Prologue.業界初、魔王専門誌!!
よろしくお願いします。
それは、最終決戦にふさわしい舞台だった。
荘厳と言うほか無い見事なホールであり、謁見の間としても使われているのだろうと思わせる流麗で堂々とした玉座がある。
身長五メートルはあろうかという巨大な体躯を持つ魔王は、居城へと足を踏み入れた勇気ある者たちに対し、堂々とその身を晒して待ち構えていた。
「どうやら、部下たちは敗れたようだな」
悠然と玉座に座る魔王は玉座から立ち上がり、身体を覆っていたマントを大きく翻した。
露わになった肉体は、王城内で待ち構えていたにも関わらず筋骨隆々で弱弱しいところは些かも見られない。
「さあ」
どこから取り出したのか、その手には巨躯に見劣りしない見事な大剣が握られていた。
「全霊を以てかかってくるが良い。我が前にたどり着いた褒美として、苦しまぬように殺してやろう」
一歩。踏み出した魔王の足音が謁見の間と称される広い空間に響き渡る。
「ぐっ……」
対して、魔王の前に立つ者たちは四人。その誰もが無傷とはかけ離れた状態だった。
見事な装飾が施された剣を持ったリーダーはあちこちに傷を受け、片目は血でふさがっている。
武骨で巨大なハンマーを担いだ屈強な戦士も力強く立ってはいるが、激しく上下している肩の動きが、体力の限界が近いのを示していた。
「回復を……!」
「待ってくれ。ギリギリになってからで良い」
「でも……」
スタッフを握る、神官職と思しき服装の美しい女性が提案すると、リーダーは頭を振った。
「どんな攻撃を受けるかわからない。動けなくなったら、その時に頼む」
「回復の間は、あたしがちゃんと魔法で援護してあげる」
少し露出が多い服を着た女性がカールした髪をふわふわと揺らしながら、手にした杖を振り上げた。
努めて明るい雰囲気を出そうとしている彼女の気持ちを汲んで、全員が笑みを浮かべる。
「良し! 行くぞ! ……ん?」
気合いを入れなおした彼らの前で、魔王はその動きを止めていた。
挑戦者たちは“何かの攻撃をする予兆”かと身構えたが、魔王はくるりと後ろへと首を向ける。
「……これからどうすれば良かったっけ?」
「堂々と戦えば良いかと」
玉座の後ろからひょっこりと顔を出している一人の人物に、魔王は話しかけているらしい。
状況がわからず、挑戦者たちは唖然としている。
「しかしなぁ。ちょっと相手がボロボロ過ぎて気の毒じゃないか? あれを倒しても誰にも自慢できんし、娘に卑怯者だと怒られるかも」
「何を言っているんですか。威厳を見せると言ったのは魔王様でしょう? ほら、ここを読み直してください」
薄い雑誌を取り出し、魔王に向けて差し出した人物は男性だった。
二十代半ばに見える人物だ。黒髪をソフトバックに整え、細身の身体に肩掛け鞄を持っている。
「ここです。“魔王のセリフテンプレート集”」
「うぅむ。なるほど、なるほど……良し!」
ぐるり、と勢いよく振り向いた魔王は、大剣を掲げた。
「慎重であることは評価しよう! だが! ……ええと」
「容赦はせぬ、です」
玉座の後ろからアドバイスを受け、魔王は再び剣を振りかざす。
「容赦はせぬ!」
「待て。ちょっと待て」
すっかり勢いがそがれた挑戦者たちは、魔王に手を出して止めた。
「なんだ?」
「なんだ、じゃない。誰だ、そいつは。人間のように見えるが……」
リーダーの青年が指をさしたのは、先ほどから玉座の後ろで魔王に助言をしている男だった。
「ふむ……」
魔王は大きな音を立てて玉座に座ると、剣を目の前に立てて杖のように両手を乗せた。
「では、一旦小休止にするか。ヒロト殿、自己紹介を」
「そういうことでしたら、失礼して」
玉座の後ろから、男は無防備に姿を見せた。
