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1.子供しかいない国


「よーぉ、なんで昨日、来なかったの?」


 妙に身体が重くて、テーブルに突っ伏していたライカは、肩を叩かれてゆらりと顔を上げる。

 彼は瑠衣が嫌がる "偉さの違う猫" の店に、今日も来ていた。ここに通うようになってから、ユイの他に数人の少年と仲良くなった。声をかけてきた、ハルトもその中のひとりだ。


「……寝てた」


「はー、そうなの。ユイは?」


「……知らね」


 まだ本調子ではないようで、頭痛は続いていた。かといって、ひとりで瑠衣の部屋にいると色々と考えてしまう。

 頭がおかしくなりそうだったライカは、こっそり出かけてきたのだ。グルグル回っているようなこの頭で、まともにひとと会話が出来るのか不安だったライカだが、このハルトの反応を見る限り、普段と変わらない様子でいられているのかもしれない、とライカはほっとしていた。


 気がかりは『静かにしてなさいよ?』と、厳しい口調で言いつけて家を出て行った瑠衣の忠告を無視して、ここにいることだった。

 だが、瑠衣が帰宅する前に戻れば、何ら問題はないと思い直す。

 あと何時間か、ここで時が過ぎるのを待つだけだ。


 頬杖をついて、ぼんやりと辺りを見回した。ざっと十五人ほどはいるのではないだろうか。恐らく学年も性別も様々だが、ひとつだけ共通していることがあった。全員、子供である、ということだ。まるで、子供しか住んでいない国のようだった。


 この店に出入りする子供たちは、何かしら家庭に面倒な事情を抱えている者が多いらしい。そう、ユイが言っていたことを思い出す。

 ライカもそれに類することは間違いないが、ここに現れる少年少女は皆、どこか投げやりで、自分よりもよっぽど目に見えて荒れていた。


 何があるのかは知りもしないが、揃いも揃って(すさ)んでいた。誰もが、禁じられていることを敢えて、やっているように見えた。悪ぶっているというよりは、自らを傷付けている、そんな印象だった。そんな異様な空間でも、ここはとても居心地が良かった。

 他人と話すことといっても、特に中身のない(たわむ)れがほとんどだ。


 しかし、学校のクラスで皆がするそれとは少し違っていて、ここの人間は、世間が求める ”あるべき姿” を強要しない。そのときが楽しければよくて、その "楽しい" の尺度が違えば、無理をして会話する必要はなかった。

 それはライカにとって好都合だった。他の子供たちもまた、同じなのだろう。


 ユイに、『ここでは家の話は禁句だからね』と告げられたが、ライカは元より、聞かれても話すつもりなどなかった。誰が好き好んで、自らの家庭環境の劣悪さを話すというのだろう。


「なあ、クミっておっぱいデッカくね?」


 ハルトが隣に腰かけながら声を小さくして同意を求めてきた。その顔は、本当に幼稚だった。ライカにはそれが、そんなに鼻息荒く言うことだとは思えなかった。

 ユイからの誘惑に勝てなかった自分が偉そうに言えた義理ではない。しかし、ただそこにいるだけの、服を着た女子の胸がどうこうなんて、頭が忙しいライカは考えないのだ。


「……はぁ。まぁ……デッカいんじゃね?」


 適当に相づちを打ちながら、頬杖のまま視線を上に移動させ、天井を眺めた。

 薄暗い中で目に入る、コンクリート打ちっ放しの壁と天井は酷く無機質だ。ライカは何だか、生きていることを忘れそうな、そんな気がした。


「なんかさぁ。ライカって女、興味ないの?」


「……興味?」


「だって、全然遊ばないじゃん。あ、待ってそっか。ユイがいんのか」


「……ユイがいるって、なに?」


「だって、付き合ってんじゃないの?」


「へぇ……?」


 ライカは思わず笑ってしまった。あんな関係のどこが、付き合っているという状態になるというのだろう。

 彼女というものが出来たことのないライカにだって、"お付き合いする" というのと "ただ慰め合う" というものの差くらい分かる。


「なんだよ。なにがおかしいんだよ」


「いや……。ハルトは? 遊び回ってますか」


 内心どうだってよかったが、話の流れ的には聞いてやらなくてはいけない気がしたライカは、問いかけた。「まあねぇ、そこそこにねぇ?」と、ハルトは照れたように笑いながら、煙草に火を点けると、ライカに向かって箱を差し出す。


