10.ある魔王の悩み(10)
10話目です。
よろしくお願いします。
魔王グラファンの件も落着し、それから数日の間、ユッカは取材した内容の整理や原稿の作成と、ヒロトについて取材を行う忙しい日々を送っていた。
そう、ユッカは“忙しい”と思っていたのだが……。
「さあ、今日から少し忙しくなるぞ。ユッカの手際次第では、少しではなくなる」
「どういうこと?」
原稿が一通り揃ったところで、ヒロトは今まで作ったページと同じように枠線が引かれたものをユッカに手渡した。
文字は入っていない状態であり、写真などの画像が入る場所も空欄になっているが、今まで使っていたものとは若干手触りが違う。
「版下作製に入る。こっちへ」
ヒロトが誘導したのは、編集部の隅にある大きな機械だった。
机の様な形状になっているが、いくつもの文字が並ぶ大きなガラス面があり、その上にはごつごつした金属のパーツが乗っている。
「これは写植機と言って……まあ、何の機械なのかは見た方が早いな」
そう言うと、ヒロトはその機械の前に座り、ユッカが持っている紙を一枚抜き取り、ガラス面の下部分にセットする。
「これは手動の写植機というやつで、こうやって……」
左手で手前にある取っ手を掴み、ガラス面を動かして紙の上に任意の文字を持ってくると、右手でレバーを操作する。
かチャリ、と小気味良い音を立ててはいるが、見ているユッカには何が起きたかわからなかった。
不思議そうに見ているユッカの前で、同じ動作をしばらく繰り返していたヒロトは、十秒ほどで作業を終え、セットしていた紙を取り出した。
「こうなる」
「文字が……すごい。全て同じ大きさで全然ブレがないわ。同じ文字はまるで鏡に映したみたいに完璧に同じ形になってる」
手書き文字以外を知らないユッカは、初めて『月刊・魔王』の誌面の文字が統一されている理由を知った。
「でも……」
と、ユッカは印字された文字を指差して数える。
「あれだけ作業して、これだけ? というか……文字を一つずつ選んで、その、がちゃんってやるの?」
「その通りだ。この紙には熱で文字を印字できる。フィニが枠線とページ数を入れているから、後は文字を入れて、写真や図を貼る」
それが終われば、コポポに渡して印刷となる。
「この印字が終わって、写真を貼ったものが版下だ」
「写真? この写し絵のこと?」
カメラについては簡単に説明するにとどめて、ヒロトは再び写植機の話に戻った。
「この写植機は一台しかない。言っておくが、壊すなよ? 一年や二年のただ働きじゃ返せない程度には高価だからな」
「う……。でも、コポポが翻訳して印刷してくれるなら、原稿は手書きでも良いんじゃないの?」
ユッカの言葉に、ヒロトは苦い顔をする。
「駄目なんだ……」
「は?」
「あいつ、手書きは読み取れなくて……印字されて文字の形状が揃った物じゃないと駄目らしい。理由は聞くなよ? 誰にもわからん」
文字形状の差が大きいと別の文字として認識して混乱するからでは、と編集長が推測したが、結局は本人にすら不明らしい。
ということで、仕方なく最初は判子状になった文字一つずつ拾い上げて印字する活版印刷方式を採っていたが、時間がかかり過ぎるために写植機を導入した。
デジタルデータはヒロトが試してみたが不可能で、PCとコピー機を動かすには安定した電力確保が難しかった。
「これが今できる最高に効率の良い方法なんだよ」
ヒロトに断言されると、ユッカとしては何とも言いようがない。
「わかった。わかりましたよ……」
「さて、そこで問題がある。今までは俺とフィニだけがこれを使っていた。原稿を書いているのはこの二人だけだからな。そして、ユッカが加わった」
しかし写植機は一台しかない。
「当然ながら、交代で使うことになる。フィニは後でやるそうだが、〆切の時間的に考えて、この量を二日で写植してしまわないといけないわけだが……」
実際には、表紙を作るために写植した物に着色して貼り合わせたり、チェックなどの時間も必要になる。
「今はまだ新人で、初めて使う以上は時間もかかるだろうが……やるかどうか、自分で決めろ。ただし、やるなら絶対に〆切には間に合わせろよ」
☆
「死ぬ……」
自信満々で引き受けたものの、ユッカは一晩経ってもまだ半分も終わらせることができずにいた。
徹夜をしたせいか、写植機の前に座るユッカの目は据わっていて、黒々とした隈を作ってうつろな光を孕んでいる。
「……死ぬ……目が限界……」
「うるさいな。ギブアップするなら代わると言っただろうが。縁起の悪い言葉ばっかり呟くんじゃない」
「まだまだ。疲れたけれどここで諦めたら絶対後悔するわ……」
写植機は、上から落とす光をガラス面を通して文字の形に遮光し、印画紙へと移し込む構造になっている。
「ぐむむ……」
