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4.フローズンサマー(2)


 絶対に、もう『聞こえない』と言われないように。部屋の外に出ようとしていたユイは「え?」とでも言いたげな表情を浮かべる。それを受け止め、ライカは真顔のまま言葉を繋げる。


「なんでユイが悪いの? なんで? どうして誰もいないんだよ。なんで逃げるんだよ。なんで誰もユイを守ってやらないんだよ? どいつもこいつも、自分のことばっかじゃねぇか!! だいたいさ、誰がユイが悪いなんて言ったんだよ。……親だろ? 自分たちにだって責任あんのに認めたくない、だから全部ユイのせいにした──おれにはそう聞こえたんだけど??」


 自然と語気を強めて言い切ったライカの中に違和感が生まれる。他人のことなのになぜこんなに腹が立つのだろうか、と。


 それと同時に他人だからこそ、腹が立つんだろう、とも思えた。ユイの代わりに怒ってやらなければいけないような気がしたのだ。そうでなければ、誰が彼女の両親の無責任さを批判するというのだろうか。


 眉間にしわをよせながら、ユイの後ろ姿を眺めていると、彼女は踏み出していた足を引っ込め、ふらりと座敷に戻ってくる。そして、柱に寄りかかりながら「あはは」と乾いた笑い声をあげた。


「ホント、来夏って優しいね。あと……大人より大人で、ちょー気持ち悪い」


「……優しいとかじゃねぇわ」


 彼女が言うように、ライカは大人より大人のように――そうなりたいと、背伸びした考え方の癖を付けてきた。誰も信用出来ないからこそ、自分にとっての理想の大人を頭の中に住まわせたかった。それを外に出すことはないとしても。


 それに、大人の振りをする方が楽だったし、今でもそうだ。消えて欲しいといくら望んでも、感じる心は完全には消えてはくれなかったからだ。しかし、そうすることで何となく、胸の痛みが減るように思えた。どうしても、全ては些末(さまつ)なことだと思っていたかった。他人にはそれが、大人のように振る舞っているように見えるのだろう。


「来夏さー、無表情でいたかと思ったら、突然キレるから……ホント、びっくりする」


「……ユイ、無視するから」


 自分でも妙なことを言ったのは分かっているライカは、髪を掻き回した。そんな彼の様子を何とも思わないように、ユイは笑みを浮かべて口を開く。


「なんかねー。さっきみたいなのさ……言ってくれるひと、いなかったな。妊娠わかったときね、家族はあたしを責めたんだよね。みーんなで。誰も優しい声、かけてくれなかった。一度だってなかったな。『なに考えてるんだ』とか『おじいちゃんになんて言うの』とか……そんなのばっかで」


 淡々と話すユイの口元にはずっと笑みが浮かんでいた。呆れているような、そういう笑みだった。ふたりの後ろにずっとあった喧噪はすっかり消え去って、辺りは静寂に包まれている。


「ホント、クソみたいなことしか言われなくて。まあね、あたしがクソなんだから仕方ないよね。……うん。確かにね、誰も助けてくれなかった。でも、そんなの当たり前じゃんって思う。だって、あたしの存在なんて、誰も見てなかったんだよ。親たちが思い描いたように、いい大学に行って、いい会社に入って、年収の高い男と結婚して、孫を抱かせてくれとか。そんなの──そんなの別に、あたしじゃなくてもよかったんだよ……。そう……全然……あたしじゃなくたって」


 無表情な声色に、ライカは何か言おうと開きかけた口を閉じる。声をかけたいと思っても、親たちがどんな風に子供に幻想を抱くのか──それが彼には分からない。家庭というのは、どういうことが起きるものなのか。親とはどういう存在なのか、総じて記憶にないのだ。


「親はいつも "永田家の娘としての私" を見てた。ユイなんていなかったんだよ、どこにも。そうだよ、あたしなんて──ユイなんか必要なかった。だって誰も見てないんだから。ホントに、あたしってさ? なんのために生きてるんだろ? 親のかわいいかわいいお人形? だったらそういうの、買えばいいよね。お金いっぱいあるんだから。あの家、結構お金あるんだよ。そのおかげで生きてこられたのも事実なんだろうけどさ。それで楽してきただろって言われたら、そうなんだけどね。そんなこと言われても知らないっていうか、関係ないっていうか」