持っていた雑誌は魔王へ手渡し、手早く髪を整えた男は、鞄から新たな雑誌を取り出して青年へと差し出した。
「ヒロトと申します。こういう雑誌を作っております、しがない記者兼編集者です」
「雑誌? なんだ、これは……」
本を受け取った挑戦者たちは、目を白黒させながら誌面を追っていく。
始めは、信じられないほどきれいに複写された文字や、まるで生き写しのように精緻に描かれた画像に目を奪われた。
そして、書かれた文字は彼らにも読めるものであったこともあり、興味はその内容へと向かっていく。
「罠の位置、ちょっと工夫でこの効果……?」
「そういえば、嫌な位置に落とし穴があったわね。この本を見てやったのね」
「やだ、女の子の絵がいっぱいあります」
「機械兵……からくりで動く敵もいるのか!」
それぞれに興味がある内容は違うようだが、印刷というものを知らず、書き物と言えば町の掲示や証明書程度しか知らない彼らにとって、ほんの二十ページ程度ではあるが、全ページカラー印刷された中綴じの雑誌は新鮮だったらしい。
「……はっ! いや、こんなことをしている場合じゃ……」
「いかがです? 基本的には魔王のための雑誌ではありますが、勇者と呼ばれる皆さんにも、有用な雑誌だと思われますが」
ヒロトと名乗った男は、戸惑う挑戦者たちににこやかに微笑む。
整った顔立ちであり、声もやや低く落ち着いたものだ。
「た、確かに……」
「おい、あんな怪しい奴の言うことを聞かない方が良いぞ?」
納得しかけていたリーダーに、戦士が肩を掴んで押しとどめた。
「それに、毎号“これ”がついています」
「……飴?」
ヒロトが取り出したのは、透明な包装紙に包まれた小さな飴玉だった。
「子供じゃないんだから、飴が一つオマケされたくらいで、こんな高そうな本を買うわけないじゃない」
魔法使いが鼻で笑う。
彼女が“高そうな”と言ったのは、全て手書きの色鮮やかな冊子など、貴族でも持っているかどうか、という代物だからだ。
「これは、ただの飴ではありません。何と一定時間身体能力を向上する効果があるのです! こんなおまけまでついて何と一冊あたり銀貨十五枚!」
「じゅ……安い、いや高い……!」
この世界、銀貨十枚あれば四人家族がひと月生活できる。だが、紙の質や印字の美しさを見れば、安いとも言えた。
「怪しい……」
神官の女性は怪しげにヒロトを見ているが、リーダーはまだ悩んでいる。
「今なら、この『月刊・魔王』を定期購読いただくと最初の一冊分が無料になりますよ。もちろん、無料だからと言っておまけが無くなるなどありません」
「そ、そんなに割り引きになるのか!?」
「わしも強い敵が来た時にはこの飴を愛用しておる。少なくとも一時間は通常の倍は筋力が上昇するぞ」
何故か魔王もPRに加わり、『月刊・魔王』の内容がいかに充実しているかにも言及する。
その話を聞きたいような聞きたくないような様子でリーダーは固く目を瞑り、渡された雑誌を握る手に力が入る。
「……いや! こんなものに騙されるか!」
謁見の間に、雑誌が叩きつけられた音が響いた。
「うわっ……!」
何故か魔王は驚きよりも怯えた表情を見せ、その巨体を小さく縮めて玉座の背もたれに隠れた。
「本が……」
叩きつけられ、端が折れてしまった雑誌を見つめて、ヒロトがこぶしを握り締めてわなわなと震えている。
「こんな、魔王の罠に……」
と、リーダーの言葉は途中で終わった。
歴戦の戦士でも、魔王ですら見逃すほどの速度で踏み込んだヒロトの拳が、その頬を殴りつけて数メートルは吹き飛ばしたのだ。
力なく転がったリーダーは、息はしているもののピクリとも動かない。
「……えっ?」
「貴様! やっぱり魔王の手先か!」
「なんてことを!」
