4.他人よりか近い、ふたり(3)
航のように、家に帰らない子供が増えるのが嫌だった。だから出会った頃、必ずライカを家に帰すと心に決めていたことを思い出す。それなのに、なぜだか瑠衣の胸がぎゅっと痛んだ。ライカは、どこかから逃げてきただけで、自分は一時的な避難場所。そんなことは理解していたはずだった。
鼻をすすると、長ネギを引っ張り出してまな板の上に置いた。いくら何でも白がゆはどうかと思ったのだ。いつでも自炊は面倒くさい瑠衣だが、ネギくらい刻める。卵も入れよう、と冷蔵庫の扉を開くと同時に気が付いた。肝心の米の支度をしていなかった。信じられないミスだ。一体、何を作ろうとしていたんだろう、と笑いながら、一合分の米をカップですくって研ぐ。
そしてふと思い出す。米を研ぐのは、いつもライカがやってくれていた。仕事で疲れて帰ってくると、いつも炊飯器は予約状態になっていた。それは瑠衣が目を覚ます頃にちょうど炊けるように、セットされていた。炊飯器なんて、米と水を突っ込んでスイッチを押すだけ、だと思っていた瑠衣は、予約炊飯があることを知らなかった。
呆然と『すごい……』と呟いた瑠衣に、ライカは大爆笑していた。『今どき炊飯器も使えねぇのかよ』そう言って笑っていた。彼はまた笑ってくれるだろうか。少しでも楽しいと思えるようになるだろうか。ここからいなくなる前に。
ざるで研ぎ終わった米の水気を切っていると、ぽたりと涙が落ちてしまった。慌てて上を向く。泣きたくなんかない。悲しい別れだなんて思いたくなかった。
ライカはこれから前を向くだろう。いや、前を向かせてみせる。そこまでが自分の仕事だと思えた。
決めたからにはやりきる、そう誓うと、カーディガンの袖で涙を拭った。気を紛らわせようと、鍋に移した米と水を弱火で煮ている間に、ネギを刻んでしまおうと包丁を手に取った。しかしいつの間にか目に溜まった水分が邪魔で前がよく見えなかった。
「あー、なにこのネギ……。すごく染みる」
自分に言い聞かせるように呟いた。涙が出るのはネギのせいだ、そんな風に言い訳にしていたら、気が付いたときには、それを丸々一本を刻んでしまっていた。
本当におかしくてたまらない瑠衣は、今度は笑いが止まらなくなった。笑っているのか泣いているのか分からなくなって、キッチンに置きっ放しになっていた折りたたみの椅子に座り込むと、壁に頭をもたせかける。
面倒くさがりの瑠衣でも、おかゆだけはちゃんと作る。生米から作ったおかゆはとてもおいしい。病気のときなど、ほっとしたものだ。体調を崩したとき、いつもそれを作ってくれていたのは母親だった。
別に仲が悪いというわけでもない。きっと、彼女も子供を独り立ちさせるのに必死だったのだろう。今ならば、それが少しだけ理解出来た。
はぁ、と息を吐くと、瑠衣は立ち上がる。泣いている暇はない。おかゆの続きを作らなくてはならないからだ。鍋の具合を見なければ、そう思いつつ、布団をそっと見る。
ライカは疲れ果てたのか、そのまま眠ってしまったようだった。邪気のない顔で寝息を立てているであろう、彼の様子に静かに微笑むと、ふつふつと沸き立つ鍋の中をぼんやりと見た。
「ご飯……食べられるかなぁ」
ぽつりと呟いた瑠衣は、ヘラを動かしながら時計を見る。あと八分待ってから差し水だ、と思いながら、ずいぶん昔に読んだ絵本で、おかゆが出てくる童話があったことを思い出した。
魔法の鍋におかゆが無限に湧き出る、とかそういった話だったはずだ。 " その魔法のおかゆを食べた村人は、陽気で楽しく、いつまでも幸せだった " 。確か、そんなような終わり方をしていた記憶だった。
「魔法のおかゆ、とか……つくれたらいいのにな……」
そんな魔法が使えたなら、きっとライカを笑顔に出来るのに。瑠衣はなんだか切なくなって、静かに目を伏せた。
先ほど目に入ったマリーゴールドの残像はまだまだ美しい。コップに活けられたまま、枯れる気配すらなかった。瑠衣は、何だかそれを本当に枯らしてはいけないような気がしていた。もちろん、切り花なのだからいつか枯れてしまうだろう。それでも萎れて欲しくなかった。そのままで――美しいままでいて欲しい。
なぜだかそんな風に瑠衣は思っていた。