持ってこられたノートを押し付けられたら、突き返すわけにもいかなかったのだ。
『バスケ部入れとか言うんじゃなかった……』
ライカが無言で必要そうなものを書き写しているときに、英明はそう呟いた。そんなことを言われても、とライカは困ってしまった。自分も悪くないけれど、恐らく彼が悪いわけでもなかった。ライカは、そんなことを言う英明が、不思議でならなかった。
英明は、話すことを未だ迷っているような口ぶりで、ここ数ヶ月のことを口にし始めた。上級生たちがライカを陥れたことに、英明は気付いていたらしい。おかしいと思って色々聞いて回り、そういう結論に達したようだ。
そして、何かしなければと悩んでいたが何をすべきかが分からなかった、と。うなだれて『おまえがぶちキレる前に話しておくんだったよ』と言う英明が酷く大袈裟に思えて、ライカは少し笑ってしまった。
心から、英明が自分に構いたがる理由が分からなかった。友達でもないのに。知らず知らずのうちに、本当にそう思っていた。
『別にいいだろ。新田はバスケ部のホープで、おれは落ちこぼれ。気にしないで楽しいスクールライフ送れば?』
『そういうわけにいかねーよ。だって……友達じゃん?』
その言葉にライカは面食らった。何かの冗談かと思ったが、英明は終始、真顔のままだった。ライカと友達になることで、英明にどういうプラス要素があるのか、ライカは本気で考え込んでいた。
そこに千鶴がひょっこり顔を出し、男ふたりの間に座り込んだ。その手には深雪が買い集めている漫画があった。
『これ、初めて見た! おもしろーい。お父さんの?』
『……違う』
『え、お母さんの?』
『……違うよ』
真実だけを告げると、千鶴は不思議そうな顔をした。ライカがそれ以上、何も言わずにいると、千鶴はにこりと笑顔を浮かべ『自分で集めてんの? すごいね!』と言った。
確か以前、兄弟がいないということは話したことがあった。それでそういう結論に至ったのだろう。黙って漫画に没頭し始めた千鶴の横で、英明は髪の毛を気にしている。ライカのものとまるで違う、くせっ毛らしい彼の髪はいつも変な方向を向いていた。
『新田は……友達なわけ? おれと』
ライカがぽつりと呟くと、英明は大きな目をさらに大きくして、素っ頓狂な声で『えっ? 違うの??』と叫ぶ。その表情は無邪気にもほどがある。ライカはまたもや困ってしまった。
『……いや、知らねぇけど』
『そうだよなぁ……。おまえ、クールメンズだからなあ』
『なんで複数形なんだよ……。なんかおかしいし、そこでクールメンズの話になるのがよく……わからない』
『あーそっか! おまえひとりだもんな!』
へらへらと笑う英明の真意がよく分からなかった。悪意があるようには見えなかったが、何があるのだろうと勘ぐってしまう。
当の英明は特に気にした様子もなく『なぁ、学校ちゃんと来いよ?』などと言っている。彼のその言葉は聞こえていたが、それに関しては約束が出来なかった。
ライカは学校に行く気が全く起きなかったのだ。行かなくて済むようになるのなら、それでいいとすら思っていた。
そのままノートを書き写し終えると、質問には答えず、ライカは英明に向かってそれを押し出した。
『ありがと。……帰っていいから』
『あぁ、うん。オッケ』
『え! ちょっと待ってよ、これもうちょっと読みたい』
千鶴が会話に割って入ってくる。その顔は明らかに不満げだった。その勢いに、ライカは困惑した。『持って帰っていいよ……』と言っても、彼女はごねた。
『あとちょっとだよ? 読んじゃいたいんだけど』
なぜ、ここで読みたいのだろうか。ライカには理解が出来ず、ただ、黙って千鶴を見つめ返した。そんなライカに気付いたのか、彼女は『……ねぇ。思ったんだけど』と切り出した。
『その、信用ならん! みたいな目で見るの……やめてくんない?』
『これ……おれの普通の目なんですけど』
『ウソだ。絶対、疑ってる』
拗ねたようにこちらを見る千鶴に、ライカはため息をついた。確かに疑っているのかもしれない、とは思った。人と関わることは、ここのところ苦痛でしかなかったからだ。
『色々あったからさ、疑いたくなる気持ちわかるけど。私、別にあんたのこと騙そうとか思ってないからね?』
『……別にそんな風には思ってない。ただ、ひとりでいたいんだよ』
『いっつもひとりじゃん。学校でだって──』
『千鶴ちゃーん。いいから帰ろうぜ。漫画はまた今度読めばいいじゃん。どうせ来るんだし』
英明が立ち上がりながら言い、目配せすると、千鶴は不服そうに漫画本を閉じた。まだ何か言いたげにライカを見ていたが、空を睨むと諦めたように彼女も立ち上がる。
『じゃあ、また来るね。あ。漫画読みにね? 読ませてくれる?』
千鶴を見上げると、漫画本で顔を隠し左目だけでこちらを覗き込んでいた。やっぱりこいつ、リスみたいだな――とライカは思った。
『……まあ……構わないけど』
『よかったぁ。断る! とか言われるかと思った』
断る、と言ってやればよかったと、ライカも腰を上げた。玄関まで見送ると、ふたりは手を振って帰って行った。
『断ったって来るんだろ、どうせ……』
閉じたドアに向かって思わず呟くと、妙な気持ちになった。いつからかずっと、疑心暗鬼だった。
今さら 『友達じゃん?』などと言われたところで違和感しかない。そもそも友達というのは、どういうものだったのか。ライカはいつまでもその場に立ち尽くし考え続けた。しかし、答えは出なかった。
そして謹慎が明け、動きたくない身体を引きずって登校すると、以前に増して周りからの視線が冷たくなっていた。覚悟はしていたし、元から浮いていたクラスに、何の未練もなかった。
相変わらず英明と千鶴は寄ってきたが、それでもライカはあまり彼らを信じたくなかった。しかし、なぜわざわざ学校に来たのだろう、と考えると、英明の『学校来いよ』という言葉があったからに違いはなかった。
不思議なことに、あの傷害事件以降、嫌いだったあだ名で呼ばれることもなくなった。ライカは ”なんだ、ただキレればよかったんじゃないか” と、薄ら笑みを浮かべた。
それでも、ライカはマネキンを目指し続けた。そう呼ばれなくなっても、そうなることで誰かを見返せるような気がしたからだ。機械のように毎日をただ淡々と過ごし、何にも感動せず、驚きもしない、そんな風に思おうとした。周りの反応を見るに、それは想定より簡単に実行出来てしまっているようだった。当のライカですら拍子抜けするほどに。
本当の自分なんて、誰も知りはしないのだから。それに、無意識に気を遣っている状態よりもよっぽど楽だった。それでいい、他人など必要ない。ライカは強くそう思うようになっていった。