ガラス面を動かして文字を選び、レンズを使って文字の大きさを変更するのだが、これが意外と難しく、すでにユッカは幾度か失敗している。
枠ごとであれば切り貼りして修正できるが、一文字間違えば周辺までやり直しになるのだ。それが彼女の精神を削っていた。
「話相手をしてくれる? 眠気覚ましにしたいのよ」
「話しながら? また間違えるぞ」
「大丈夫だから。職場で寝入るのはもう嫌なのよ」
「ったく……」
フィニが作ったデザイン通りに表紙を作っていたヒロトは、少しだけユッカの方へ身体を向けた。
「例の魔王グラファンの件、私が治療している間に何か話をしていたみたいだけれど、あれはどうなったの?」
「どうもこうも、覚えきれない分はパターン化してカンニングペーパー……紙じゃなくて布だけどな、それを使うことになった」
入場者は把握できるので、初回か二度目以降かは把握できる。二度目以降であれば、挑戦者たちのタイプもある程度把握できるので、採用となった。
「挑戦者の四人は、引退したのよね?」
「ああ。それについては昨日聞いてきた話があってな。全員が魔王グラファンのところに就職したらしい。ダンジョンアドバイザー兼チェックスタッフとして」
「はあ? ……あっ! また間違えたぁ……」
半べそで印画紙を入れ替え、上に貼る分を先に打ち直すことにする。
「あんなに魔王退治に熱心だったのに。理由を教えてよ。どうせ確認してきたんでしょう?」
「もちろんだ」
最後の戦いの後、敗れた挑戦者たちに魔王自らが声をかけた。そして、多少の逡巡はあったものの最終的には全員が納得したらしい。
「口説き文句は“お前たちが手順良く挑戦者たちが鍛えられる仕組みを作っていけば、命を落とす者も減る”だな」
「そこまで聞いたの?」
「いや、俺が魔王にそう言ってスカウトしたらどうか、と言ったんだ。これで挑戦者の実力が向上すれば、魔王も存分に戦えるし、魔王と直接話す者が増えて彼の考えも広がる」
魔王城がにぎやかになるな、とヒロトは満足げだ。
「引退すると言い出すのは予想外だったが、結果的にはタイミングが良かった」
元々、あの挑戦者たちが持っていた魔王に対する憎しみは無理解から来ていた。それが『月刊・魔王』を読んでその裏側を知り、また短期間に同じ魔王と繰り返し話す機会ができた。そのことも大きいだろう。
「いずれにせよ、これで魔王グラファンも喜んでくれた。昨日ユッカが写植機に貼り付いている間に顔を出してきたら、さらに五冊の定期購読契約が結べた。あちこちに置いて、魔王に対する理解を深める一環とするそうだ」
同じ言語圏に複数納めるのは手間の面でもコポポの負担の面でも嬉しい、とヒロトは大喜びだ。
「そう。彼らがね……。ねえ、それって良い終わり方なのかな」
「俺たちが作った本。そしてお客様たちが収まるところに収まった。良い終わりだと思うぞ。それに、魔王でいる以上はまた多くの挑戦者と戦うことになる。いつか倒されるかも知れない」
ヒロトは作業の手を止めて、ユッカへと向き合う。
「読者の中には、討伐されてしまった魔王だって何人もいる。問題は討伐されてしまうかどうかじゃない。彼らが納得して魔王らしくいられたかどうかじゃないか。俺はそう思ってる」
「魔王らしく……」
「ユッカが何を目指してこの仕事をやるかは自由に考えると良い。別に編集長も俺も、お互いの考えを押し付けたりはしない」
さて、とヒロトは立ち上がり、ユッカの後ろにきて作業の状況を見ていた。
「進捗は?」
「じゅ、順調よ……!」
そう言ってユッカが見せたのは、写植が終わったばかりのベージだった。
「ふむふむ……まあ、問題ないかな」
「どうして、新人の私にここまでさせてくれるの?」
「そりゃ当然、早く一人前になってくれたら、時間ができて新しい企画もできるからだ。……それに、編集長は女性に甘いから、万が一若干遅れてもユッカのためなら笑って許すだろう」
「何よそれ……」
ヒロトの口調から冗談なのはわかっていたユッカだが、ヒロトの顔を見上げて硬直した。
「ぶべっ!?」
頭部が肩に陥没するんじゃないかと思われるほどの威力を持った拳骨が、ヒロトの頭上に落ちて来た。
「随分余裕があるようだが、私は仕事に関して甘い顔を見せるのは嫌いなのだ」
わかったね、と編集長に睨まれて、ユッカはぶんぶんと高速で頷いた。
「わかればよろしい」
しばらく気絶していたヒロトはこの夜、作業の遅れを取り戻すためにユッカと仲良く徹夜をすることになった。
そして翌日、ユッカはふらふらになりながらも完成した版下を見上げて微笑んでいた。
「私の初めての原稿……初めての雑誌ができる……!」
出社してきたコポポに版下を手渡し、デスクへ戻ったユッカは気絶するように眠りについた。よだれを盛大に流しながら。
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