「いる?」


「……もらっとく」


 幼く見える彼が、一体どこでこれを手に入れているのか察しが付かなかったが、そういったことも探り合わないのが、ここのルールだった。


「でも、変じゃね? ユイっていっつも大人ばっか狙うじゃん」


「……知らねぇよ、おれに聞くなっての」


 自分では普通に返事をしたつもりだった。しかし、客観的に考えればまるで会話に興味がないことが透けて見えるセリフになってしまった。

 まあ、仕方がない、本当に興味がないのだから。そんな様子のライカと目が合ったハルトは肩を竦め、笑う。


 今日以外にも何度か、煙草を吸えと押しつけられたことがあったが、はっきり言って未だに、煙を吸い込むことに何の意味があるのか分からなかった。

 そんなことを考えながら煙をふかしていると、ハルトが声のトーンを変えて身を乗り出した。


「まあな! おまえ、大人っぽいもんな! 顔いいしな。つってもこの部屋に入れるんだから子どもなんだろ?」


 この店には、さらに変わったルールがあった。今、ライカがいるこの部屋は、店の一番奥にある。隠し扉、というと大袈裟だが、よくあるパターンから外れたところに出入り口があった。そこを通過するには "門番" と呼ばれるスーツ姿の大人に面通ししなくてはならなかった。その "門番" は交代制らしく、ライカが知る限り三人はいた。


 どういう特技か知らないが、彼らはすぐに顔を覚えるようで、許可されてない人間は入ることが出来ないらしい。もっとも、その入ろうとした "許可されていない人間" がどうなったかを、誰も知らなかった。単なる噂話なのかもしれない。


 なぜ子供でないと入れない、なんていう信憑性(しんぴょうせい)のない話が広まったのか、疑問には思ったが、そんなことはライカには関係なかった。誰も詮索しない、何をしていても気にされない、この空間がライカには必要だったからだ。


「あぁ……そっか」


 ハルトが言った『子どもなんだろ?』という言葉に返事をする前に、ライカは置きっぱなしだった水をひと口飲んだ。


「紹介がないと入れないんだっけ、ここ。ユイが話通してくれたんだよ。別に年齢確認もなかったけどな。ま、どうやって確認すんだよって話だけど」


「そっか、ライカはユイが連れてきたんだっけ」


「あぁ、まあ。なんていうか……捕まった」


「ユイっぽいな。おれ、マサヤに連れてこられたんだよね。あいつ、外ではめっちゃ真面目らしいぜ? おっつ、これ以上は言えねぇや」


「あー、そうなの」


 まあ、なんだっていいけど、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで、ライカは話題を変える。


「……なぁ、マドティってケーサツ来ねぇの?」


 ずっと気になっていたことだった。これだけの未成年に見える人物が終日集まっていては、目を付けられるに決まっている。

 ユイの話によると、マサヤは今年から大学生で一番長く、ここに出入りをしている人間らしかった。ハルトはマサヤと仲がよい。だから知っていると踏んだのだった。


「あー。去年かな? サツ入ったらしいけど、なんか上手いこと誤魔化したって言ってたよ」


「ふぅん……」


 "マドティ" とは、皆が使うこの店の通称だ。長ったらしい名前を付けずに初めから、そういう店名にすればよかったんじゃないかと、ライカは思ってしまう。それは(ひね)くれているからこそ思うことなのだろうか、などと考えながら、煙草の灰を灰皿に落とした。


「やーーっほ!!」


 黙々と、煙と灰を量産し続けていたライカの背中に、朗らかな声とともに衝撃が走る。押されたせいでぶれた煙草の火が、鼻先をかすめた。ライカは慌てて腕をずらす。危うく当たるところだった。


「あっぶね!! ……殺す気かよ、ユイ」


 上半身を捻って後ろを見上げると、冷めた目をした彼女が「死なないでしょ、来夏は」と笑う。


「……はぁ? おれは不死身なんですか、そうですか」


 苦笑いで呟いたライカが乗せていた足をぐいと押しやって、彼女はイスに腰掛ける。

 イスはちゃんと人数分あるのに、どうしてわざわざ自分が足を引っかけていた場所に座りたがるのか理解が出来ない。ユイがライカに固執しているのは間違いない、以前そう思ったが、それがなぜそこまで執拗なのか、彼にはまだピンと来ていなかった。


「外、あっついんですけど! 汗かいちゃったぁ」


「お疲れぇ。ちょうどユイの噂してたとこだぜ?」


「えー、なになに? かわいいって??」


「そーそー、かわいいって話ぃ……って、んなわけあるかよ!」


 ハルトはふざけてユイの肩を叩き、彼女はゲラゲラと笑う。ライカには全くもって茶番にしか見えなかったが、ふたりが楽しそうだから良しとして、また火傷をしそうになる前に右手の煙草を揉み消した。