 彼女は気付いていないようだったが、ライカから見たユイの様子はとてつもなく虚ろだった。ふと、過去に施設で見た、話せなくなった子のような、上手く言葉に出来ない異様さを感じた。

 彼女の言葉はまるで独り言だった。明らかにこちらを見ているのに、誰にも向けていない言葉たちなのだ。「あの……」と呟くが、それもあっさり無視された。


「ていうかね、あたしは来夏みたいに親が側にいないとかもでないし。幸せだったんじゃない? でもなんか、空っぽなんだよね。あんなのなら、いなくていいと思う。ホント、おままごとみたいで。だからあたしって人形なんだなって、ちっちゃい頃から思ってたんだ。別の子、どっかから連れてくればいいのにって。……思い通りになる人間をさぁ。どこからなにを連れて来るのって笑っちゃう。でも、今でもときどき、そうやって考えちゃう。あたしの意志なんか、いらないんじゃん。あたしは、人形でいなきゃいけなかったんだ、きっと」


 ユイはとどまることなく話し続け、言葉を挟むことなど出来なかった。

 しかし、ライカは言いたかった。彼女が繰り返し言う "人形" という単語が、自分に付けられた "マネキン" というあだ名と、とてもよく似ているということを。


 去年のライカは転入生だった。中途半端な時期の新入りは、意味もなく目立った。東京に来てだいぶマシになったとはいえ、無意識に出てしまう方言のせいで寡黙になったことと、自覚のある死んだような顔付きが、クラスの中で浮いた結果、何ともいえないあだ名が付いてしまった。誰が言い出したのかは知りもしなかったが、そっちがそう言うのなら、本物のマネキンになってやろうと、完璧な "名は体を表す" を目指した。そんなライカと、人形扱いだと憤るユイと、反応の差はあっても、心に抱えたわだかまりは近いはずだった。


「……おれだって人間扱いされてないから、クラスのやつらに。マネキンとか呼ばれてさ。冗談なのかもしんないけど、笑えねぇし、だったらその通りに、人間じゃなけりゃ、マネキンみたいになれたらって思ったよ。ユイが言ってる話とは違うけど、要は同じじゃん、違う?」


 語りかけるライカの言葉に、初めて気付いたようにユイは視線を移した。疲れた表情で彼をじっと見つめるユイは微動だにしない。ただ黙って話を聞いている。


「無理なんだよ。どれだけ無感情になろうとしたって。出来てないと思う。だっておれ、生きてんだもん。こんなの、ずっと誰にも言ってこなかったし忘れようとしてきたけど……。でもユイには言う。もうやめようよ、そういうの。おれ、ホントはマネキンなんかなりたくもない。ユイだって親の持ち物じゃないし、人形でなんかいる必要ない。ユイはユイだし、おれだってどうやったって人間だから。……おれら、生きてるんだから」


 ユイの返事はすぐ来るものと思っていたのに、彼女は黙っている。

 ライカはその沈黙に、自分の発言の薄っぺらさを感じ、げんなりするしかなかった。必死に伝えようとしたところで、どこかで聞いてきたような言葉を切り貼りしたようになってしまう。


