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5.大将の全部大盛り宣言


 ごめんなぁ、ごめんなぁ、と大将は言い続けた。あしらうのが面倒になってきたライカが「ホント、大丈夫ですから」と言い切ると、彼はやっと黙った。


 先に降りていったユイを追いかけて一階に行くと、大将に袋いっぱいの氷を渡された。「冷やした方がいいよ」とやはり彼はしつこかった。言われるがままに、袋に顔をうずめながら様子をうかがってみると、ふたりともライカのことなどすっかり忘れたように、近況報告をし合っているようだった。


 これは怒っていいところなんじゃないか? ライカはそう思うが、何だか楽しそうなふたりを見ていたら、別になんでもいいか、という気持ちになった。


 笑顔のユイにほっとするのと同時に、どっと疲れが吹き出してくる。あんなに怒鳴り続けたのは、生まれて初めてかもしれない。今まではそんな必要はなかった。誰に対しても本気で接していなかったからだ。


 ──好かれているといっても、それはただ、あいつにとって都合がいいだけじゃないか──


 そんなことは、最初から分かっている。ただ、それに合わせているだけのはずだった。それなのに、なぜこんなに心はざわつくのだろうか。なぜ、胃の奥が痛むのだろうか。


「兄ちゃん……本当にごめんなぁ。しつこいけどよ。でも、ごめんな」


 声をかけられて顔を上げると、大将が心配そうにライカを見つめている。ユイの姿はどこにもない。きっとトイレにでも行ったんだろう、などと思いながら曖昧な表情のまま、彼に対して静かに首を振る。


「あとで具合が悪くなったらココ、連絡してくれよな」


 その言葉と共に、店の名刺のようなものを差し出され、頷きながらそれをポケットに滑り込ませる。ライカは連絡などするつもりはなかったが、それでも大将の気持ちは嬉しかった。

 ライカが頷いたことに満足したのか、彼は「いやぁ」と呟きながら、大きな身体を縮めるように、隣のイスに腰掛ける。


「殺すの殺さねぇのって……なんだか物騒な話してたからさぁ」


「……あぁ……そう……。そうですよね」


 やはり聞こえていたのか、とライカは小さく笑う。確かに、会話だけ聞いていたのだとしたら勘違いされてもおかしくはない。

 大将にとって、ライカは知りもしないただの男で、かわいがっているユイの敵だと認識するのは容易に想像出来た。


「……あのなぁ、ちょっと照れくさいけどな。オレらんとこ、子供がいなくてなぁ。ホントにユイちゃんがかわいくてな。かみさんなんか、娘にしたい! なんて言っててな。だからかな、ムキになっちまった。勘弁な」


「……いや、大丈夫です。顔は、かすめただけみたいだし。頭はちょっと痛い……けど」


「悪かったなぁ、本当に……。いやぁ……なんてぇかなぁ……。ほら、あの子……どっか危なっかしいとこあるだろ? なんか心配でな。ちょっと気にしすぎたな、オレぁ」


 大将の言う通り、ユイは危なっかしい、とライカは大きく頷いた。あんなに大きな態度でものを言うくせに、時折、不安げな顔をする。そして、先ほどの話を聞いて、きっとあの横暴さは虚勢なのだろう、と思えた。この大将というひとは、それを知っているに違いなかった。


「おれ……どうしても聞き流せなかったんです。だけど、ちょっと言いすぎちゃったし……。いらないこと、すごくいっぱい言っちゃったんですよね」


「そうかい? さっきユイちゃんに聞いたけどよ。あの子はそうは思ってねぇみたいだけどな。ユイちゃん『真剣に話聞いてもらったの久しぶりすぎて、泣いちゃった』って言ういうくらいだからよ、そんなに元気なくすことねぇんじゃないか?」