「来夏は……今日も暗いわね」


「黙っとけよ。気分悪い日だってあるだろうが」


 ユイはふんと鼻を鳴らすと「つまんないのー」と言いながら、ぐいと肩にのし掛かってくる、何の匂いなのか知らないが、ふっと煙いような甘い香りが漂ってきて、色々思い出したライカは目を泳がせた。こんなことをするから付き合っている、だなんて言われるのだ。いちいち距離が近い彼女から身を引くと、ライカは口を開いた。


「重い……。乗るな、寄りかかるな。おれは背もたれじゃない。それにね、別におまえを楽しませるために生きてんじゃねぇから。なんだよ、もう酔ってんの?」


「酔ってないし。……あんたは水にしときなさいよ?」


「水だよ、ずっと水だよ。あんなんもう飲みたくねぇもん」


 そもそも、こんなに気分が悪いのに、酒なんか飲んだらどうなるか分からない。それに、ライカはここで飲む酒など、二度とごめんだと思っている。


「だいたいさ、なに言ってんだって話だよ。あれ、ユイが飲ませたんだろが」


「だから! 悪かったって言ってんでしょー。もう……何回謝ればいいわけ??」


「永遠に謝れ」


「……ねちっこいなぁ、もう」


 唇を尖らせたユイが、覗き込んでライカの頬を(つつ)く。無駄に触るな、と言いたくなった彼だが、それよりも口を開く方が面倒だった。


「来夏ってさ、毎日そんな仏頂面してて疲れない?」


「……ヘラヘラする方が疲れるっつの」


「──ねぇ、パフェ食べたい」


「……ぱふぇ……?」


 ユイの話が突然に変わって、混乱してしまう。それはいつものことだったが、いつまでも慣れることが出来ないライカだった。

 ライカを挟んで隣のハルトにも、身を乗り出し「ハルトは? 食べない?」などと問いかけ始め、話が見えない──と呆れるしかない。


「えー、おれはいいわー。あんま好きじゃない、そういうの」


「ふーん、残念。じゃあ行こうよ、来夏」


「……おれの好みは聞かないんですか?」


「アンタは、なんだって喜ばないでしょ」


 至極当然、といった表情で言い切るユイを、無視しようと目を伏せるが「ほら、行くよ」と、ぐいと腕を引っ張られる。


「いっや! いらん、パフェなんか」


「美味しいよ? 行こうよー」


「なんでだよ、誰だっていいじゃんかよ! お友達いっぱいいんだろうが」


 ライカは精一杯、拒否をする。いつもの状態だったら『奢ってくれるなら』くらいのことを言ってついて行ったかもしれない。

 しかし今、パフェなど食べたら確実に吐きそうだ。正直言ってなんであれ、口にしたくなかった。


「……じゃあ一緒に帰ろうよ」


「は」


「もう帰った方がいいって」


「……なんでおれのスケジュール、勝手に決めんの?」


「勝手に決めてないわよ、一緒に行こうよってお願いしてるの」


「……やだって言ったら?」


「んー。プチ(・・)殺す?」


「……なんだよ『ぷち(・・)』って」


「なんか、かわいくない? 流行んないかなー」


 ユイは鼻歌混じりで立ち上がると、にこりと笑う。黙ってればいいのに、ふっと彼女の笑顔を見て思う。


「……で? どこに行くんだよ」


 壁の時計を見ると、短い針が十の辺りを指していた。いつの間にか、何時間も経っていたことに気付く。ここにいると時間の感覚が狂ってしまう。


「えっ? 来てくれるの?」


「言っとくけど、おれは食わねぇからな」


 動くのは怠かったが、ハルトの女遊びの話を聞かされるのも飽き始めていた。

 どこに行ったって同じだ。ただ、時間を潰すため。ここにいる誰もがそうであるように、ライカもやりたいことなんて、ひとつもなかったのだ。


「やった、行こっ」


 嬉しそうにユイが言う。やれやれと立ち上がると、跳ねるように歩く彼女の後ろについて進む。何だか初めて会ったときから、この背中をずっと見ているような気がしているライカだった。暗闇と同化しそうなスーツを着た彼らも交代の時間のようだった。見たことのある顔がふたつ、並んでいた。

 通り過ぎざまにユイが「ご飯食べてきまーす」と告げると、彼らはこちらに一瞥をくれる。


 後ろにライカがいるにも関わらず、ユイは扉を閉めてしまった。嫌がらせのようだったが、恐らくわざとではないのだろう。小さくため息をついてドアノブを捻った瞬間、彼らが小声で話しているのが聞こえてしまった。


「今日の "橋渡し" は誰だっけ?」


「あいつだよ、 "ケンタロウ" 」


「そうか、わかった」


 視線だけずらしてその言葉を聞いたライカは、一瞬止まる。しかし、すぐに前方に向き直ると、ゆっくりとドアノブを掴んで扉を引いた。


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