 しかし、才能が足りない、とため息をついたライカに向かって、ユイは微笑んだ。「来夏ってなんか、一生懸命なんだなあ」と呟いた。


「あたしね、自分が自分のものだなんて思ったことない。ホントに欠陥品なんじゃないかってそう思ってるんだ。人形以下なの」


「誰が決めたんだよ。誰だって欠陥なんかあるよ」


「……がっかりされてばっかじゃね、そんな風に思えないよ」


「がっかりされるってなに? 親がそう言うの?」


 こくりと頷いたユイから目をそらして、膝の上の拳を握りしめる。ライカには想像も出来なかった。一緒に過ごしている親から失望されるなど、死刑宣告にも思えた。

 じゃあ、親って何なんだろう、と思う。ユイの親は、何を彼女に求めていたんだろう、と。


「ホントに……。あたしが悪いんだ、全部」


「だから違うって。誰が悪いとか、そういうんじゃないだろ。みんな悪いんじゃん」


 すると、うつむいていたユイが顔をゆっくり上げた。その顔は相変わらず無表情だ。そして彼女は微かに首を振った。


(ちが)くない。あたしが悪いの」


「おれの話聞いてる? なんでそうなるんだよ……」


「……ありがとね。来夏の言いたいことはわかってるんだ。でもね、だめなんだ。あぁ……もうなんか……だめだな。あたし……ちょっとだめ」


 顔を覆ったユイが、大きく息をつく。ライカはその様子をただ見つめる。『だめだ』と言われても、どうするべきなのか。彼は見守るしかなかった。言い始めてしまったのは自分だというのに。


「あたしも同罪なの。守ってあげられなかったから。だってさ、本当はあの家から逃げ出してでも、あの子を守ってあげなきゃいけなかったんだよ。だって、生きてたんだから。あたしだけバカみたいに楽しい楽しいーってやってるわけにはいかないし、忘れるわけにもいかないじゃない」


 自分の身体を見下ろしたユイがぽつりと呟くが、ライカには何の話なのか分からなかった。だが少し考えてその意味を──『あの子』が、中絶させられた子共のことだと察すると、血の気が引くような感覚がライカを襲った。


「……なんか、改めて話すと、惨めだなぁ」


「ごめん……」


「さっきから、やたらと謝ってくるけどさ。来夏ってすごく真剣じゃん? あんま嫌とか思ってないよ。不思議だけどそれは本当」


 笑みだけ無理やり貼り付けたような顔で「考えたら、ずーっと惨めなままだなぁ」とユイは呟いた。


「なんかさぁ、あたしみたいなのが母親で、かわいそうだなって……。かわいそう……。お墓も作れなかった……きっとゴミみたいに棄てられちゃったよね」


 そういったことに(うと)いライカでも、中絶手術というものの存在は知っていた。だが、そのあとの "子供" をどうするのかなど、考えたこともなかった。"ヒト" になる前のものは "ヒト" の扱いを受けないのだろうか。


「けどさ──」


 そう言いかけて、ライカは何も言えることがないことに気付いた。事実は事実としてそこにある。一体、何が言えるというのか。でも、ユイの苦しみは理解出来る。だから、何かが言いたかった。


「仕方ないだろ。どうしようも出来なかったんじゃん」


「仕方ない……。そうだね、仕方なかった。だけど、あの手術がどういうものなのか、わかってたと思う。だからね、あたしも人殺しなの」


 真っ直ぐに見つめてくるユイのその表情に、ライカは怖じ気づいた。大抵のことは『そうですか』と無視出来る自信があった数週間前の自分がいかに馬鹿であったか、痛感しながら唾を飲み込む。


 こんなにも、興味本位を嫌っているのに、衝動的なくだらない理由でユイに身の上話をさせてしまったのは己ではないのか、ライカは自問自答する。だが、綺麗な答えを出す余裕は、彼にはなかった。


「殺しちゃったんだなぁって。あたしが、殺しちゃった……」


 ふいっと顔を背けると、ユイはそう言った。「そんなことない」と続けたライカの言葉を遮った彼女は「そんなことあるよ!」と叫んだ。


「だって、あたしの中にいたんだよ? いたのに、殺したの……! あたしも見てみないふりしたんだよ!! 親と変わんないじゃん!! あたしがあの子の親なのに!!」


 堪えきれなくなったのか、ライカに背を向けていたユイは突然、声を大きくした。激高とも言える様子にハッとして立ち上がる。彼女は明らかに錯乱しかけていた。本能的に止めなくてはいけないと身体が動いた。