「……元気ないんですかね、おれ」


 思わずそう返したが、自分が彼にどう見えているかなど、どうでもよかった。そんなことより、なぜユイがこの店のアルバイトを辞めてしまったのだろう、という疑問が湧いた。


 こんな場所を見つけていたのに、彼女はなぜ、マドティのような店に入り浸るのか、ライカには理解が出来なかった。


「あの……。ユイってなんで、おじさんの店を辞めたんですか?」


「それがオレにもよくわからねぇんだよ。なんか事情があるみたいだったけどな」


「そうですか……。もしも、なんですけど、またユイが働きたい、とか言ったら、おじさんは雇ってくれるんですか?」


「なんだい? そんな話があんのかい??」


「あ、いや……。おれが勝手にそう思っただけで……そういう話はないと思う。でも変な店にいるより平和じゃんって思って」


 驚いた様子で目を見張る大将に向かって、ライカは慌てて訂正をする。ユイに聞かれたらそれこそ殴られそうだった。辺りを見回すが、彼女はまだ戻ってきていないようだった。そんなライカには気付かず、大将はあごをさすりながら唸った。大柄な彼が、斜めに傾いて悩むのは何だか似合っていなかった。


「本当はなぁ、オレらはバイトを続けて欲しかったんだけどな。ユイちゃんがいると、店が明るくなるからよ。まぁもしそんな話になったら、いつでも大歓迎って言っといてくれよ。あの子にどんな事情があるのか知らねぇけどな。そうかい、変な店か……」


「いや、いいんです。気にしないでください」


 呟いて唇を噛んだライカはそっと目を伏せる。ユイはここに戻りたがらないだろう。一度離れたのにも理由があるはずだった。

 そして彼は思い出す。この ”言わなくてもいいはずのことを言い合ってしまった” きっかけが『マドティに来るな』という話だったことを。考えることは山ほどあった。


 うつむき、足下を眺めた。日付の感覚が狂っていなければ、深雪の家を出て、もうすぐ四週間になる。最初は真っ白だったスニーカーも随分と汚れた。ところどころ、茶色くなったつま先の部分を擦り合わせながら、色々と思い返した。


 頭を打ったからか、ものすごい量の情報が一気に入ってきたからか、気持ちの整理がまるで付かない。家を出てから、自分にまだ感情というものが残っていたことに驚かされることが連続して起きた。意識して消そうとしてきたし、それが出来ていると思っていたのに。

 あれやこれやが溢れてきて、脳内が制御不能になっている。いくら考えたって、答えなど出ないというのに。


「……来夏、大丈夫?」


 遠慮がちな声が聞こえて、ライカはまた顔を上げた。さっきまで隣にいたはずの大将は厨房に戻っていたし、目の前にはユイがいる。もしやずっと何も聞いておらず、考えごとをしてしまったのではないかと、ライカは少し焦った。


「……ごめん、ぼーっとして」


「んーん。……いいよ」


 イスを引いて、ユイも座り込んだ。ライカは無言で頭を冷やし続け、彼女もうつむいたままだった。お互い言葉など出ないのだ。組んでいた足が痺れ始めた頃、ユイが小さく声をかけてきた。


「……お会計、しておいた。いつでも帰れる」


「あぁ……うん」


「帰ろっか?」


 ぼんやりと呟いたユイの言葉に、ライカは静かに立ち上がった。足先がビリビリしていたが、無視してトントンとつま先を床に叩き付ける。


「兄ちゃん! やっぱ、新しい氷持ってきな」


 ぼんやりしていたライカは、大将が差し出したとびきり大きな袋を思わず受け取ってしまった。返すのもおかしい気がして、礼を言おうとしたのに「はぁ」という気の抜けた声しか出せなかった。

 優しい目をした彼は、そんなライカの返答など気にも留めていない様子で、にこりと笑うと「今度は、腹減ってるときに来てくれよ! もう全部大盛りにすっからよ」と言いながら、台拭きを片手に店の奥へと入っていった。


 一瞬、頭の中を通り過ぎていった想像上の彼の大盛は、とんでもなく山盛りだった。とても食べきれないな、などと来る気もないのに考えてしまう。


「すごい。来夏、氷売りになれそう」


「……うん」


 それも悪くはないか、などと思いつつユイと共に出口に向かうと、大将が「気をつけて帰れよぅ」と、威勢のいい声で見送ってくれた。ユイは手を振り、ライカは頭を下げた。

 のれんをくぐると、目の前に灰色の狭い街が広がる。死んだような街だ、と改めて彼は思った。


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