神官は目を見開き、いきり立つ戦士のハンマーが振り上げられ、魔法使いが炎を放つ。
「……無駄なことを」
背もたれの陰から見守っていた魔王が呟いている間に、ヒロトの身体は炎に包まれた。
「うおおおおお!」
絶叫に近い掛け声に勢いづけられたかの如く、巨大なハンマーが燃え上がるヒロトへと振り下ろされる。
だが、全身を炭化させるほどの火炎をまといながらも、ヒロトは軽々とハンマーを躱す。
「はっ?」
信じられないものを見た、と戦士の動きが止まった。
その胸に、頑強な金属プレートを陥没させる勢いの掌底が撃ち込まれる。
「ぐ、ほっ……」
リーダーと同じ方向へ飛ばされた戦士。
その動きを見ている魔法使いの前に、その速さで炎を振り払ったヒロトが迫る。
「ひぅ……」
反応などできず、魔法使いは脳天に強烈なチョップを受けた。
声も出せず、鼻血と鼻水を噴き出し、その場に力なく倒れる。
「あああ……」
「さて」
「ひっ」
ヒロトの視線を受けて、神官の女性は腰が抜けてしまったらしい。
ぺったりと座り込み、全身をガタガタと震えさせている。
決して彼女の仲間が弱いわけではない。むしろ、この世界で彼女たちのパーティーに敵う者などいないのだ。
それが、瞬く間に三人が倒され、残ったのは碌な攻撃手段を持たない神官一人。スタッフはあるが、戦士の攻撃を躱せるような相手に当てる自信など無い。
「言わんこっちゃない」
魔王は神官へ向けて声をかけた。
「早いとこ謝って、雑誌を買うと言うのだ。早く」
魔王の言葉だが、今の神官にとっては魔王よりも目の前のヒロトの方が怖い。
「ご、ごめんなさい! すみませんでした! 本は買い取りますから!」
「……そうですか!」
ヒロトの足が止まり、虎をも射殺すような視線が一転して花が咲いたような笑顔へと変わった。
いそいそと雑誌を回収し、埃を叩いて折り目を伸ばすと、その上に飴を一つ載せて神官へと手渡した。
「一冊のお買い上げでよろしいですか? お得な年間購読を……」
「いいい今の手持ちがこれしかないので、一冊だけでお願いします!」
腰に提げていた財布から金貨を取り出すと、神官は震える指で差し出す。
「では、金貨をお預かりします」
丁寧に両手を使って金貨を預かり、ヒロトは肩にかけていた鞄へと手を突っ込んだ。
「ええと、“この世界”の交換レートはいくらだったかな?」
「金貨一枚が銀貨百枚だ」
「これは魔王様。助かります」
にっこりと笑い、ヒロトはじゃらじゃらと八十五枚の銀貨を神官の手に綺麗に重ねた。
神官は銀貨の重みを感じながら、ヒロトが言った“この世界”という言葉が気になったが、質問をするような精神的余裕は無い。
「それでは、来月号の発売時に念のためお伺いします。本誌のご意見やご感想をぜひお聞かせください」
鞄を肩にかけなおし、しっかりとお辞儀をする。
「お買い上げ、ありがとうございます。年間購読も、ぜひご検討ください。魔王様」
「ふむ。今日はもう戦いにはなるまい。協力、感謝する」
「いえいえ。読者様のための『月刊・魔王』ですから。では、また」
ヒロトの横で、まるで飴細工のように空間が歪む。
「失礼します」
スマイルを残し、ヒロトは歪んだ空間へと足を踏み入れ、その場から姿を消した。
残されたのは、完全に伸びている三人と、呆然と座っている神官。そしていつの間にか玉座に座り直していた魔王だ。
「わしも、最初は同じ間違いをやらかした。そして完膚なきまでに殴り倒されたわ」
喉の奥からこみ上げる笑いと共に呟く魔王を、神官は目を見開いて見上げている。
「もう戦いになるまい。三人は部下に命じて外へ運ばせる。一度帰って、出直してこい」
「はあ……助かります……」
神官には、他に選択肢は無かった。