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4.進むしかない道


 ライカが瑠衣の家に住み着いてから、何度目の夜だろうか。

 それが一晩や二晩ではないことは間違いなかったが、毎日同じように過ごしている彼には、そんな簡単なことが分からなくなっているのだ。壁に引っかけられたカレンダーを眺めるに、恐らく一週間程度は経っていそうだった。


 瑠衣は不在で、ライカは留守番中だった。この家に住むようになってから、彼女が出かけるときはいつもその役目を(おお)せつかっている。

 簡単な食事と、お腹が空いたときのために、と二千円を置いて、瑠衣は出かけていった。そんなものはいらない、といつも彼女に言い捨てるライカだったが、それでも瑠衣はその念のための金銭をいつも置いていった。


 特にすることもなく、暇を持て余したライカは少しだけ勇気を出して、主人のいない布団にごろりと横になった。瑠衣はときどきしか布団を上げない。もしかしたらこの布団で寝ろ、ということなのかもしれないが、何だか気が引けるライカはそこで眠ったことはなかった。


  床で寝る、と言い張ったライカに、執拗(しつよう)に一組しかない布団を勧めて来たのは瑠衣の方だ。心の中が "頭おかしいんじゃねぇの?" でいっぱいになったライカだが、瑠衣は彼のことを何とも思っていないようだった。

 結局、部屋の隅に毛布をしいて、簡易的な寝床を作ってもらうことで、お互いの主張を折半(せっぱん)することに成功したのだった。


 ため息をついて、 天井を見上げる。そして、瑠衣の真似をして、寝転がったまま枕元からテレビのリモコンを掴んでスイッチを押した。

 もしかしたら今日の日付が分かるのではないかとチャンネルを変えていくと、ちょうど天気予報が始まったところだった。


 【本日、7月30日のお天気です。暑い夜が続いていますが、明日も変わらず晴れ間が――】


 思いの外早く、彼の目的は果たせてしまった。テレビなど消してしまってもよかったのだが、こちらの気分などお構いなしで喋り続けるキャスターの声を聞きながら、頭の裏でライカは考える。あの瑠衣という女はなぜ、自分を助けるのかという疑問についてだ。

 当の本人も『わからない』と言っていたが、他人であるライカにはもっと分からないのだった。


 分からないのになぜ親切なのか。何となく "ヘンゼルとグレーテル" を思い出す。善人の振りをして油断をさせ、丸々と太らせてから、自分を食べたりするのだろうか。そう思った彼は、何だかおかしくなってしまう。


「食うなら食えばいいじゃん」


 誰に言うわけでもなく呟くと、ライカは寝返りを打った。

 その言葉を瑠衣に言ったところで、恐らく「やだぁー」などと言って肩を小突かれるだけだろう、と思う。ここ数日で、疑り深いライカにもそれが分かってきたのだ。


 つい先日、突然大きな袋を抱えて帰ってきた瑠衣が自慢してくるので、仕方なく中を覗いてみると大量の服やら何やらが入っていた。


『さすがに私の服をずっと貸すのもどうかと思うの。あと、長袖ばっかじゃ暑いでしょ? はい!』


 瑠衣はそう言いながら、買ってきたらしいTシャツを投げつけてきた。視界を遮ったそれを振り払うと、彼女はクスクス笑っていて、ライカには何がおかしいのかさっぱり分からなかった。


 いつだって、逃げ出せる。

 常に満腹だし、服も靴もある。

 二千円とはいえ、資金もある。


 それでも、ライカはそうしなかった。恩があるからかもしれない。瑠衣に助けられた日に、眠ってしまった瑠衣を置いて逃げ出さなかったのもそんな理由だった。

 そんな気持ちに意味はないと心のどこかでは思いつつ、彼女が干しっぱなしで行った洗濯物をたたみ、米を研ぎ、こうして寝転がっている。


 ライカはそういう中途半端な自分が嫌だった。関わりたくないなら突き放せばいい、恩など感じなければいい、そうは思っても、その通りに行動出来ないのだ。


「……バカじゃねぇの」


 自分に向かって言った彼は、ふっと笑う。それは嘲笑(ちょうしょう)だった。笑うしかないのだ。

 他人によく『バカなの?』と、言うライカだが、誰よりも自分がバカなことは知っている。知っているからといって、どうやったら変えられるのかが分からないのだ。来る日も来る日もそんなことばかり考えているのも馬鹿馬鹿しかった。


『たまには出かければいいのに。ずっとここにいて、暇じゃないの?』


 出かけ際に、瑠衣はそんなことを言っていた。逃げ出すな、と言う割に、出かけてもいいというのはおかしいと思うライカだったが、恐らく瑠衣は何も深く考えていないのだろうな、と息をついた。それに結局は、黙って逃げ出す気も起きないのだから。

 自分は、本当におかしなことばかり言いながら生きているように思えた。


「出かける……か」


 特に用事もないのに、出かけて何をすればいいのだろうか。そう思いつつも、ライカはテレビを消して立ち上がる。このまま寝転がっていても仕方がないのだ。頭を切り替えるためには、外に出ることも必要なのかもしれない、彼はそう思う。


「とはいえ……」


 何をすべきかが、彼にはまるで分からないのだ。分からないことだらけだった。

 それでも、家に帰らないことだけは決めていた。家とはいっても、家ではない。家の形をしているだけで、そこにもどこにも、彼の家族はいないからだ。


 今どきにしては古ぼけた玄関のドアの前に立ち、瑠衣が買ってきたスニーカーを見おろす。クラスメイトの間でも人気のキャンバススニーカーをコピーした安物であろうそれにそっと指をかけた瞬間ふと、『期限を決めなさいよ』と、彼女に言われた言葉が蘇った。


 瑠衣の提案はこうだった。


闇雲(やみくも)な家出なんてかっこ悪いじゃない。とにかく、どうせ失踪なんか出来ないんだからね、気持ちに整理つけて帰りなさい。それなら、ここに住んでいいから』


 住まわせてくれ、などと頼んだつもりはなかったが、行く当てがないのも確かだった。『どうせまたバターン! って倒れるだけよ』などと言われてしまうと、返す言葉もないライカなのだ。


「はぁ……。なんでもいいよ、歩け」


 自分に言い聞かせるように呟くと、つま先を地面に叩きつけながらドアを開く。

 飛び出してしまった以上は進むしかない。その道を選んだのは自分だということは、彼にだって分かっているのだ。



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