 足を踏み出すが、慣れない畳のせいで滑ってしまう。それでも何とか体勢を立て直すと、呆然と立ち尽くしているユイとふすまとの間に割り込んだ。


「ちょっ……っと!」


 何をどうするのか、まるで見当も付かなかったが、話を変えよう、その一心でユイ肩に触れると、彼女はさらに怒鳴った。


「触んないでよ!」


「──うっさい! 黙れ!!」


 声を(あら)らげたライカの言葉を聞いて、ユイが一瞬だけ怯んだ。ぐいとユイの手首を掴むと、彼女の顔がぐしゃっと歪む。


「放してってば!」


「殺した殺したってそんな、何度も言うなよ!」


 彼女が黙った隙を突いて、ただ浮かんだ気持ちをユイにぶつける。それはずっと決まっていたかのように、口から飛び出した。


 様子を窺うだとか、気遣いだとか、そんなものはどうだっていいと思えた。感情を吐き出すことにもう躊躇いはなかった。きっと自分以外には誰も、彼女に何も言ってやらないのは、よく分かったからだ。


「充分傷ついてるだろ!? 自分が殺しただなんて、そんなこと言うなよ、自分ばっか責めんなよ!」


 ライカは手を振り払おうと暴れる彼女を、無理やりにぎゅうと抱きしめた。

 妊娠など、その類いの話など聞いたことがなかったライカは、それについて考えたこともなかった。自分に置き換えるのも難しい。だから、彼女の気持ちの全部は、理解出来ない。だが、ライカの胸は痛かった。そして、どうにかしてユイを落ち着かせたかった。力を込めてみたら、ユイは嘘のように大人しくなった。泣いているのか「なんなの、これ」と呟いた彼女の声は震えていた。


「どこが大丈夫なんだよ。……全然ダメじゃんか」


「……だいじょぶだってば。やめてよ、抱きつくの」


「抱きついたからなんだよ、今さらすぎるだろ」


 ライカがそう呟いた瞬間、すぐ後ろでぴしゃっとふすまが開く音がした。続けざまに「てめぇ! ユイちゃんになにしやがる!!」という大将の声が聞こえる。

 何事かと振り返ったところをユイから引き剥がされ、すぐにあごに衝撃が走った。


 ライカとユイは部屋の出口近くで揉み合っていたため、柱か壁か定かでないが、頭を打ちつけたうえに、階段から落ちそうになる。すんでのところで手すりを掴むと、どこが痛いのか分からない身体を抱えた。


「オレぁ、頑張れとは言ったよ! でも無理やり襲って泣かせろなんて言ってねぇんだぞ!」


 腕の隙間から見上げると、大将がお玉を構えて鬼のような形相で「警察呼ぶからな! この野郎!!」言った。もうどうだっていいような気がしたライカは頷いた。警察でも殺し屋でも、誰でも呼んでくれればいい。好きにしてくれ、と思う。


「ちょっと待っ! 待っておじさん!! 違うの! 来夏はね、……このひと、来夏っていうんだけどね、あたしの悩みを聞いてくれてて、ほら! あの……フラれてね? ……そうそう、あたしさ、彼氏にフラれちゃって、それでね??」


 ユイが間に入るのを確認すると、防御するのをやめて頭をさする。必死に言い訳をする彼女の声を聞きながら、 "こいつ、ウソが下手だなあ" と思う。くらくらする頭をひと振りすると、ライカはそのまま床に寝転んだ。


 怒鳴り声から数秒の間に、何が起きたのか把握出来ないまま、見事に殴り飛ばされていたようだ。恐らく、下の階まで届いていた声を聞いた大将が、心配して乗り込んできたのだろう。

 どういう状況だよ、とライカは何だか笑えてきた。取り敢えず、あごがちゃんと開くか確信していたら、ユイの下手な嘘を鵜呑みにしたらしい大将が、心配そうにライカに声をかけてきた。


「ごめんな、兄ちゃんオレぁてっきり……」


「来夏! 大丈夫?!」


「はぁ……まぁ……。大丈夫……っす」


 無様に廊下にひっくり返ったままライカは答え、両腕を額の上で組んだ。


 まさに踏んだり蹴ったりだ。あごも頭も痛いといえば痛い。しかし、どうにも誤解されやすい自分の存在の方が痛々しいと思うライカだった。




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